「侍Women」と「藍い月」 vol.2

2010.12.17 Friday

0

    左の写真は、中塚睦子(なかつかちかこ)さんが、友人とたった二人で中国へ渡り、中国国営映画社と共に製作した日中合作映画「藍い月」の一部分である。
    日中合作映画とは言え、日本側のバックがあるわけでなく、制作費の半分5000万円を出したのは、中塚睦子さん一人だ。
    このため、製作にあたっては、企画から撮影に入るまでも、また撮影に入ってからも、ハプニングやアクシデントの連発。その裏話を「本」にして、各地での映画公開との相乗効果で、作者がこの映画を製作した意図(世界の孤児の問題) を広く伝えていこうという寸法。

    本のタイトルは、題して「侍Women」(仮題)! その本をつくるにあたって、実は、僕に白羽の矢が立ってしまった。
    前回のブログでは、その顔合わせに、僕が著者の住む熱海へ向かったわけだが、そこで意外な事実に突き当たってしまった。
    個人で本をつくるのに一番大きな問題が製作費。それが一銭もないと言う。お金がないとは聞いていたが、普通、「ない」といっても、ある程度は用意されている場合が多い。ところが今回の場合は、打ち合わせで大阪へ出てくる費用さえないと言う。みんな、映画製作につぎ込み、文字通りの一文無しという訳だ。

    次の問題が、出来てから、どうして本を売っていくのかという販売上の問題。いくらお金があっても、個人で本をつくった場合、売るというより、プレゼントしてしまうケースが多く、残りは押入にデッドストックとして積まれる場合がほとんど。大々的に書店展開する訳にもいかず、一部の書店で扱ってもらっても、宣伝力がなければ、ほとんどが返品されてくる。一度返品されると、書店への再配本は難しい。

    この二つの問題を、どうクリアするかということになる。

    昔、政府刊行物のサービスステーションに籍を置いていた僕は、国の作った本だけを書店に卸したり、販売するだけでなく、自社独自の商品を持ちたいと、オーダーメイド出版ということを始めた。

    どういうシステムかというと、企画の段階から、出版社と著者が、まず市場調査と製作費づくりを兼ねて、予約集めをする。紹介のホームページと、予約者獲得のためのフライヤー(チラシ)が主な武器になる。こうして予約の段階で、ある程度の製作費がカバーできるようになった時点で、実際の製作に踏み切ろうという寸法だ。

    当初、このやり方が面白いと、神戸新聞、読売新聞、産経新聞、朝日新聞、日本経済新聞等々でとりあげられ、当時は結構話題になり、このやりかたで、政府刊行物在籍中、200点近い作品を世に送り出した。

    中塚さん(右の写真)の話を聞いて、またぞろ、この方法でやってみようと、提案した。
    「お金がないなら、それを強みにしてやっていこう」というワケ。こと自費出版に関するかぎり、お金のある人は、本が出来て、それで終わりになってしまうケースが多い。予約者を募るため、さまざまな知恵を使い、人間関係を使い、そうするなかで、一つの話題性を作り出していく。映画の公開も、上海万博での公開と、日本では沖縄・九州の一部の地区でしか公開していないという。ならば本の制作に向けてのPR活動、予約者募集活動の中で、映画についても全国各地での公開へ向けて気運を盛り上げていけるのではないかという提案だ。
    もちろん時間もかかるし、労力もかかるが、お金がなく、しかも大手出版社が企画出版として乗り出さないのなら、この方法しかないと思う。

    というわけで、早速、告知用のホームページを製作した。
    ホームページでは「映画」の一部も観ていただける。ぜひ覗いてみていただきたい。そして面白いと思ったら、1冊でも2冊でも、著者に成り代わり、予約をお願いする次第であります。
     http://uta-book.com/dep/samurai_women/

       中国「東方時報」に紹介された、中塚睦子さん(上)と、「藍い月(中国題 藍月亮)」

    やぶにらみ 電子ブックリーダー比較「アイパッド」vs「ガラパゴス」

    2010.12.15 Wednesday

    0

      シャープが、アイパッドへ対抗するべくガラパゴスを発売した。購入前の相談ということでシャープへ問い合わせたり、パンフレット調べてみたが、今ひとつピンとこない。ならばと、梅田のヨドバシカメラへ実物をさわりに出かけることとした。

      右の写真は、正確ではないが、だいたいの大きさ比較にはなると思う。
      一番上がアイパッド、二番目がガラパゴス、三番目がソニーのリーダー。

      外形でみると、アイパッドが、幅189.7mm、高さ242.8mm、重さがWi-Fiモデル680g。
      これに対し、ガラパゴスは、幅177mm、高さ286mm、重さが765g。 

      人づてに、ガラパゴスのほうが、アイパッドより軽いと聞いていたが、逆にアイパッドのほうがやや軽いということになる。
      画面サイズでは、ガラパゴスがワイド版で、アイパッドより縦長になっている。
      この縦長が、僕にとっては、というか、「本」を読むという段になると、どうにも気にくわない。
      縦置きで読書しようとすると、1行が不必要に長くなる。日本文の縦書き表示では、上から下へ読みおろすことになるが、あまりに上下が長くなると、目の動きの許容範囲を超えており、長く読もうとすると不必要に疲れるのだ。では、これを横置きにし、見開き表示にすると、1ページが正方形に近くなり、日本語の組み版に慣れた目には何ともとっつきにくい。いわゆるタイポグラフィーという観点からみると、何とも美しくない。

      これに比べ、アイパッドの縦横比は、横書き図書を読むにしろ、縦書き図書を読むにしろ、紙の本を読む感覚に近い。
      これでは、日本語表示に優れていなければならない日本の製品が、アメリカ製に負けているということになる。事実、そうなっていると思う。映画をダウンロードして観るなら、確かにガラパゴスのワイド画面は魅力だが、こと本を読むリーダーとして見た限りでは、うれしい縦横比とは言えない。
      ページ送りもアイパッドのようなスムーズさがなく、ぎこちない動きになっている。一部分を拡大したときも画面が落ち着くまで、文字のジャギーが目立ち読みにくい。要は、動作に滑らかさがなく、ページが落ち着くまで若干とはいえ待ち時間が生じ、スムーズな読書の流れを妨げるのだ。

      そんなことを考えると、本のリーダーとして見る限り、ガラパゴスは遠くアイパッドにおよばないと言えるのではないだろうか。

      この二つとは別路線を行くのが、ソニーの「リーダー」だ。完全に「本」を読むことに特化したリーダーになっており、「本棚をポケットに」というキャッチフレーズで、6型と5型の2サイズを発売している。アイパッド、ガラパゴスを見た目には、ブラック&ホワイトの画面は地味に写るが、静止画面の文字および画面の美しさは、さすが「eインク」と思わざるを得ない。
      タイポグラフィーの面からも、「本」の形に近い美しさを感じる。ただページ送りの時、静止画面に落ち着くまで、一瞬画面が反転する。慣れるまでは、これが読むリズムを邪魔するが、それもこれから改善されていくのかも知れない。

      最後に、これは読む立場の人からは関係のないことなのだが、ガラパゴスも、ソニーリーダーも、文章とページを表示するフォーマットが、「eパブ」でなく、「xmdf」で作成されている。たしかに、「XMDFは日本語の縦組みの表示機能を保持しており、処理の複雑なルビや縦中横、行末の禁則処理、外字などには対応して」いるということなのだが、電子出版をめざす零細出版者にとっては、やっと「eパブ」が身近になったというのに、またぞろ「xmdf」について勉強しなければならないという、大きな課題を抱えてしまった感じである。
      願わくは、組み版ソフトであるインデザインがこれに対応してくれること。
      つまり、InDesignから自動書きだしを行うことで、紙のレイアウトから、そのままXMDFに変換するコンバータを、無償でInDesignユーザーに提供してもらえればと思う次第である。

      「侍Women」と「藍い月」

      2010.12.13 Monday

      0


                           (熱海の夜景 南明ホテル前)
        彼女とは、16時の待ち合わせだった。
        彼女というのは、以前にも紹介したことがあるが、友人と二人中国に渡り、中国の国営映画社と力を合わせ、映画「藍い月」を製作した中塚睦子さんのことだ。映画は、日中戦争当時、国籍を隠し戦争孤児を育てた日本人女性が主人公で、彼女自身、その主役を演じており、そこには中塚さんが上海で知った中国の孤児たちの現実がある。この孤児たちに手をさしのべたい。その思いがスタートだった。お金を寄附してその場しのぎをするより、映画化することで、多くの人にメッセージを送りたかったという。
        今回は、映画が出来るまでの奮闘記を「本」にするという。そのための顔合わせのようなもので、「本」と「映画」の相乗効果で、彼女のメッセージをたくさんの人に知ってもらおうというわけだ。

        待ち合わせ場所は、なつかしい熱海の「南明ホテル」前。昔は年に何回かは、あるセミナー参加のため、熱海を訪れていた。中塚さんの強引な呼びかけに応じたのも、懐かしさが手伝ってのことだったように思う。

        16時の待ち合わせだったが、午前中、母親の介護のことで別の打ち合わせがあり、これが思わぬ時間を食って、熱海に着いたときはもう4時半近くになっていた。彼女には新幹線の中から遅れる旨を連絡してあった。しかし待ち合わせ場所に着いても、彼女の姿はなかった。
        彼女自身からも用事で遅れる旨の連絡があったので、懐かしい南明ホテルの前で時間をすごす。見れば「南明ホテル」前に「豆相人車鉄道」の記念碑が立っている。なんでも、この南明ホテル前が、その「熱海駅舎」跡になるのだという。写真が小さくて、読めないと思うので、以下にその碑文を書き写しておく。

        「豆相人車(ずそうじんしゃ)鉄道は雨宮敬次郎氏と、地元の有志20余名の努力によって、明治29年(1896)3月、熱海―小田原間(25km)全線が開通した。所要時間は4時間ほどであった。この人車鉄道は定員6名あるいは8名の客車を3名の人夫が押すという、きわめて原始的なものであった。明治29年当時の運賃は熱海から小田原まで、下等40銭、中等60銭、上等1円、3歳未満は無料、10歳未満は半額というものであった。
        豆相人車(ずそうじんしゃ)鉄道は日本最初のもので、明治40年(1907)12月、軽便鉄道にかわるまでの12年間、貴重な交通として利用された。」

        こんなものがあったとは意外だった。当時は、気付くだけの余裕がなかったのかも知れない。そんなとりとめのない思いに心を向けていると、携帯で何やら話しながら近づいてくる女性がいる。写真でしか見たことがないが、確かに見覚えがある。中塚さんに間違いない。

        こうして中塚さんとのコンタクトに成功し、最寄りの中華料理店で、老酒片手に8時過ぎまで話し込むことになるが、話すに連れ、意外な事実が明らかになっていく。(続)

        2003年、阪神タイガース優勝への140試合を全部記録した老人がいる!

        2010.12.12 Sunday

        0
          最近やたらと忙しい日々が続き、疲れてブログを書こうという気も起こらなかった。そのうえ、少し長い期間書かないと、それを契機に、ついついブログに向かうのが億劫になり、書こうと思っていることも一日延ばしに先送りになり、そのうちに書きたい内容も雲散霧消してしまうはめとなる。

          そういえばブログならぬ日記で苦労したあげく、阪神戦の記録を書き続けた老人がいる。
          彼は、退官後、無為な日々を送っていたが、姉から叱咤激励され「日記」を付けるようになったという。
          しかし、始めてはみたものの、書くことは、毎日、おなじことばかり。そんなときに出会ったのが「阪神・巨人のオープニング戦」。
          その試合に感動した老人は、「野球は筋書きのないドラマだ」とばかりに、日記代わりにテレビとラジオを頼りに、阪神戦の試合記録を付けだし、2003年にいたって、阪神優勝に至る140試合を全て記録した。そして、その内容を、ほぼ見開き2ページに一試合を掲げ、自身の野球に対する思いをコラム欄に配し、ついに1冊の本をものにしてしまったという次第。

          題して「野球 捨てがたく候」−阪神、優勝への記録−

          老人の名は「廣岡明」さん。
          出版打ち合わせに訪れた廣岡さんは、実にユニークな老人だった。「本づくりで出会った人たち」を書くようになって、ぜひ、彼のことを紹介したいと思いながら、ズルズルと時間がたってしまったが、以下に、廣岡さんが、この本をつくるに至った経緯を、彼本人の文章で紹介しておきたい。


          私の年賀状も、年金を貰うために出す生存証明のようなものになってしまった。
          そんな年賀状に返事が来た。去年のことである。夫を早く亡くして、長男と東京で暮らしている八十近い姉からである。
          怠惰な日々を送っているという近況報告へのお叱りである。老いて昔の説教ぐせがでたらしい。日記をつけなさいという。手紙に般若心経の写経を、同封して送ってきた。年がいっても腕は衰えていない綺麗な字である。
          日記をつけることにしたが、閉門蟄居の身で、テレビの守りだけをしている身には、日常茶飯事のことしかない。
          天候、雲の形、食事の内容、南天、山茶花、ろう梅等冬の花のことなどで、一ヶ月ばかり続けたが、変化のない日常生活に、かえって我が身が哀れになった。
          そんなこともあって、参考にするつもりで、永井荷風の「断腸亭日乗」をひもといてみた。荷風散人七十三才(昭和二十六年)私と同じ年での日記である。
          さすがの荷風大先生も書くことがないのか、その年は、毎日一行ですましておられる。そのなかで、「夜淺草」との記事がなんと二二六回、二日に一回淺草へ行ってることになる。まことに、うらやましい限りだ。
          日記をつけるのを止めてから、私はテレビで阪神、巨人のオープンニングゲームを見た。
          好投を続ける井川投手の姿が伐折羅(ばさら)大將のようだ。
          その映像が一幅の絵となって感動を呼ぶ。そして、どうしたことか、井川投手が水戸商校出身であることから、桜田門の変の水戸の浪士達を想像し、思わず藤田東湖の正気の歌を口ずさむ始末である。
          試合が終わったあと、井川投手を抱きしめる星野監督の姿は、喜怒哀楽を鮮明にして闘う監督らしい。このシーンを見て、私はこれだと思った。日記の代わりにこの感動を書けばよいのだと思った。野球は筋書きのないドラマだといわれている。ヒーローとなる選手もおれば、バイプレーヤーに徹する選手もいる。そんな選手達が織りなすドラマを書こう。幸い阪神は人気球団であり、殆どの試合がテレビに映る。テレビのない時はラジオがある。
          そんなことで、私は昨年、阪神タイガースの一四〇試合を全部記録した。
          今年は優勝への記録であってほしいものだ。
          最後に、昨年の私の年賀状を書いておこう。私のプロフィールになればと思う。

          あけましておめでとうございます。
          ご家族お揃いで初春をお迎えのこととおよろこび申し上げます。
          「勝ツマデハ欲シガリマセン」人生二五年と覚悟を決めていた少年は、戦争に負けて心のよりどころを失いました。手のひらをかえした大人達の俄か民主主義になじめず太宰治に心酔し「生レテキテスミマセン」と飢えの時代を送ってきました。
          やっと高度成長の思恵にあずかった男が、今や老いを迎え、生きておれば、いい事もあるだろうと、無為な日々を送っております。
          なにとぞ、ご指導のほど、お願い申し上げます。

          雑煮喰い 入歯ずれたる 夫婦かな

          「侍ウーマンズ」という原稿を読んで

          2010.10.25 Monday

          0

            2010年9月20日に、「石川四高記念文化交流館にて」と題したブログを書いて以来、35日間、何を書くでもなく、ただ忙しいだけの時間が過ぎていった。

            新刊発行後の書店とのやりとりに躍起になっている、そんな矢先のことだ。
            なつかしい方からお電話を頂いた。御挨拶もせず勤め先を辞めたというのに、そんな不義理な僕に、「助けてやってくれないか」と、おもしろい人物とおもしろい原稿を紹介された。
            電話からは「侍ウーマンズ」という題名しか教えてもらえなかったが、忙しいにもかかわらず、何か妙に引っかかってくるものがあり、気がついたときには「いちど原稿を読んでみたい」等といっぱしの編集者のようなことを口走っていた。
            日をおかず、その原稿がPDF化されメールに添付されて僕の手元に届いた。母親の介護と新刊発行後の忙しさに、しばらくは目も通せずにいたが、読み出すと止まらない。
            上海を訪れた著者が、王君という孤児と出会うことで、中国の孤児の現状と向かい合うことになってしまう。なまじっかお金を寄付するより、何とか、この状況を多くの人に伝えたいと、嫌がる友人を巻き添えにして思いついたのが、映画の製作。出資者集めの挫折から資金援助者の登場にいたるまで、まるでドラマを見ているような展開に、たちまち著者の語り口にはまり込んでいく。
            そんな彼女らが映画化の素材として選んだのは、近所の図書館で読んだ「愛のかけ橋はきえず」という藤崎康夫氏の児童書。満州で孤児となった主人公望月カズが、やがて自分の境遇に照らし、朝鮮戦争で親を失った子供達を引きとり133人も育てあげたという実話。

            しかし資金は集まったとはいえ、少ない資本で、二人の日本人女性が「金食い虫」のような映画制作に挑むという無茶というか無謀な話。とうとう中国にまで乗り込んで、すったもんだの奮闘の挙句、とうとう中国国営映画社との合作に持ち込むという、嘘のような本当の話。
            僕の友人にも、中国人の奥さんを持ち、自身も大学卒業後、中国で長く放浪生活をした人物がいるが、彼にこの話をすると「嘘だろう! 何か裏があるんでは?」と、まず疑いの目を向けてきた。

            まさに「事実は小説より奇なり」を絵に書いたようなお話。面白くないわけがない。映画人を夢みた僕としては、さらに縁浅からぬ中国の話とあっては、中から湧き上がる「何としてもやってみたい」という思いを無視できなくなった。

            そこで著者に「やってみたい」旨の携帯メールを入れる。著者は忙しい方らしく、「今後のやりとりは携帯メールで」という。しかし、僕は大の携帯嫌い。仕事柄、携帯は手放せないが、自分が携帯メールでやりとりする、そんな日が来ようなどとは思っても見なかった。
            「成せば成る、成さねばならぬ何ごとも、成さぬは人の成さぬなりけり」とはよく言ったもので、やりたい思いで、いつしか「一度、打ち合わせしたい」旨の携帯メールを送信していた。

            かくして目出度く、関東での顔合わせということになるのだが、この続きは、また次回。打ち合わせ終了後ということで、まずはお開き。

            「石川四高記念文化交流館」にて

            2010.09.20 Monday

            0

              外観.jpg

              2010年8月、金沢へ出張した折り、「うつのみや柿木畠本店」を訪問した帰り道、「石川四高記念文化交流館」へ立ち寄った。ここへ来る目的があったわけではないのだが、金沢駅へ向かうバス停留所を探していると、「百万石通り」 を渡ったところに金沢中央公園があり、ここに煉瓦造りの人目を引く建物がある。ここが「石川四高記念文化交流館」だ。なぜか素通りする訳にもいかず、少しだけと自分に言い聞かせ、中へ入ってみた。
              案内によると、この公園は、もとは加賀藩が文正5年(1822年)に学問所を置いて以来、加賀における学問の中心だったところだという。特に明治20年、第四高等学校が設置されてからは「四高」として長く金沢市民に親しまれてきたところであり、昭和38年校舎が移転したことに伴い、その跡地を金沢の都心核にふさわしい公園として再整備し、昭和44年、一般に開放されたのだという
              UTAブックの顧問である田池先生が、UTAブックを置いてもらう書店について、常々こんなことをよく言われる。「旧制高等学校の置かれたところは、古くからの文化の中心。そこにUTAブックの本を置くことは意味のあることで、少なくとも、そんな場所に置くことで、そこから広がっていく可能性がある」と……。
              その意味では、うつのみや本店さんは、まさにピッタリの書店と言える。

              内部.jpg
                (四校記念館内の休憩所。まずはここで涼み、汗の引くのを待って、いざ見学に……)

              それはさておき、四高記念館を訪ねたとはいえ、そのすべてを紹介することはできないし、またそんな筆力もない。そこで、館内を回ってみて、気になったというか惹かれたところだけを以下に紹介しておきたい。

              井上靖の原稿.jpg

              井上靖の説明.jpgまず目に付いたのが、「井上靖」氏の「河西回廊」の手書き原稿。説明によると、井上靖氏も四高に学んだ一人であり、在学中は、柔道部の主将を務め、寝技を中心として「練習量が全てを決定する柔道」を目指したという。展示されている「河西回廊」の原稿は、井上靖と同級生で同じく柔道部員であった「足立清」氏が所蔵していたものだという。
              井上靖さんの書いたものは、「敦煌」や「天平の甍」、それに「風濤」ぐらいしか読んだことはないが、氏が高校時代に柔道部の主将だったと知って、なにか意外な気がした。柔道部というと、耳のつぶれた神経の図太い人間で、小説などと無縁な存在……そんな偏見が自分の中にあるようだ。実際には、知り合いの中に、大勢、柔道を志した繊細な人物がいるのを知っているにもかかわらずである。

              西田幾多郎教授.jpg次に目に留まったのが、四高の名物教授「西田幾多郎」氏と、その著「善の研究」。
              氏と、その著「善の研究」については、田池先生の話にもよく登場し、僕も「禅」に興味を持った頃、何度も読んだ本だが、氏が四校の教授だったことも知らず、そのため、いきなり記念館の展示物として出くわしたことが新鮮な驚きとして心に残った。
              この驚きは、翌日、JR七尾線で羽咋へ向かう車内から、「西田幾多郎生家」の案内板を「宇野気」の駅で偶然見かけたことで再燃する。
              それはさておき、館内の西田教授についての説明を見ておこう。

              説明には、「演場の西田幾多郎博士」と題して、次のような説明が施されてあった。
              「西田幾多郎教授(倫理・論理・心理・独語・英語。1896から909在任)は、石川県かほく市(旧河北郡宇ノ気村)出身で第四高等中学校退学後、東京帝国大学文科大学哲学選科卒業。東洋的「無」を説いた西田の思想は、「西田哲学」として世界的に知られている。常に思索に耽っていたため、学生からは「デンケン」と呼ばれた。授業は大変厳しかったが非常に優しい人柄で、「三々塾」などを通じて生徒には親身になって接したという。」

              先を急ごう。金沢駅には午後1時には着かないといけない。時刻は、もう12時ちかくになっている。
              「物有れは必ス歴史アリ。歴史ノ指示スル処ニ依ッテ、施設宜しシキニ適ヒ、改善シテ止マサレバ、遂ニ完成ノ域ニ到達スルコトヲ得ン」と、如何にも名調子で始まる「超然趣意書」(下の写真)なる巻物。説明によれば、明治39年に超然火事というものがあって、寮が燃えたらしい。これに対し38人の有志が「寮の再建」と「寮生活の建て直し」をはかった。この「超然趣意書」は、有志の寮生たちが四高を卒業するに当たり、後輩のために残した書だという。
              これにも心を惹かれたが、墨書の巻物を読み込んでいる時間はないし、ガラスケースの中で、全部が読めるわけでもない。「この先、なにが書かれているのだろう?」と気にはなるが、どうしようもないことだ。館内を急ぎ足で移動する。



              南下軍の太鼓.jpgどんなに足早に進んでも目に付くのが、「南下軍」の大太鼓。
              そもそも「南下軍とは、なんか?」
              洒落を言っている場合ではないのだが、南下軍とは、明治34年(1901)野球・剣道・柔道部による、「北の都」金沢から「南の都」京都の第三高等学校への遠征軍が始まりで、のちに運動部の対外遠征試合そのものをさすようになったという。
              同40年(1907)の第2回南下軍を期に対外試合が活発となり、大正期には、柔道、剣道、弓道、野球部が全国大会で活躍した。また、陸上競技部からは昭和3年(1928)アムステルダム・オリンピックに出場した相沢巌夫などを輩出している。
              以上が、南下軍についての解説だが、写真の大太鼓は、その応援団がつかったものだという。

              左の写真は、そんな南下軍応援団が市中を行進する様子。運動音痴の僕だが、少し哀調を帯びた寮歌「南下軍の歌」を聞き、その活躍の様子を写真や文字で追いかけると、心が騒ぎ立つのを感じる。館内で放映されているビデオではあるが、その一部を紹介しておきたい。ビデオを再撮影しているため、画質・音声ともよろしくはないが、雰囲気はわかってもらえると思う。





              この後、記念館を出るに当たって気になったのが「ブリタニカ書棚」。とりあえず現物と説明をカメラに納め、そそくさと館外へ飛び出す。

              これから歩いたり、バスを探していてはとても間に合わない。そう思い百万石通りでタクシーをつかまえ、「1時までに金沢駅へ着きたいんです」とまくし立てたのが12時40分。
              老齢で落ち着いた感じの運転手さん「大丈夫」とばかり、あわてる風もなく、無事金沢駅へと連れて行ってくれた。
              後は、小松の「BOOKSなかだ小松店」へと向かうばかりとなった次第。

              金沢寄り道出張/ No.1 金沢職人大学校・市民芸術村

              2010.09.20 Monday

              0

                               (金沢職人大学・市民芸術村 校門付近)

                昨日金沢へ着き、今日は朝から書店営業で金沢市内や小松方面を回った。
                その途中、様々な寄り道をしたが、営業を終えてホテルへ帰り着いてみると、その寄り道を記録したカメラがない。どこへ落としたか、どこへ忘れたかと思っていると、小松で車に乗せていただいた読者の方から携帯に電話が入った。「車にカメラを忘れているよ」って……。
                とりあえずは一安心だが、ブログの方は画像なしでご勘弁のほどを(9月中旬になってカメラが帰ってきたので、写真だけを追加した)。

                ホテルを9時前に出発。最初の「うつのみや書店柿木畠本店」 へ向かうが、約束は10時半、暑いがブラブラ歩いていくことにする。途中、おもしろそうなところがあれば寄り道しながら向かうことにした。
                ホテルのある六枚町から三社を経て元車の交差点へ出る。予定はこの元車の交差点を左折し、永町西の武家屋敷を抜け香林坊へ出るはずだった。
                ところが、元車の交差点でおもしろい案内板を見つけた。「金沢職人大学校・金沢市民芸術村 歩いて10分」という標識だ。標識の地図を見れば、これから向かおうとしている香林坊とは逆方向。ブラブラ歩くには日差しが強すぎる。と言ってタクシーすら走っていない。「あきらめるか」と思ったが、どんなところだろうと気になり出すと、たまらない。いったん左折した交差点を、気が付けば逆戻りし、反対方向へスタスタ歩き出している始末。好奇心を抑えるどころか、この好奇心があるから楽しいなどと思っている自分がいる。
                しかし、暑い。たまらなく暑い。汗が噴き出してくる感じだ。案内板どおり10分ばかり歩くと、JRの線路にぶつかり、その下を洒落た地下道が走っている。この地下道を抜けたところに「金沢職人大学校・金沢市民芸術村 右50m」の標識がさりげなく立っている。地下道から、この標識がちょうど良い配置で見えるようになっており、地下道のたたずまいと相まって、「なかなか洒落た演出だ」と感心することしきり。
                到着した金沢職人大学校・市民芸術村は、憩いの広場、芝生広場と、4万平方メートルを超える広場を抱えた巨大な施設で、しかも、その隅々にまで洗練された気配りが施されている。煉瓦造りの建造物と芝生広場の境界を人工の川が流れ、通路は板張りで、その川に沿うように、あるいはその川を渡って進めるようになっている。広大な芝生広場には、いくつもの噴水が水を吐き出し、芝生に水をやるばかりか、それがひんやりした風を運んでくれ、自然と汗も引いていく。まさに癒しの空間という言葉がぴったしとくるところだ。外の暑さも、ここまでは届かないのだろうか!?



                市民芸術村の一角では、金沢美術大学の学生たちが、作品展の準備(右写真)に余念がない。その学生たちに職員の若い男性が、会場の説明だろうか、優しげに話しかけている。
                その男性職員に「通りがけの者ですが、ここはどういった施設なのですか」と尋ねてみた。
                彼の丁寧な説明によると、ここは金沢市が運営する施設で、市民芸術村は主に演劇や音楽のリハーサルに使われる施設だという。そのほか、常設ではないが、工芸教室や陶芸教室なども企画されることもあるという。これに対し、職人大学は、金沢の伝統工芸を後世に残すための教育施設だという。ただし誰でも入学できる施設ではなく、現役でその仕事に従事している職人さんで、しかも、業種ごとにそれぞれの組合から推薦された者だけが入学できるのだという。
                さらに詳しく知りたいというと、事務室を教えていただき、そこで「金沢職人大学校のパンフレットと「修復選考科要項」の二つの資料を頂戴した。
                これによると、運営基本方針のトップには「基本的な技術を既有する中堅の職人を対象とする高度な技術向上のための研修と情報交換の場とするとともに、市民への公開を意図した匠の技に関する資料の収集、調査、研究を行う」ということが掲げられており、大きく本科と修復選考科に分けられ、本歌には「石工科」「瓦科」「左官科」「造園科」「大工科」「畳科」「建具科」「板金科」「表具科」の科目があり、この本科課程をを修めた者が、修復選考科に進むのだという。
                そこで「修復選考科要項」により、その具体的な内容を見てみると、「1,修理・復元の基礎的な考え方」が必修科目で34時間、「2,環境計画・文化財保存科学などの講座」が必修科目で20時間、「3,建築の歴史と住まいに関する講座」がやはり必修科目で26時間、「4,調査法の基礎講義と事例研修」必修84時間、「5,実測・製図などの講座」必修28時間、「6,工法知識と修復実習の講座」必修262時間、「7,見学研修・自主研修として」34時間、「8,特別講座として」22時間、合計履修単位時間数510時間となる。


                                     (金沢職人大学の校舎)

                こうしてカリキュラムを眺めていると、京都に次いで文化財の多い金沢市。その文化財保護に関する執念のようなものがが感じられるのではないだろうか。
                中国と台湾にある、二つになった「故宮博物院」の文物。これら文物が、第2次大戦の戦火をいかに生き延びてきたか、その秘話を知るとき、文物自体が自らを守ってきたとしか思えないエピソードを聞かされる。空襲があるたびに、いつも意図せず、その寸前に文物の疎開が繰り返されてきたのだという。いただいた資料を見ながら、そんなことを思い出し、金沢の文化財も、ただ単に金沢市が保護に力を入れているという見方以外に、文化財自体の意志が回りを動かしているのでは……そんな思いにさえ捕らわれる。


                        (金沢職人大学・金沢市民芸術村の広大な運動場というか公園部分)

                金沢寄り道出張/38年前の金沢へ寄り道

                2010.09.20 Monday

                0

                                 (金沢の武家屋敷を抜けて香林坊へ…)

                  金沢職人大学を出た後、武家屋敷のある一体を通り抜け香林坊へと出た。営業での訪問先、宇都宮書店柿木畠本店は目と鼻の先だ。ところで寄り道の方だが、記録したカメラが手許にないもので(9月中旬になってカメラが帰ってきたので、写真だけを追加した)、武家屋敷や金沢四高交流資料館に立ち寄ったことについて書くことが出来ない。感じたモノ、心が動いたモノにカメラを向けることが習い癖になっており、映像記録はただ単に写真というだけでなく、なにに心が動いたのか、僕の心の動きの記録にもなっている。だから、その画像がないと、書いても書いても、なにか間の抜けたモノになってしまう。少なくとも自分はそう感じている。 
                  そんなことを思っていると、今から38年前、北陸電力の仕事で金沢香林坊を訪れた記憶がよみがえってきた。思いの方が寄り道を始めてしまった。
                  38年前、僕は二十代前半、映画好きが高じてCMプロダクションのの制作部に勤務していた。制作助手から初めて一本立ちの制作進行になったのが、「関西電力」の安全電化配線メダルのCMだったと記憶している。大阪の電通スタジオに、藤田弓子さんを招いての撮影だった。衣装は自前という条件だったが、撮影の合間、その藤田さんの衣装にアイロンを当てていた僕は、他の用事でその場を離れ、うっかり衣装を焦がしてしまった。幸い軽い焦げ目で、しかも背中側だったため撮影に支障はなかった。しかし、僕は藤田さんに平謝り、弁償も考えていたのだが、藤田さんは鷹揚なもので、まるで気にせず咎めようともしない。そのうえ藤田さんのお母さんから、電話で「気にしないように」と、慰めの電話までいただいた。以来、藤田弓子さんのファンになったのだが、その際、藤田さんから頂いた「桐生さんに」という為書きとキスマーク入りのサイン色紙が、今では、どこに行ったモノか、まるで見つからない。とんだファンがあったモノだ。
                  その「関西電力」の仕事のすぐ後に入ったのが、「北陸電力」の仕事だった。「関西電力」のCMが、オールスタジオ撮影で、まる二日で取り終えたのに対し、「北陸電力」のCMは、オールロケ、しかも福井、石川、富山を回るという一ヶ月に及ぶ長期ロケとなった。福井では火力発電所の撮影。石川では金沢香林坊での夜間電線補修作業の撮影。富山では、黒部地域のダムと送電線の空中撮影と、やりがいはあるが、かなりハードな撮影となった。当初、十日の撮影期間を予定し、自社のロケ車の予定がとれず、運転手付きマイクロバスをレンタルすることとなった。

                  このロケは、いくつかの問題を抱えていた。まずは福井での火力発電所撮影。発電所の操業は止められないが、煙突から煙が出るのを撮られるのは困るという。視聴者に環境を汚染しているように見られるのでは、何のためのCMかということになる。かといってスポンサーは発電所の全景を撮れという。そこでタービンの操業は止められないものの、フル稼働でなく、一時的に回転を落としてもらいテストすることになった。これなら大丈夫ということになって撮影に踏み切ったが、肉眼では煙は見えないのだが、フィルムに写ると、煙突の上の空気が、熱せられているため陽炎のようにユラユラと動いている。これが煙のように見えるという結果になった。かといってロケは終了しており、再撮影に行くとなると予算の問題が出てくる。そこで煙突の上の部分はちょんぎってしまう、いわゆるトリミングという技法でごまかすことになった。画面としては、煙突の上の部分がフレーム外になっているだけで、火力発電所の全体は写っており、スポンサーからクレームが出ることはなかった。
                  これは撮影が終了してからの話だが、撮影中、福井ではもう一つの問題を抱えていた。日本海に夕日が沈むシーンを撮りたいのだが、そのために福井に滞在中、毎夕海岸へ出かけるのだが、うまくいかない。水平線と太陽の間に雲がかかり、日本海に直に沈んでいく夕日のカットが撮れない。そのうちに次の金沢へ移動するリミットが来る。
                  金沢では香林坊の繁華街での撮影。深夜、人通りも絶えた香林坊に北陸電力のクレーン車が到着し、電線の点検・修復作業が始まる。これをカメラに収めるという寸法。
                  ロケ中、一番問題がなく、スタッフも生き生きと動いた撮影だった。このため、全期間を通じて一番滞在日数の短い金沢だったが、一番楽しい思い出が残った。今でも深夜の香林坊のたたずまいと、黄色いクレーン車が、作業員を乗せ、長い鼻を夜空に伸ばしていく情景がありありと浮かんでくる。
                  次の富山黒部地区の空撮がまた問題だった。関西電力と北陸電力の送電線が入り組んでおり、関西電力の送電線は画面に映ってはダメというお達しである。最初、難問のように見えたが、ヘリのパイロットの運転技術と、撮影後の編集でなんとかなった次第。
                  このヘリのパイロットという存在がおもしろい。仕事柄、いろんな空撮の要望が出る訳だが、中にはその要望を実現するためには航空法を無視しないといけない、そんな状況が起こってくる。多くの場合、高度の問題だ。そんなとき、異様に高揚するのがパイロットたち。断るかと思えば、「ようし、やってやる。俺は元特攻だ!」てな具合。その勢いに煽られるのは、却ってスタッフの方だったりする。嘘のような話だが、高所恐怖症のカメラマンがいた。そのカメラマンが空撮することになった。しかも助手席におとなしく乗っているだけでなく、低空で飛ぶヘリの機体から身を乗り出しての撮影。ところが、パイロットの高揚感に煽られたのと、カメラを覗いていると大丈夫らしく、無事空撮は成功したというケースがあった。そのときからパイロットという人種に興味を持つようになった。
                  話までが寄り道を始めてしまったが、とりあえず富山地区もOK、ところが、この時点でロケ期間は大幅に伸び、一ヶ月近くに達していた。レンタカーの運転手がソワソワしている。事情を聞くと、娘の誕生日が近づいており、それまでに帰りたいと言い出した。ところがディレクターは、福井に戻り、日本海に沈む夕日をどうしても撮るといってきかない。このCMがうまくいくかどうかは、このワンシーンにかかっている。帰り道だからということで、福井でもう少しだけねばってみようということになった。
                  しかし、結果はNG。ついに水平線に直にに沈む夕日は撮れなかった。いつまでも延ばすわけにはいかない。中止を決定するのも制作の仕事だ。しかし、決断が遅きに過ぎ、かわいそうなドライバーはついに娘さんの誕生日に間に合わなかった。これが撮影が成功していたのなら、彼の犠牲も活きてくるのだが……。レンタカーのドライバーから見たら、僕は鬼のように見えていたのではと悔やむことしきり。深夜の香林坊のたたずまいと、日本海に沈む夕日(水面との間にかすかな雲の層がある)の映像が、僕の記憶に鮮烈に残った。

                  『その人、田池留吉』という不思議な本について

                  2010.08.19 Thursday

                  0
                    仕事に追われ、ブログを書く暇もなかった。 気がつけば一週間以上もブログのページさえ開いていないという状態。
                    その忙しさの大半が、「その人、田池留吉」の校正作業。
                    今日、その初校を終えたわけだが、ともかく不思議な「本」だ。「面白い」とか「感動した」という類の本は、世の中にあふれかえっているが、人の心に飛び込んできて、読み進めるうちに、自分と向きあわざるを得なくなる、こんな「本」には、なかなか出会えるものではない。

                    私自身恥ずかしながら、読み進めるうち、知らず知らず声を上げて泣きだしている始末。とんでもない校正作業になってしまった。ハイツの一部屋を事務所兼倉庫に借りており、後になって、隣近所に声が聞こえなかっただろうかと心配するというお粗末。

                    ところが、どこが良かったとか、ここの部分で泣かされたとか、そんなところが思い当たらない。むしろ気になったのが、句点が多いということ。読む上で少し煩雑かと思い、かなり削ろうかと思ったのだが、読み進める上で面白いことに気付いた。句点が多いことで、読むリズムがゆったりしたものとなる。一語一語、噛みしめるように読む、次第に、そんな読み方のリズムが出来てくる。その噛みしめるようなリズムが、何とも内容にマッチしている。次は次は……とページをもどかしげに捲っていく感じでなく、1ページを大事に大事に読んでいくというリズムを作り出している。
                    読み進めるうち、いつしか校正作業が自分を見つめ直す方向へ動いている。

                    すごい「本」ができたものだと思う。
                    最初、タイトルに「田池留吉」という名前が出てくるので、内容からして、一般読者に「教祖」的に思われないかと一抹の危惧を感じていたが、そんな思いは一瞬にして吹っ飛んでしまった。ただ気付けば、校正作業がお留守になっており、いつになく時間のかかる初校となった次第。

                    「我田引水」は承知の上で、自分という存在について考えている人には、ぜひ一読をお勧めする次第。ただし、頭で理解しようということは、まず放棄され、感じていこうという思いで、この「本」と向き合うことをお勧めする。完成は、この調子で行くと10月初めになるのではと思っている。

                    「みやけなおこ と 尼人達」 長崎弁のDJ三宅奈緒子さん

                    2010.08.11 Wednesday

                    0

                      amabito00.jpg

                      UFOやら宇宙人やら、柄にもないモノ取り上げて、いささか食傷気味。まだ宇宙に向けてのメッセージやら、宇宙からのメッセージなど、石川県は「コスモアイル羽咋」で出くわした気になるものはあるものの、ここらで少し一休みしないことには、慣れないことを書くのはやたらと骨が折れる。

                      そう思っていた矢先、とっても楽しい女性から手紙を頂いた。五島列島出身で、長崎弁で大阪や尼崎の話題をまくし立てる女性DJ三宅奈緒子さん。この人のしゃべりが楽しいし、彼女の長崎弁が懐かしい。なんでもお祖母ちゃんは、巫女さんだったそうな。そんなお祖母ちゃんにあこがれて、巫女になりたいと思ったこともあったという。そんな彼女が、大阪でFM放送を中心にDJで活躍している。
                      ちょっと彼女の横顔を紹介しておこう。

                      長崎県五島列島出身/S54.3.15生まれ/H9.上五島高校卒業
                      高校卒業後, 福岡コミュニケーションアート専門学校のタレントコースへ進む。
                      h15.3月 20歳の時に大阪に出てくる。現在は、声のプロダクション「キヤラ」の「ニューウイングス」に所属しているという。

                      amabito_chosha.jpg彼女のレギュラー番組としては、
                       ■FMハナコ(守口)
                         ・ おはようハナコです  (月)7:00〜10:00
                         ・MCタイム (日)16:00〜17:00
                       ■FM尼崎
                         ・瓶太、奈緒子のおしゃべりワールド 
                         (金)14:00〜19:00

                      彼女との出会いは、もちろん本づくり。
                      彼女は、FM尼崎で、落語家の笑福亭瓶太さんと『瓶太、奈緒子のおしゃべりワールド』(金)14:00〜19:00という番組を持っているが、この番組の中に、奈緒ちゃんが独特の長崎弁で尼崎の人たちに取材しまくるという「尼人達」というコーナーがある。この取材には、奈緒ちゃん、自慢のカメラを持ち歩き、人から動物から信号機まで、気になるモノは、片っ端から撮りまくる。 撮るばかりか、この写真を集めて定期的に個展をひらいているが、これがまたスゴイ人気。
                      そこで、これら写真と取材記を本にしてしまったというワケ。
                      手前味噌ながら、イキのいい写真と、イキのいいコメントで、ページをめくると生きた尼崎が飛び出してきそうなイキのいい本が出来上がった!

                      そんな奈緒ちゃんの手紙は、
                      「桐生さん、お元気ですか?! また写真展やります。「尼人たち」続いてますよ〜(笑) 遠いですが、もしよかったら (^O^) またお会いできる日を楽しみにしています!」

                          amabito02.jpg
                      若い美人に、こんなお誘いを受けたことはない僕としては、ぜひ行きたいとはりきってっているが、このブログをご覧の方たちも、良ければ足を運んでやってください。上の写真は、5年前「尼人達」出版時の写真ですが、こんな雰囲気で本当に楽しそうな集まりみたいです。
                      では、奈緒ちゃんに代わって、ご案ない、ご案なーーい。

                      ◇「第6回 瓶太・奈緒子のおしゃべりワールドスペシャル」のご案内について

                      謹啓 時下、ますますご清栄のこととお喜び申し上げます。
                       平素は、当センターの事業運営に一方ならぬお力添えを賜り、誠にありがとうございます。
                       さて、「瓶太・奈緒子のおしゃべりワールド・スペシャル」も今年で6回を迎え次の通り界緒際する運びとなりました。
                       つきましては、ぜひご来場いただきますようよろしくお願いいたします。 敬白

                       ○写真展「みやけなおこと尼人達展」
                        期間:2010年8月18日(水)〜8月23日(月)
                        時間:10:00〜17:00(初日は13:00〜。最終日は16:00まで)

                       ○公開生放送「瓶太・奈緒子のおしゃべりワールドスペシャル」
                        日時:2010年8月20日(金)14:00〜18:55

                       ※場所は何れも、尼崎市総合文化センター2階 ギャラリー・アルカイック

                       お問合せ先:尼崎市総合文化センター 営業企画課放送担当(エフエムあまがさき)
                       担当:秋山、楠見  tel 06-6483-2500/fax 06-6483-2501

                      amabito01.jpg