孤児たちのルネサンス −トマスの物語− vol.20

2009.12.18 Friday

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    メディチ家の紋章
                (メディチ家の紋章 フィレンツェ・リカルディ宮)

    20

    一五九九年四月
     オノフリオ修道院の一日は午前一時四十五分の起床に始まる。
     その後、朝八時のミサに至るまで手仕事や一時課・三時課の聖務日課を果たし、読書や六時課を経て十一時の昼食となる。昼食の後に約二時間の午睡の時間となるが、前もってエレオノーラへの面会を打診されていた院長は、この午睡の時間をトマスやバルトロメオ等との面会の時間に当てた。
     面会の場所は、修道院の居間とも言える回廊が当てられる。回廊を意味する「クラウストルム」という言葉自体、しばしば修道院を表す言葉として用いられるほど、回廊は修道院と切り離して考えることができない。回廊は中庭に面して開かれており、ここから射し込む光の陰影が、一種独特の雰囲気を醸し出していた。
     この回廊は、時に読書の場となり、時に聖歌の練習場となり、黙想の場となり、場合によっては談話室ともなる。
     トマス等は、この回廊の隅にある洗足用の長椅子で待つように指示された。
     面会は、女子修道院ということもあり──特にオノフリオ修道院は、表面にこそ出ていないが、姦通の罪を犯した女たちが入れられる修道院ということもあって──面会は、エレオノーラの息子であるバルトロメオと、日本から来たという特別の理由でトマスとミゲルの三人のみが許され、従者であるアルメーニは、外で待つこととなった。
     トマスとミゲルは長椅子に腰を落ち着けると、中庭の緑にホッと一息ついた。フィレンツェの町は、道も、壁も、広場も、どこもかしこも石で覆われている。日本人である二人にとって、土をその足裏に感じることもなく、緑を目にすることもない城壁に囲われた市街地の風景は、何か息苦しく妙に落ち着かないものであった。それだけに、この修道院の中庭につくられた庭園の土の匂いと緑のまぶしさがありがたかった。
     そんな二人の前を、バルトロメオはイライラと行ったり来たりを繰り返している。
     やがて院長に付き従うようにして、バルトロメオの母、エレオノーラが姿を現した。
     三十歳で、夫カルロにこの修道院に入れられ、すでに二十一年が経っている。かつてコジモ一世に見そめられ、その子ピエロにまで思いを寄せられたその美貌は、すでに翳りを見せているものの、二十年にわたる内省がもたらしたものだろうか、彼女からは、何か包み込むような優しさがあふれているように思われた。
    「一時間経ったら迎えにまいります。集会室が空いていますから、そちらを使った方がよいかも知れませんね。」
     院長は、キビキビした中にも思いやりをにじませ、そう言うと静かに去っていった。
     残されたトマスもミゲルも、何をどう切り出していいものか分からず、長椅子から立ち上がったままボーッとしていた。
     頼みのバルトロメオはと言えば、ふてくされたように背中を向けている。
     父カルロが、未払い給料を催促した使用人に暴力を振るい投獄されたとき、父は、獄中から、それが唯一できる復讐であるかのように、妻エレオノーラを、姦通を犯した女性を収容することで知られているこのオノフリオ修道院に入れるよう手配した。
     その時、母は、父が下女に産ませた二人の幼い女児だけを修道院に引き取り育てることにしたが、まだ二歳のバルトロメオは兄たちとともに育児院に預けられることになった。
     バルトロメオは、ものごころが付くようになると「自分がもし女だったら……」と、よく考える。そうすれば、母は、自分も修道院に引き取り一緒に育ててくれただろうに。
     そうは思うのだが、どうしても「自分は捨てられた」という思いが拭いきれない。
    「仕方がなかった、仕方のないことだったんだ」
     何度、自分にそう言い聞かせてきたか知れない。

     そんなバルトロメオの後ろ姿を愛しそうに見つめていたエレオノーラだが、やがて、トマス等の方を振り向くと、
    「どう致しましょうね。集会室でお話ししますか?」
    「イ、イエ、できれば庭園を見ていたいのですが……」
     なんとか言葉を切りだしたトマスに、エレオノーラは優しく微笑むと、
    「では少し回廊を歩きながらお話ししましょう。」



     エレオノーラは、日本の青年が、我が子バルトロメオと一緒に訪ねてくると知らされたとき、何か運命的なモノを感じた。彼女が日本人というモノをはじめて知ったのは、今から十五年前、このオノフリオ修道院に入れられてから七年が過ぎたころであった。
     彼女の運命に同情を寄せるビアンカ大公女は、日本の少年使節をピサに迎えるという歓迎レセプションに、「ピサ滞在中、少年たちの面倒を見る修道女が必要です。男性神父だけでは細かいところに気が付きませんから」と、無理矢理理屈を付け、彼女を出席させるよう教会側に圧力をかけた。
     修道院に幽閉状態の七年間、はじめての外出だった。それもピサへの馬車旅行。そこで知り合った日本の少年たち、そしてローマ教皇の特使として派遣されていたアレッサンドロ枢機卿やビアンカ大公女との深いつながりもこの時から生まれた。

     今、別の日本人青年が訪ねてくるという。しかもシクストゥス聖書のことで。
     エレオノーラは、すべてを話したいと思った。それは聖書のことばかりでなく、自分の身に起こってきた様々な運命、それを自分がどんなに恨み呪ったか、何もかも話したいと思った。息子のバルトロメオにとって、それを知ることは残酷なことなのかも知れない。
    また神父を目指す日本人キリスト教徒にとっても、それはつまずきにこそなれ、決して励ましになどなる代物でないことは間違いがないだろう。
     でも、なぜか話さなければならないと思った。そう決心すると、何ともさわやかな気持ちになった。今までどんなに懺悔しようと、どんなに神に祈りを捧げようと味わうことのなかった感覚。自分が今までの呪縛から解き放たれていくような……



    「私は、フィレンツェの貴族ルイジ・メッセル・デッリ・アルビッツィを父に、ナニーナを母として、一五四八年にフィレンツェに生まれました。名付け親は、コシモ大公の奥さまであるエレオノーラ大公女。でも、エレオノーラさまは、私の名付け親になられてすぐにお亡くなりになりました。エレオノーラさまにとって、それは幸せなことだったのかも知れません。なぜなら、まさか自分の名前を与えた女児が、将来、夫の愛人になるなどとは想像もしなかったでしょうから。」
    「コジモ様というのは、メディチ家を興し、フィレンツェを今のような芸術の都にした、いわばフィレンツェの恩人のような方だと聞いています。……でも、百年以上も前の方ではないのですか。」
    自分の生い立ちを話し始めたエレオノーラに、ミゲルが素朴な疑問をぶつけた。



     メディチ家の起こりは何も分かっていない。フィレンツェ近郊のムジェッロから起こり、 十三世紀に入るや、フィレンツェ社会の中で急速に頭角をあらわしてくる。 しかし、それ以前のこととなるとまるで分からず、一説にはムジェッロで炭焼きをしていたとも言われているが、それがなぜフィレンツェ社会でどのようにして身を起こしたのか、まるで中世の霧の中から忽然と現れてきたとしか言いようがない。
     同じようにメディチ家の家紋である、金地に数個の赤い球(パッ レ)を配した紋章の由来についても、謎だ。メディチの名が示すように、祖先の中に医師ないし薬種商がおり、赤い球は丸薬を表すのだという説と、メディチ家を大富豪とした当の銀行業にちなみ、赤い球は、貨幣ないし両替商の秤の分銅を表しているという説があるが、これにも確たる証拠があるわけではない。
     分かっているのは、メディチ一族はフィレンツェにおいて高利貸しとして財をなし、それを土地や不動産に投資して経済力を伸ばしていったということ。やがて一族は銀行業に、政治に、貿易にと、分散して活動していき、それぞれのグループが衰退を繰り返しながら、メ ディチ一族のジョヴァンニ・デ・ピッチによって、十五世紀に至り、その繁栄の礎が築かれたということである。
    「ジョバンニ様には二人のご子息がおられました。そのお兄さまのほうが、あなたがフィレンツェの恩人として聞かれているコシモ様のことです。そして、その弟御がロレンツォさま。これよりメディチ家はお兄さまの流れと、弟さまの流れに分かれることになります。
     コシモ様はメディチ家だけの繁栄でなく、フィレンツェの繁栄を願われました。それは フィレンツェ共和国の経済活動を活性化させるばかりか、数々の教会を建て、数々の芸術家を育て、百花咲き乱れる芸術の都を、この暗い世の中に現出させた のです。
     このフィレンツェを、経済・絵画・彫刻・建築・音楽・学問……人の才能が活かせる街にしよう、人の才能こそが神の世界を表し、この宇宙の秘密を解き明かすことができる、フィレンツェをそんな街に育てたい……コシモ様の夢は、ご子息のピエロ様に、またその子のロレンツォ様に受け継がれていきました。」
    「コシモ様の弟様もロレンツォ様ですよね。」
    「そう、叔父上であるロレンツォ様の名を頂いたのだと聞いております。このロレンツォ様と弟のジュリアーノ様は、衰退に向かうフィレンツェ共和国の最後の輝きでした。ジュリアーノ様が、パッツィ家の陰謀により暗殺されてからというもの、フィレンツェは、あの輝くような明るさを失い、暗い陰がいつも漂っているような街になってい きました。そんな流れを必死にくい止めようとしたロレンツォ様も、やがてお亡くなりになり、フィレンツェは、いえイタリアそのものが、フランスやスペイン・オーストリアなど大国の覇権争いの舞台となっていったのです。フィレンツェの自由と独立も、ロレンツォ様の死とともに失われていきました。」
     豪華王と言われたロレンツォは、一四九二年、四十三歳でこの世を去った。マキャヴェッリは、その著「フィレンツェ史」の幕をロレンツォの死をもって閉じたが、それは同時に、フィレンツェにおける メディチ体制の崩壊を意味していた。
     ロレンツォの跡を継いだピエロは、 美丈夫ではあるが凡庸で、乱世の器ではなかった。
     シャルル八世のイタリア侵攻に伴い、その独断的場当たり政策が仇をなし、フィレンツェ政庁は、メディチ家の永久追放を布告するに至った。
    「日本から来たあなた方には複雑で退屈な話ばかりネ。」
    「イエ、日本でも同じようなことがありますから、よく分かります。」
    「そうねえ、どこも同じよね。男は政治だ、戦争だと走り回り、挙げ句の果てに女性を食い物にする。……いけない、どこまでお話ししたでしょうね。」
    「メディチ家がフィレンツェから追放されたところまでです。」
    「そうそう、でもメディチ家は、外国の力を借りたり、教皇庁の力を借りたりして、このフィレンツェへ戻ってくるの。今から七十年ばかり前、皇帝・教皇軍がフィレンツェを包囲し、激しい戦いの末、ジュリアーノ様のお孫様に当たるアレッサンドロ様をフィレンツェの領主に据えてしまったの。でも、アレッサンドロ様はひどい暴君だった。政治はそっちのけで、女狂いに明け暮れ、挙げ句の果てに同じメディチ家のロレンザッチョ様に暗殺される始末。あなた方をここへ遣わされたアレッサンドロ枢機卿も、そんなアレッサンドロ様の女遊びの末にできた孤児のお一人だと言われているわ。」
    「あのアレッサンドロ様が……」
    「こうしてフィレンツェの支配は、ジョバンニ様のご子息のうち、兄のコシモ様からはじまった流れから、コシモ様の弟脈の流れに移っていくの。アレッサンドロ様亡き後、メディチ派の重臣たちが後継者に選んだのは、メディチ弟脈の中でも、英雄として誉れが高くフィレンツェ人に人気のあった黒隊長ジョバンニの息子・コシモ様。当時十七歳の若さだったにも関わらず、断固たる決断力を発揮され、反メディチ派を徹底的にたたき、大国スペインの大貴族でナポリ副王ドン・ペドロ・デ・トレド様の次女エレオノーラ様を妻に迎えスペインとの連合を深めるなど、早熟な絶対的君主と噂された人よ。コシモ様は、フィレンツェに従属するトスカナ地域までをも含め、トスカナ公国とし、初代トスカナ大公コシモ一世となられたってわけ。」
    「それで、コシモ一世と言われる方が二人いる訳ですね。一人は共和制フィレンツェを繁栄に導き国父と言われるコシモ様、そしてもう一人がトスカナ公国をお造りになったコシモ一世様……」
     ミゲルが妙に感心したような口調になった。
    「でも、そのコシモ様も、トスカナ公国が安定するや、ご長男であるフランチェスコ様にトスカナ大公の位をお譲りになられた。それからよ、コシモ様の女狂いがひどくなったのは……」
    (おまえは、 まだ俺のことを恨んでいるのか 。)
     エレオノーラの心に語りかけてくる声があった。
    (恨んでいないと言ったら嘘になるわ。私の名付け親だった大公女エレオノーラ様がお亡くなりになったとき、私は、まだ十四歳だった。たしかに悲しくもあったけど、それより何より、あの荘厳な儀式に列席できたことが誇らしかった。十四歳の私は、あの荘厳さに負けまいと、できるだけ威厳を保とう、堂々と振る舞おうと、そのことに必死だった。そんな私を見そめたのが、あなた、コシモ大公様。もし、あのとき、あなたに見そめられることがなかったら、私の人生はまた違ったものになっていただろうと……)
    (俺はメディチの狂った血を呪った。妻のエレオノーラは、そんなメディチの放蕩な血筋を嫌い、子供たちを異常な潔癖さで育てようとした。それに対する反発からか、娘のマリーアは幼くして貴族マラテスタと淫らな恋に落ちた。俺はそれが許せなかった。男を必死でかばう実の娘を、俺はこの手で殺してしまった。
     俺の中でメディチの呪われた血が荒れ狂いはじめていた。
     妻には、娘は悪性の発疹チフスで亡くなったと伝えたものの、エレオノーラは、それから間もなくして娘の後を追うようにして亡くなった。残された俺も、子供たちも、どれも性的にゆがんだところを持っていたようだ。特に三男のピエロがひどかった。奴は、フィレンツェの民衆から「悪しきメディチ」とまで呼ばれ、嫌われる男になってしまった。
     俺は、妻の葬儀の席で、美しく成長したおまえに気付いた。見くびられまいと胸を張る表面の驕慢さの背後に、メディチの血にはない新鮮な輝きを、おまえは放っていた 。)
    (きれいごとを言わないで! あなたは、私が息子を産むや、私から離れていった。あなたがお嫌いになっているご長男のフランチェスコ大公様、あの方のほうがどれだけ実があったか。あの方も、ベネツィアのビアンカ様と道ならぬ恋に落ちられました。でも最後の最後まで、その恋に殉じられました。次から次へと、美女と見れば手を出し捨てる、そんなあなたとは大違い。それを苦しんでいるようなポーズで誤魔化すなんて卑怯です!)
    (お前にそんなことが言えるのか。あの悪しきピエロに抱かれたお前に言えることなのか。
     ピエロは俺の息子だ。お前はあろうことか、俺の息子ピエロに心を寄せていった 。)

     長い沈黙を破るようにエレオノーラが言葉を発した。
    「バルトロメオ、あなたの本当の父は、メディチ家のピエロ様です。」
    「…………」
    「私は十八歳で、コシモ様との間に息子のジョバンニを授かりました。その頃から、コシモ様の思いは、私の従姉妹であるカミーラに移っていったのです。寂しい思いを抱えて暮らす私にやさしい言葉をかけてくれたのが、コシモ様のご子息ピエロ様です。やがて私とピエロ様の間に愛が芽生え、コシモ様は、私とピエロ様の関係を隠すために、部下のカルロに私を嫁がせました。彼は、私的な決闘の末に相手を殺し、死刑を宣告されていたのです。そのカルロにコシモ様は、私との結婚を条件に赦免の提案をなされたのです 。
     ……カルロは命惜しさに私と結婚しましたが、そんな結婚ですから、愛などあろうはずはなく、憎しみだけが日々膨らんでいくような毎日でした。そんななか、ピエロ様との関係が復活しあなたが生まれたのです。もちろん夫は、自分の子供だとは認めようとしません。それどころか、生活は荒れる一方。とうとう給料の遅配に愚痴をもらした召使いを、逆上した夫は、銅貨の詰まった袋で殴り殺してしまいました。
     夫カルロは、この罪で投獄されましたが、同時に獄中から、私をこの修道院に入れることを手配したのです。それが夫にできる、唯一、私への復讐だったのです。」

     フィレンツ大公女ビアンカとエレオノーラとの親交が始まったのはこの頃からだ。
     ビアンカは、エレオノーラに自分の運命を重ねたのだろうか、修道院へ入れられた彼女を面会して慰めるばかりか、日本から天正遣欧使節がトスカーナの地を訪問したときには、少年たちの面倒を見るという理由にかこつけ、彼女をピサまで連れだし、使節が滞在する間、ピサに五泊、フィレンツェで七泊をともに過ごしている。
     ビアンカは、ベネツィアきっての資産と権力を誇る名門貴族カッペロ家の令嬢として生まれた。父であるバルトロメオ・カッペロは、当時の常として、ベネツィア一の美貌に生まれた娘を、カッペロ家の政略の道具として考えていたが、それがベネツィアの一介の銀行員に過ぎないピエトロ・ブオナベンチュリと駆け落ちしてしまった。
     激怒した父バルトロメオは、二人を援助したピエトロの叔父であり、サルビアーティ銀行の支店長ジョバンニ以下、娘の召使いや、駆け落ちに使ったゴンドラの船頭までを捕らえさせたが、特にジョバンニはピエトロの身内でもあり、二人の駆け落ちを手引きしたと考えられ、厳しい拷問にかけられたあげく獄死するに至った。
     二人は、フィレンツェで公証人をしている、ピエトロのもう一人の叔父ゼノビアのもとに身を寄せた。
     フィレンツェは、ベネツィアと仲が悪い。ルネッサンスの歴史の中で、両国は激しい対立と抗争を繰り返してきており、それだけにフィレンツェっ子たちは、この世紀の駆け落ちにやんやの喝采を送った。かくしてピエトロとビアンカは、ゼノビアの家を隠れ家として秘密裏に結婚式を挙げるに至った。
     やがて二人のロマンスは、フィレンツェ中の評判となり、ベネツィア一と言われる美少女を一目見んものと、たくさんの野次馬がゼノビアの家を訪れるに至った。その野次馬の一人に、コシモ一世の長男であり、やがて父の後を継ぎトスカナ公国の君主となるフランチェスコまでが含まれていた。
     フランチェスコはこの時、神聖ローマ帝国皇帝マクシミリアン二世の妹ジョバンナに求婚している最中であったが、この政略結婚での駆け引きのなかで、ビアンカとピエトロの噂に心を動かされ、一目、ビアンカを見ようと、滞在先のバヴァリアからフィレンツェへ引き返してしまった。
     幸いゼノビアの家の近くに、メディチ家の別荘カジノ・デ・メディチがある。フランチェスコは、ビアンカを一目見ようとこの別荘に滞在し、遂にその目的を達成した。
     そして、ビアンカのことが忘れなくなった。ことを察した物知り顔の取り巻き連中が、ピエトロを口説きにかかる。
    「フランチェスコ大公がビアンカを見そめられた。ぜひ謁見させるように」と。
     そうなれば、ピエトロにも莫大な恩賞が与えられるであろうし、大公の保護を受けるようになれば、ベネツィアも手が出せなくなるというのだ。
     ピエトロ自身、ベネツィアきっての遊び人と噂された人物であり、ビアンカにも飽きが来ている頃であり、何より惨めな暮らしに耐えられなくなっていた。そこへメディチ家への仕官と莫大な恩賞が約束されたのだから、ピエトロが心変わりするのに時間はかからなかった。
     ビアンカの思いに関わりなく事が運ばれた。
     この時すでにトスカナ大公は、コシモ一世からフランチェスコ一世に移り、后もハプスブルグのジョバンナをトスカナ大公女として迎えており、かくしてビアンカは、公然としたフランチェスコ一世の側室としてメディチ家に迎えられることになった。
     しかし、后妃ジョバンナは、ハプスブルグの出を鼻にかけるような驕慢な女性であり、教養も低く、後期ルネッサンスの美しい宝石とまで呼ばれたビアンカの教養と美貌とは較べるべくもなく、いきおいフランチェスコの思いはビアンカに偏っていく。
     ジョバンナにはそれが許せなかった。浮気ならまだ許せる。しかし、フランチェスコは結婚前からビアンカを愛しており、結婚してもそれをやめようとはしない。その不満を、ジョバンナは、神聖ローマ皇帝である兄マクシミリアン二世に訴える。
     マクシミリアンは、それを「遺憾である」としてフランチェスコの父であるコシモに訴えることになる。大国ハプスブルグからの訴えに、個人の結婚問題だからと逃げることもできず、コシモは、息子フランチェスコの不行跡を罵る。
     しかし、父のコシモ一世も、このことと前後して十四歳のエレオノーラを側室に迎えている。フランチェスコは「自分のことを棚に上げて」と父を責め、親子でそれぞれの性的不行跡を罵りあう日々が続いた。
     この不幸な結婚生活は、ジョバンナの死をもって破局を迎えた。夫ばかりか社交界での人気までビアンカに奪われ、そのうえ、ビアンカがフランチェスコの子を身ごもったという知らせまでがもたらされた。ジョバンナは、すでに女児を出産していたが、その健康状態から、もう子供を産むことはできないだろうと言われていた。ジョバンナは嫉妬の炎に身を焼き、まるでその噂に挑戦するかのように、翌年五月、未熟な男児を出産した。そして、その翌年にも再び身ごもった。
     ジョバンナは得意の絶頂にあった。これであのベネツィア女を見返してやれると。
     ……が、これが彼女の寿命を縮めた。引き続きの妊娠で極度の貧血状態が続き、ある日、椅子から立ち上がった途端、貧血で大理石の床に倒れてしまい、腹部を強打したものか、出血がひどく、流産したあげくに意識が戻らないまま、帰らぬ人となった。
     ビアンカにとっての不幸は、その後、フランチェスコが、彼女をトスカナ大后妃として迎えたことだ。ジョバンナが嫉妬の炎で、自らの命を縮めた気持ちは、ビアンカには痛いように分かる。女としての自分の気持ちなど認められることもなく、男たちの欲望や政治の道具として振り回されたあげく、嫉妬に身を焼いていったジョバンナ。
     そして、コシモ一世に見そめられ、捨てられ、望まぬ結婚を押しつけられ、あげくには修道院に押し込まれたエレオノーラ。

    「私を慰めるため、修道院に通ってくださるビアンカ様の心には、そんな悲しみがありました。フランチェスコ様の弟君フェルディナンド様は(今の大公様ですが)、そんなビアンカ様のことを、大公女になりたいばかりにジョバンナ様を殺したかのように言いふらす始末です。
    (フェルディナンド様こそ、トスカナ公国を狙っておられた方だというのに……)
     そんななかで、ビアンカ様は、アレッサンドロ枢機卿様と出会われ、私にもアレッサンドロ様のお話をお聞きする機会が与えられたのです。
     今も決して忘れることができません。あのピサで、そして、このフィレンツェで、日本の貴公子方との楽しい集いの合間に、秘かにアレッサンドロ様からお聞きしたイエス様のこと、マグダラのマリア様のこと、そして本当のものを見つけようとする大きな流れがあるということを…………。」 

    孤児たちのルネサンス −トマスの物語− vol.19

    2009.12.16 Wednesday

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      ポンテ・ヴェッキオ
                      (フィレンツェ アルノ川とポンテ・ヴェッキオ)

      19

       フィレンツェ市街はアルノ川によって大きく南北に分けられる。その主要部は北側、つまりアルノ川の右岸に開けた区域であって、この区域にフィレンツエの象徴とも言える巨大なドゥオーモや政治の中枢となるヴェッキオ宮、その他サン・マルコ修道院やサンタ・マリア教会など著名な建造物が集中しているが、トマス等一行がフィレンツェで活動の拠点とするメディチ家のサン・ロレンティアーナ図書館も、またこの区域にあった。
       バチカンのクレメンス八世宛に、フィレンツェ大公フェルディナンド一世から親書が届いたのは、トマスらがサンタンジェロ城塞に忍んだ時から一ヶ月以上が過ぎ、ローマにも春の兆しが訪れてきた頃であった。
       親書には、フランスのアンリ四世と王妃マルグリットが離婚訴訟を起こすだろうことがほのめかされ、その節は「よろしくお取りはからい願いたい」との旨が書かれてある。そして最後に、日本からの留学生たちに、ぜひにでもロレンティアナ図書館を見学させたく、出来るだけ早い機会にフィレンツェへ寄越してほしいと結んであった。
       日本人留学生をフィレンツェに呼び寄せ、メディチ家の蔵書をぜひ見せたいというフェルディナンド大公の背後に、アレッサンドロ枢機卿の動きがあったことは間違いないが、また、フェルディナンド自身、ライバルとも言える兄フランチェスコ一世が、日本からの天正遣欧使節を迎えたことへの対抗心がなかったとは言えない。
      (フランチェスコ大公は、天正遣欧使節の少年たちを迎えて数ヶ月後、妻ビアンカと共に急死している。死因は、食中毒ともマラリアとも言われているが、弟であるフェルディナンドに毒殺されたという説が真実に近いと言えよう。)
       ところで書簡にあるマルグリット王妃だが、彼女はメディチ家からフランス王家へ嫁いだカトリーヌ・ド・メディチの娘であり、そもそもアンリ四世との婚姻はフランスにおけるユグノー派プロテスタントとカトリックとの争いを収拾させるための政略結婚であった。ところが聖バルテルミーの虐殺をはじめとして数々の争乱の果てに、ユグノーからカトリックに改宗することでやっと王位に就いたアンリにしてみれば、今や政略としてのマルグリットの価値は薄れ、却って石女(うまずめと)として世継ぎのつくれない王妃が疎ましくなってもきていた。フランスではたとえ寵姫に何人子供がいようと、サリカ法によって正式な王妃の子供たち以外に王位継承権は認められていない。このため、アンリとしては早々にマルグリットを離婚し、世継ぎをもうけることの出来る女性を王妃に据えることが何よりの課題となってくる。
       その際、メディチ家がどう動くか……離婚が成立するなら、メディチ家としては、新しいフランス王妃をもメディチ家から送り込まなければならない。その条件が満たされなければ、この離婚訴訟は認められるべきではない。カトリーヌ・ド・メディチ亡き今、その娘マルグリットさえもがフランス王妃の座を降りるとなれば、メディチ家は、せっかく築いたフランスへの足がかりをすべて失うこととなる。
       ローマ教皇クレメンス八世にしたところで、アンリがカトリックへ改宗し、ホッとしたのも束の間、そのアンリが、ユグノーの信教の自由とその公民権を保証するべくナントの勅令を発したのだから、「奴の改宗は見せかけだったのか」と危機感を膨らませ、このうえはメディチと連携して、しっかりとフランスを押さえにかからねば……と思ったのも無理からぬことではあろう。
       今のメディチ家にその力があるかどうかは別として、メディチ家当主フランチェスコとしては、法王がフランスに抱く不信感を大いに利用するべきだと考えた。この離婚が有効か無効か、決められるのはローマ教皇以外にはない。早い話がアンリがメディチ家以外からフランス王妃を迎える気なら、マルグリットとの離婚は認められるべきではない。
       フランチェスコがクレメンス八世に当てた書簡には、そんな事情と思惑が隠されていた。
       クレメンス八世のメディチ家に寄せる期待が影響したのだろうか、トマスとミゲルのフィレンツェ行きはすぐに許可された。おまけにメディチ家出身のバルトロメオが、二人の案内役として同行することとなった。



      「オルトラルノって、どんな意味なんだい?」
       ミゲルの問いかけにもバルトロメオは口を閉ざしたまま。先を歩くアルメーニ──彼はアレッサンドロ枢機卿が用心棒を兼ねてローマから付けてくれた従者だが、普段は陽気というか暢気というか、人の心に気を配ることなど考えていないという男なのだが、それが珍しくバルトロメオの顔色に気を遣い、この時もまるで彼の代わりとでも言いたげに答えた。
      「フィレンツェの南側は、オルトラルノ、つまりアルノ川を越えた場所(オルトレ=越える+アルノ)という意味の名前が付けられております。昔はアルノ川南岸に住むことはレベルの低いこととされておりました。それがコジモ一世の奥方が結核を患い、このアルノ川南岸が穏やかで身体に良く、ここで暮らせば回復にもつながるだろうと、ピッチ宮を買い取り、居を移されることとなったのです。今から五十年前のことですが、それからこの地区は急速に発展を遂げたと言われております。」
       トマスとミゲルは、そんなアルメーニの説明を聞きながら、モンテ・ベッキオ橋を南に渡り、アルノ川に沿って西へ西へと歩を進めていた。目指すオノフリオ修道院は、このオルトラルノ地区の西のはずれにあるはずだ。フランチェスコ大公には行く先は告げていない。「オノフリオ修道院に行くときは、フランチェスコ大公にはくれぐれも内緒にしておくように」と、アレッサンドロ枢機卿から固く注意されていた。
       今朝も、「フィレンツェの街を歩いてみたい」という四人に、宿泊先のロレンティアーナ修道院の院長は、「フランチェスコ様から言われております。ぜひ馬車で行くように」と勧められたのだが、連日の歓迎と見学にうんざりしていた四人は、フィレンツェを自分の足で歩いてみたいと丁寧に断り逃げるようにして出てきた。
       しかし、目的地が近づくにつれ、バルトロメオの顔が次第に険しくなってくる。
      「バルトロメオは母親に会うのがうれしくないのだろうか。」
       フィレンツェに来てからというもの彼の様子が変だ。今日も出発する直前になって「自分は行けない、三人で行ってくれ」と言い出す始末。それを三人してなだめるようにして引っ張り出してきた。
       気付けば、バルトロメオはまたも皆からずっと遅れて随いてきていた。 

      孤児たちのルネサンス −トマスの物語− vol.18

      2009.12.16 Wednesday

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        モンセギュール城
                (カタリ派の最後の砦 モンセギュール城/南フランス・ラングドック)


        弟3部

        18

        一二二九年
         トマスらがフィレンツェを訪れたのが一五九九年だから、一二二九年というと更に三七〇年も遡ることになる。その年の四月二日のこと、場所もパリのノートルダム寺院。といっても聖堂はまだ完成しておらず、竣工まではまだ六年を待たなければならず、ようよう全貌を現したその外壁も作業のための足場で覆われていた。
         セーヌ川を見下ろすこの教会の正門前に、公開処刑のための木組みの舞台が組まれている。上には上半身を裸にされた男が、ローマから派遣された教皇特使の前に跪いている。
         その裸の背中に鞭がうなった。痛みからというより、屈辱と怒りのため、男の顔が赤く染まった。教皇特使は、そんな男に、ローマ教皇への服従を誓わせる。その間も、鞭は手加減なく男の背中に振り下ろされ、特使は、まるで男の憎悪と屈辱感を味わうかのようにその顔をのぞき込んでいた。
         男の名は、トゥールーズ伯レーモン七世。西はピレネー山脈の麓から東は地中海沿岸のコート・ダジュールに及ぶ南フランス一帯を支配下に治める大領主である。支配地域の広さもさることながら、この地は、地中海貿易の交易品を北欧につなぐ重要な位置を占めており、その経済的な繁栄が、トゥールーズ伯に、フランス国王に対抗させるだけの力を持たせていたと言えよう。
         つまりは、北フランスにあるフランス国王にとって、この地域を制圧しないかぎり、フランスの統一はあり得ないと言うことだ。しかも、「北」と「南」では文化もまるで違い、とても一つの国という感じはない。たとえば言葉の問題一つとっても、フランス語で「諾」にあたる言葉は「ウイ」であるが、南フランスでは「オック」となる。このため、南フランス一帯は「オック語を話す地域」の意味でラングドック(ラング・ド・オック)と古くから呼ばれ、北フランスとは一線を画していた。
         それはさておき、ではなぜ、南フランス一帯を支配下に治めるレーモン伯が、屈辱的な鞭打ちのもと、ローマ教皇への服従を宣誓させられていたのだろうか。
         この地域は古くからカタリ派キリスト教徒の活動の拠点であった。というのも、この地が地中海交易の物産を北欧へつなぐ中継地点だったため、回教徒、ユダヤ教徒、キリスト教徒などが行き来し、あるいは定住し、宗教的に寛容な地盤が形成されていた。しかも、カトリックの堕落した僧侶を見慣れている目には、カタリ派の人たちの清貧に徹した生活ぶりは新鮮であった。他に対してその教えを強要することは絶対になく、気づいた者だけが行えばよいのであって、気づかない者は、まだその時期が来ていないと考える。
         だから、カトリックのように「金を稼いではいけない」「金を稼ぐことは罪だ」などとは言わない。この態度に、商業を基盤とするこの地の多くの貴族や商人が心を開き急速にカタリ派の教えは広まっていった。
         この頃のヨーロッパは、異端運動(バチカンから見ての話だ)が全盛となった時期である。各地に相次いで出現した異端運動のなかでも、カタリ派は組織立った、息の長い活動によって群を抜いている。独自の司教、典礼、教義をそなえてカトリック教会の攻撃と迫害に耐え、一二世紀の後半までに、バチカンからみて「もっとも邪悪で、もっとも強力、もっとも危険な」異端といわれるほどの成長をとげていた。
         このため、バチカンはカタリ派を目の敵にした。これを許せば、バチカンによる支配体制が根本から崩れてしまう。そして、その最大の拠点とされ、その排除が最も困難とされた地域が、この南フランス一帯なのだ。カタリ派を支持する領主たちは、バチカンの要請であろうと、これをむやみに迫害する愚を犯さず、むしろ正統と異端とのあいだで、討論集会のような催しをしばしば開催した。領主の主催によるこの種の集まりは、数人の審判者を立てて公開で実施され、たいての場合は妨害もなく整然と進行したという。
         つまりは、領主たちは、どちらか一方に荷担するのでなく、討論によって何が真実かを導き出そうとしたのだ。そして多くの場合、カタリ派が優勢となった。しかも、着飾ったカトリックの僧侶が、質素な衣を身にまとう女性の完徳者に歯が立たないというケースが頻出し、民衆はますますカトリックから心を離していくことになる。
         そんな領主の中で、最も大きな力を持っていたのが、トゥールーズ伯レーモン六世、つまり、今、ノートルダム寺院前で鞭打ち刑を受けるレーモン七世の父親であった。
         一二〇八年一月、バチカンはレーモン伯を糾弾すべく教皇特使ピエール・ド・カステルノーを彼のもとに派遣した。それがあろうことか、ローヌ河畔のサン・ジルで暗殺されてしまった。確たる証拠があったわけではないが、犯人はレーモン伯の家臣とされた。これ以前、ランスの公会議で、異端は「大逆罪」であり、「異端の幇助者はその領地を没収されるべき」ことが決められていた。
         ローマ教皇は、フランス国王に対し、ラングドックへ十字軍の派遣を要請した。フランス国王にとっても、これを機に南フランスを制圧することができる。バチカンはバチカンで、カトリックに対する最大の驚異を取り除くことができる。こうして両者の利害が一致し、一二〇九年七月、イスラム教徒に対してでなく同じキリスト教徒に対する初めての十字軍が、リヨンからトゥールズを目指し南下を開始したのだ。
         所謂、第一次アルビジョア十字軍と呼ばれるものだが、戦いは二十年におよび、国土は疲弊し、民衆の困窮も限度となった。戦いの当事者も、レーモン六世からレーモン七世へと移り、フランス国王もフィリップ・オーギュストが死亡し、幼いルイ九世がこれに代わった。ことここに至り、遂にルイ九世の母ブランシュ・ド・カスティーユと教会側の提案を受けて、レーモン七世が和平交渉に踏み切った。国土が荒らされたとはいえ、南部は勝利しないまでも全面的に敗北したわけではない。北部の方でも、南部の武力制圧には多大の犠牲が必要なことを思い知らされたのである。
         にもかかわらず、和平交渉のためモーへ赴いたレーモン七世を、フランス側は監禁し、随行者を人質とした上で、「モーの協約」を押し付け署名させてしまった。本文はレーモン伯の誓約として一人称で書かれ、伯だけが署名する形であったという。
         この協約によって、レーモン伯の領土は半分以下に減らされ、さまざまの名目で莫大な賠償金も支払わねばならず、三一箇所の城あるいは城砦都市が解体され、それ以外の九箇所には十年間、フランス国王の部隊が駐屯することになった。異端の撲滅がきびしく命じられたのはもちろんとして、レーモン伯の負担のもと、カトリックの教育のためトゥールーズ大学の設置が定められた。
         しかし、協約の眼目は、当時どちらも九歳であったレーモン七世の娘ジャンヌと、王ルイ九世の弟アルフォンス・ド・ポワティエとをめあわせ、ジャンヌを伯の唯一の相続人とすることであった。伯領はいわば嫁資として王家に差し出されたのであって、言い換えれば、事実上フランス領に併合されたということであった。この屈辱的な協約に署名し、王と教会に死にいたるまで忠実であることを誓わせられたあと、レーモン七世はパリ、ノートルダム寺院前庭での鞭打ちの儀式に引き出されたのである。
        「あれだけの人間たちと、あれだけの国々を相手に、こんなにも長期間抵抗してきた男が、シャツと股引のまま、足もあらわに祭壇に引き出されるのは、見るも哀れであった」と、年代記は語っている。

         同じ頃、パリの修道院にトマスという名の少年が預けられた。
         トマスは、レーモンの長男である。ジャンヌの二卵性の双子の弟として生まれた。生まれついての聾唖であったため、彼が三歳になったとき、乳母の実家に預け育てさせることにした。「農家の子として幸せに人生を全うしてくれれば」とのせめてもの親心であったが、フランス側は、わずかでも伯領を継承する可能性のあるトマスを、パリのシトー派修道院に預けさせることをも要求してきたのだ。
         レーモンはこの屈辱を忘れなかった。
         そして、カトリック側も過酷な迫害と、陰険な密告制度を導入したにも関わらず、南フランスからカタリ派を払拭することはできなかった。やがて、第一次アルビジョア十字軍の終結から十四年後、モンセギュールに籠城したカタリ派と第二次アルビジョア十字軍との間に、凄絶な死闘が再開されることになる。

         レイモン七世の不遇の息子トマスは、十六歳になるまで、パリの北方に位置するシャーリ修道院に預けられた。このシャーリ修道院は、一一三六年にルイ六世肥満王が創建したシトー派修道院で、後に聖王とあだ名されるルイ九世も頻繁に訪れたという。
         というのも、第一次アルビジョア十字軍に勝利したものの、フランス南部は、密告制度と異端審問所の厳しい摘発にも関わらず、依然、カタリ派の勢力を払拭することができない。また、そのカタリ派の脅威を背景に、モーの協約を不当とするレイモン七世が再び大規模な反乱を起こし、この反乱をイギリスが後押しするという始末。今回は何とか鎮圧できたものの、フランス南部という火種を抱えているかぎり、フランスを虎視眈々と窺っているイギリスや、アンチクリストの異名を持つ神聖ローマ帝国皇帝フリードリッヒ二世が、いつ牙をむいてくるとも限らない。
         何としてもフランス南部を制圧しなければ、そして、そのためにはカタリ派を一掃しなければならなかった。カタリ派の一掃は、目的でもあり、フランス南部を制圧するための大義名分でもあった。このため、ルイはカタリ派に対抗させるため、バチカンと一緒になってシトー派に肩入れするようになったのである。
         しかし、バチカンがカタリ派に対抗させたシトー派やフランシスコ会、それにドミニコ会にしたところで、最初からバチカンの尖兵だったのではない。最初は、カトリックの僧侶や教会の堕落を攻撃することを看板に掲げ歴史の舞台に登場してきたのだ。
         たとえばシトー派は、奢侈に流れた既存の修道院に反発して、一一世紀初頭にブルグンドのシトー(ブルゴーニュ地方)に設立されたのが始まりだという。その後シトー派は、やはり僧侶の堕落に嫌気のさしていた北ヨーロッパの人たちの支持を得、大きな政治力を発揮するまでに成長していった。同じ頃、やはり僧侶や教会の奢侈に反対し、フランシスコ会やドミニコ会が誕生した。教会の華美・荘厳を批判し、豪華な衣に身を包み、美食におぼれるカトリック僧侶に非難の声をあげる修道会は、ややもすればカタリ派と同じ異端視されてもおかしくはない。が、バチカンはこれらの修道会を弾圧するのでなく、かえってカトリックの正式な認可修道会に指定し、その修道会士を異端審問官として使うことで、ヨーロッパ南部を覆った異端カタリ派に対抗する勢力として利用しようとした。既存のカトリック修道会には、カタリ派に対抗できるだけの力も、人気もなかったのである。
        「毒は、毒をもって制す」ということだろうか。
         この策は功を奏し、これら修道院では、異端とは何か、正統とは何か、異端を見極めるにはどうすればよいのか、異端者を改宗させるにはどうすればよいのか……それらの学問や研究が盛んとなり、やがてこれら修道会は理論武装した、カトリックの尖兵となってカタリ派をはじめとする異端の撲滅と摘発に大活躍することとなる。
        そんなシトー派修道院、それもルイ九世の庇護するシャーリ修道院で、トマスは一番多感な時期を過ごした。トマスにとって幸いしたのは、修道院院長の存在だった。
         院長は宗教家というよりも、どちらかというと学者だった。トマスの肉体的ハンディに対しても冷淡ではなく、むしろ同情的であった。トマスの「聞こえない」「しゃべれない」というハンディを、口の形を覚えさせることで、ともかくもしゃべれるようにした。
        ただ、アクセントを無視し大声でしゃべる様子は、何か異様に不自然であり、時に痴呆のようにさえ見られた。しかし、そんな外面に反比例して、トマスの頭の中は、「神学」「哲学」「歴史学」「修辞学」等々、ありとあらゆる知識の宝庫となっていた。
         院長は、聞こえないというトマスのハンディを「読む」ということ、「書く」ということで補わせようとした。トマスは口の形からしゃべることを覚えさせられると、写字生としての教育を院長直々に受けることになった。院長は、字の形を音にしてしゃべるよう、トマスに教えた。文字を見て、次に院長の口の形を見て、その音を真似る。それが出来ると文字を書き写した。その繰り返しが毎日続けられ、こうしてトマスはいつしか写字生となった。最初の頃、図書室からはトマスの異様な言葉が流れ続けた。仲間の修道僧たちは辛抱強く耐え、やがてトマスも文字を口にすることなく写せるようになった。
         そんなトマスの平和が崩れるときが来た。
         トマスが十六歳になったとき、院長が亡くなった。
         新しく来た院長は、トマスのすることなすこと、そのことごとくを嫌った。新院長は美しいものを好んだ。神は、自分の姿に似せて人間をつくった。だから美しい人間は、神に最も近いという理屈だ。醜い者や五体が不満足な者は、それだけで神から呪われた存在である。いつも人の口元を覗き込むようにしているトマスの所作は美しくない。見苦しくさえあった。その話し方は美しいどころか、聞き苦しく、新院長には、それはサタンに心を奪われた者の所作としか捉えることが出来なかった。
         院長は、トマスのことを
        「自分の中からサタンを追い出せば、聾唖は自然と癒されるはずだ。いつまでもそのままである者は、自分がサタンを引き寄せている、いや、サタンを離そうとしない罪深い人間である。おまえの父親が、教会に対し、ルイ国王陛下に何をしているか。まさにサタンの所行ではないか。その償いをおまえが果たすのだ。」
         院長は、そう言ってことあるごとにトマスを鞭打った。またトマス自らにも、朝夕に鞭打ちの苦行を課した。
        「自らを鞭打ちながら、神に許しを乞え。おまえとおまえの父親のしていることを神に懺悔するのだ。痛みと血が、いつかその罪を浄化してくれるであろう。」

         トマスは、修道院からの脱走を決意した。城でも、牢獄でもないのだから、別に難しいことではない。晩課が終わり、みんなが寝静まるのを待って抜け出せばよいことだ。
         物乞いしながらでも南を目指せばよい。父のもとへ帰れば迷惑になるだろうか。父のレーモンは、モーの協約を不満として反乱を起こしたが、結果は惨敗だった。加勢したイギリス国王ヘンリー三世はボルドーに逃げ、父レーモンはモーの協約を忠実に実行することをあらためて誓約させられ、一命をとりとめた。一二四二年十月、いわゆるロリスの和平といわれているものだ。そこへ人質となっている息子が逃げ込んだとなれば……
         父のもとへは帰れない。かといって、このまま我慢することも出来ない。もうここに居るのはいやだ。もう、一日でも居たくなかった。父には悪いと思いながら、食堂で盗んだわずかの残り物を頬張りながら、トマスは修道院を抜け出した。
         しかし抜け出した途端、騎馬の一団に遭遇し、あっという間に捕らえられた。
        「修道士がこの夜更けに、村へ女でも漁りにいく魂胆か!」
        「あ・や・し・い・も・の・で・は……」
        「なんだ、その話し方は? 怪しくないわけがなかろう。……殿、いかがいたしましょう。いっそ殺してしまいましょうか。」
        「坊主の首を刎ねても自慢にはなるまい。それに俺たちがここへ来た目的は、まさにこの男に会うためだ。この男、レイモンの息子トマスに違いない。坊主殿、いかがでござるかな……?」
         トマスは、闇の中で、必死に騎士たちの口元に目を凝らした。
         確か「トマス」と言ったようだ。俺の名前を知っているのだろうか。
        「ト・マ・ス、トマスです!」
        「大声を出すな、みんな起きてしまうぞ。せっかく忍んで来たというに。」
         男の名はルイ九世、新院長となってからは初めての訪問だったが、それにしても修道士たちが寝静まった頃を見計らって、わずかの供回りだけを引き連れての来駕とあっては、参詣というわけでもなさそうだ。
        「殺してはならん。この男には、これから働いてもらわねばならん。今宵、この修道院を訪ねたのも、この男が目当て。それがいきなりの出会いとは……」

         ルイは、トマスをモンセギュールへ送り込むことを考えていた。
         モンセギュールは、カタリ派の人々にとって信仰生活の中心である。
         モーの協約以後、密告制度が導入され、異端の罪は家族にまで及び、たとえ死後であっても異端者とわかると墓が暴かれ、死体は見せしめのため町を引き回され焼き捨てられた。このようにカタリ派への弾圧は熾烈を極めたが、にもかかわらず、バチカンもフランスも、カタリ派をラングドックから一掃することができなかった。
         それは領主であるレーモン七世がカタリ派の弾圧に力を入れなかったこと、また外部から来た異端審問官たちの峻厳さが、かえって人々の愛郷心と自専心を煽り立て、その結果、現地のカトリック修道会さえ「異端撲滅」というスローガンにそっぽを向いてしまったことがあげられる。バチカンは、現地の修道会の頭越しに、主にドミニコ会士を異端審問官としてラングドッグへと派遣したのだ。
         これに反しカタリ派の結束は堅く、人々は、助け合い、かばい合いながら迫害の嵐をやり過ごそうとしたのだが、日々に激しさを加える異端審問の前に、モンセギュールを信仰の最後の砦として集結するに至った。
         モンセギュールは、もとは、フォワ伯の封臣レーモン・ド・ベレイユの所領であった。
         それが今から三十年ばかり前、カタリ派側の申し入れによって、それまで廃墟に近かったこの城が信者の利用に供されるようになった。城の改築はカタリ派の経費負担で進み、その設計には彼らの考えが織りこまれたといわれる。
         高くそびえ立つ断崖に四方を囲まれた天然の要害ともいうべき地理的条件が幸いして、第一次アルビジョア十字軍の間でさえ、モンセギュールは安全な信仰の場所であり続けることができた。
         カタリ派信者たちは、苛烈な異端審問体制のもと信仰の火を絶やさずにいるため、このモンセギュールを、信者の力が集中する最後の砦として設定したのである。
         一二三二年のある日、カタリ派の主だったメンバーが、領主のもとを訪ねた。モンセギュールを決定的にカタリ派の本拠地とすべく、ひたすら懇願を重ねるためであった。
         承諾することは、フランス国王に対する反逆と見なされても仕方がない。領主は長くためらった末、ようやく承諾の回答を与えたという。
         これ以降、異端審問から逃れた人々や騎士たち、それにカタリ派聖職者たちのモンセギュール定住が開始され、城の改築に加え、人事・組織においてもカタリ派運動の再整備が進められ、モンセギュールは、カタリ派の教えが厳密に保持される場所として、また最後の砦として名実ともに信仰の中枢となっていった。
         ラングドック各地から危険を冒してここを訪れた信者の数は、この時期総計千人を超えたといわれ、死に瀕した身体ではるばる運び込まれて来た人も少なくない。ここで高名な完督者の手でしかるべき臨終の救慰礼にあずかること、すなわち「モンセギュールで死ぬ」ことが、帰依者にとって最高の喜びとなっており、切り立った岩の上にそびえるモンセギュールの城砦はそのまま、荒波のなかでの「箱舟」、南部の人々のまなざしが吸い寄せられる霊的中心となっていたのである。

         ルイは、このモンセギュールへトマスを送り込もうというのである。
         トマスが、レーモン伯の隠された子供であるということが、この計画を容易いものにするであろう。何もトマスをスパイに仕立てようと言うのではない。ルイがトマスに望むことはただ一つ、生きて帰ってくること、それだけである。
         ルイは、ローマとも協議の上、既に第二次アルビジョア十字軍の派遣を決定している。
         この戦いに負けるつもりはない。時間はかかるだろうが、決して負けることはないだろう。ルイの懸念するのは、むしろ戦いの後のことだ。何としてもフランス南部を支配体制に組み込まなければならない。それなくしてフランスの統一はない。
         そのためにはカタリ派を知らなければならない。フランス南部の人間が、フランス南部の領主が、騎士が、何に心を動かされたのかを知る必要があった。
         聾唖ゆえにレーモン伯の本当の息子と認められなかった男が、パリのシャーリ修道院に預けられている。ルイが、このことを知ったとき、彼はこの計画を思いついた。
         ルイは、トマスに向かって言った。
        「汝は、この修道院から逃げたいのか?」
         トマスは黙って頷いた。
        「どこへ逃れる気か?」
        「…………」
        「どこへ逃げるかも考えておらぬのか。では汝に命ずる。モンセギュールへ逃げよ。そこでカタリ派の者と暮らせ。そして、しっかりと学んでこい。ただし死ぬことは禁ずる。間もなく我々はモンセギュールを攻める。激しい戦いとなるだろうが、おまえは、何がなんでも死んではならぬ。生きて私の前に戻ってくるのだ。
         ……そう言えば、たしか私の弟に嫁いでいるジャンヌは、おまえの双子の姉ではなかったのかな。もしおまえが死ねば、姉のジャンヌもどうなるか分からぬぞ。よく言うではないか。双子は一心同体だと……」
         トマスの顔に、一瞬、小さな憎悪の影が走った。力のある者の前で、憎しみや怒りを現すのは利口なことではない。トマスはあわてて自分の心を押し隠した。
         ルイは、そんなトマスの前に小袋を投げ出した。
        「当座の費用だ。トマス! わしの言うこと、分かったのだな。何をせずともよい、ただモンセギュールへ逃げ、カタリ派の者たちと共に暮らし、話を聞き、感じ、生きてわしの下へ帰ってくること、それが、これからのおまえの役割と心得よ!」
         トマスは恐る恐る頭を下げ、小袋を拾うと、しばらく後ずさりしたあと、逃げるようにその場から走り去っていった。
        「殿、あの者、本当にあれで分かっているのでしょうか?」
        「ヤツは、おまえの思っているようなバカではない。
         ……ところで、トマスと会ってしまえば、もう修道院に用とてないわけだが、せっかくここまで来たのだ。一休みしてまいろう。そろそろ朝課の時刻、トマスのおらぬことに気づいて騒がれるのも厄介だ。気づかれる前に院長には話しておかねばなるまい。」
        「あの男では、むしろ厄介払いができたと喜ばれるでしょうな。」
         

        孤児たちのルネサンス −トマスの物語− vol.17

        2009.12.15 Tuesday

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          エルサレム神殿
              (新約聖書時代のエルサレム神殿/H・ヴァンサン神父による想定図 1956年)

          17

          「この一月から、俺の異端を告発すべくベラルミーノ枢機卿が異端審問委員長となった。彼は、君たちが日本へ持ち帰るべき書誌目録作りを指導しているのではなかったのかね。」
           ブルーノが唐突に口を開いた。
          「奴はいろんな意味で優秀だ。俺にかけられた二六〇を越える異端嫌疑項目の中から、バカげた意味のない告発内容を無視し、そのうえで、俺の著作や俺の思想のみに焦点を絞って責め立ててきた。バカげた告発内容なら、のらりくらりとかわすことも出来る。私が間違っていましたと、何度だって奴らに頭を下げてもやれる。しかし、今や俺の思想が、俺の哲学が問われている。これを否定することは、自分を否定することに他ならない。
           …………にもかかわらず、俺は否定してしまった。徹夜で両腕を後ろ手に縛られ吊される拷問の中で、なんとかこの状況から逃げ出したい一心だった。『もし法王庁、ならびに諸卿がこの考えをどうしても異端であると言われるならば、そして法王もかく考えられ、神の御心もかく思し召されるのであれば、撤回する用意がございます』と……。」
          「その考えとは、宇宙の無限ということを指しているのですか?」
           バルトロメオが問いかけた。
          「その通りだ。加えて人は輪廻するということ……、そしてイエスもまた人間だということ。このことだけは、どんなことがあっても譲れないと思っていたが、それを俺は……」
          「師は言われました。言葉はどうにでもなる。いくら言葉や理論で相手を言い負かせたとしても、その人の思いを変えることは出来ない。心まで支配することは出来ないと。」
           バルトロメオが無駄と知りつつ、師のブルーノを慰めようとでもするかのように言葉を挟んだ。
          「肉体とは弱いものだ。肉体はその本性として、これを守ろうとする。そのために痛みがある。それでも俺は、精神が肉体を超越することができると思っていた。
           日本からきたトマスよ、このことは君が探しているシクストゥス聖書とも、あながち無関係ではないのかも知れない。……君はキリストの誕生をどう考える。処女懐胎をどう考える。」
          「……私の学んだ『ドチリナキリシタン』には、《人の業ではなく、ただスピリツサント(聖霊)の計らいたもうことなればスピリツサントより宿され給う》と記されてあります。」
          「そんな馬鹿なことはない。肉体は肉体の法則に従わざるを得ない。キリストの神性と彼が人として生まれたことを混同してはいけない。奴らはキリストを神として祭り上げようとする。その上で、キリストを頂点とする教会のヒエラルキーを確立し、人の世界を支配しようとする。だからキリストは人であってはいけない。そこから処女懐胎というバカげた伝説を作り出した。神と、その子イエス、そして聖霊が、三つにして本質は一つだというような三位一体というまやかしを考え出した。この三位一体という思想を生み出したのも、トマスという男だ。そこにはいかにして教会の権威を守るかという思想しかない。その思想は、教会が、そしてローマ教皇が、人の世を支配するための道具でしかなかった。
           しかし実際はどうだろう。イエスはヨセフとマリアの子として生まれた。人間の子として生まれたのだ。だからこそ人の苦しみをわかった。人の弱さを知っていた。イエスが人として苦しみ抜いた末に行き着いた教えだからこそ、彼の説く教えは人々の心に染みこんでいった。それが本当のところではなかったろうか。
           俺は、イエスの偉大さは、厳格で許すことを知らないユダヤ教の教えの中から、許すという愛の教えを生み出したことにあると思っている。それは彼が人の子として生まれ、人の弱さ、悲しみを知り抜いていたからこそ出来たことだ。イエスの誕生は、神の受肉でも、ましてイリュージョンや方便でもなく、歴史的な事実だ。イエスは紛れもなく一個の人間として生まれた。そして、その自分こそが他ならぬ神の子であり、ひいては、すべての人が神の子だという自覚を持つに至った。それがイエスの説いた教えの中心だと思う。
           その教えを書き換えた奴らがいる……。
           パウロやペテロ、それにマタイやルカが著したとされる四大福音書といわれるものは、教会が人々を支配するための道具として使われてきた。また道具とするために、聖書は書き換えられてきた。そう考えてまず間違いはないだろう。
           ……さて、いよいよもう一人のトマスについて語る時が来たようだ。君はこの四大福音書と言われるもののほかに、『トマス福音書』や『マリア福音書』なるものが存在したことを知らなければならない。 」

           トマスにとっては初めて聞く話ばかりだった。初めて聞くというより、今まで聞いてきたイエスの姿とまるで違っていた。母から聞いた話とも、右近から聞いた話とも、セミナリオのオルガンティーノ神父から聞いた話とも違っていた。それでいて反発を感じるどころか、不思議にトマスの心に染みこんでいった。
           そんなトマスの心に、ブルーノは、まるで別の器に水を移し替えでもするかのように話し続けた。

           イエスが処刑された後、キリストの教えは、ユダヤ教の一派として存続していた。キリストの弟子たちは、イエスが立ち向かった宗教的権威……その象徴ともいえるエルサレムの神殿で祈りを捧げていたのだ。なぜなら、多くの弟子たちが、そうすることこそ唯一キリスト教が生き残れる道だと知っていたからだ。
          「仕方がないことだ……」と。
           しかしこのことに異を唱え、ユダヤ教会に牙をむいた男がいた。イエスの死後、弟子となったギリシャ系ユダヤ人ステファノだ。
           彼は、「イエスはこんなことをしろとは説かなかった!」と仲間を批判し、ユダヤ教の神官たちを非難した。
          「イエスの教えは、一部のユダヤ人だけのものではない。イエスの教えはユダヤ教の律法に縛り付けられてはいけない。割礼を受けたものにも、割礼を受けない異邦人にもあまねく知らしめられるべきだ。それこそイエスの望まれたことだ」と。
           ユダヤ教には、ユダヤ人こそ神に選ばれた民だという選民意識がある。そして神に選ばれたユダヤ人である印に、ユダヤ人男子は割礼を受けねばならない。それが神との契約であり、割礼を受けない異邦人にユダヤ教を伝えることは律法が厳しく禁じていた。キリスト教がユダヤ教の一部である限り、世界の人々に神の愛を伝えることは出来ない。ステファノはまた言う。
          「ユダヤ教の神殿に神などいない!」と……。
           ステファノは、その過激さゆえに、やがてユダヤ人の手によって告発され、神殿前の刑場に引かれていき石打ちの刑によって殺された。
           見せかけの平安は終わり、再びユダヤ教徒によるキリスト教徒の迫害が開始された。ステファノを殺した民衆は、醒めやらぬ殺戮の興奮と怒りに支配されたかのように、イエスの弟子たちの隠れ家を襲った。そんなユダヤ人迫害者の中にパウロもいた。パウロは信徒たちを誰彼かまわず捕らえては牢へ放りこんでいく。それでも飽きたらずローマへと逃げる信徒たちを追ってダマスコ近くまで来た。そのときパウロは、突然、光に打たれて目が見えなくなった。
           このときだ、パウロが神の声を聞いたというのは。そして己の過ちに気づき、ユダヤ教を捨てキリスト教に改宗したという。『パウロの回心』として知られている事柄だが、パウロはこの後、ステファノの意志を受け継いだかのように、ユダヤ人以外の異邦人たちにキリスト教を伝えて回る。この伝道の旅は、ユダヤ教の迫害をはじめ、伝えた先々での様々な現地宗教からの迫害を伴った。
           パウロは言う。
          「私は投獄され、鞭打たれ、死に面してきた。私たちは極度に耐えられないほど圧迫されて生きる望みすら失ってしまい、心の内で死を覚悟し、自分自身を頼みとしないで、死者を蘇らせる神を頼みにするに至った」と。
           そしてローマに赴き、ここで皇帝ネロのキリスト教徒迫害により殉教することになる。狂ったネロは、己の気に入った世界を創造すべく古いローマの街に火を放った。そして、その罪をキリスト教徒に着せローマ市民の不満を血なまぐさい処刑騒ぎで有耶無耶(うやむや)にしようとしたのだ。ローマの競技場は、キリスト教徒たちの処刑場となった。彼らは生きながら獅子に食われ、生きながら照明代わりに油を塗られ燃やされていった。そんな迫害の中、ローマに布教に来ていたペテロさえ逆さ磔となって殉教した。
           こうして誕生したばかりのキリスト教は、革新的なパウロと穏健派のペテロという二つの支柱を同時に奪われたわけだが、ネロ以後もキリスト教徒の迫害は止むときがなく、ローマのキリスト教徒たちは数々の迫害を耐え抜き、やがてコンスタンティヌス大帝に至って、やっとその庇護を勝ち取ることができた。
           コンスタンティヌスが、そのライバルであるマクセンティウスと戦うに当たって、いまやローマ中に広がったキリスト教を、ローマの民心を一つにするために利用しようとしたのだ。
           西暦三一二年のある日、戦いに赴こうとするコンスタンティヌスは、空中に十字架が浮かぶのを見たという。彼は、これをキリストの加護とし、クルスの旗を押し立てて戦いに挑んだ。これまで隠れてキリストを奉じてきたローマの民心は奮い立った。
           おかげでコンスタンティヌスは、マクセンティウスをミルウィウス橋の戦いで撃ち破ることが出来、その翌年、古代ローマ帝国内でのキリスト教信仰を認めたミラノ勅令が発せられた。
           これによって、キリスト教はローマの国教とされ、それにふさわしい形が整えられ世界宗教としてスタートすることになる。
           数々の犠牲の上に、漸くステファノやパウロの希望が叶えられるに至ったわけだ。
           ……が、恐らくこのとき、聖書が書き換えられたのだと思う。
           まず、イエスだが、彼は神の一人子として神と同等の位置に置かれることになった。皇帝を神と祭ってきたローマでは、イエスの神格化は必要な措置と思われたのだろう。また安息日がユダヤ教の土曜日から日曜日へと変えられた。ローマ人の太陽神崇拝への迎合からだろう。そしてもっとも大きな改竄にあたる、「人は輪廻する」という思想が教えからそぎ取られた。国王やローマ教皇の過去世が羊飼いや乞食ではまずいというわけだ。またキリスト以後、神の声を聞く者はサタンとされた。ローマ教会以外に、神の声を代弁する者が現れては教会の権威が失墜するというわけだ。
          「これが君の国へ伝えられたカトリックの起こりという訳だ。だがトマスよ、キリスト教はローマに伝えられた以外に、エジプトに逃れたグループとエルサレムに残ったグループがあったことを忘れてはならない。」
           イエスの死後エルサレムに残ったグループは、ユダヤ教との様々な軋轢を経てその一部となり、やがてユダヤ王国がローマとの戦いで滅びると共に自然消滅した。しかしエジプトに逃れたグループは、恐らくマグダラのマリアを中心にイエスが語った言葉を伝え、やがてグノーシス主義という神秘思想と結びつき、あるいはゾロアスターに影響を与えマニ教を生み出し、逆にこれがキリスト教に影響を与えたりと、様々な変容を伴いながらも、次第にローマンカトリックを脅かす存在となっていった。
           この流れの中から、やがてキリスト教最大の異端と言われたカタリ派も生まれてくることとなる。
          「マグダラのマリアと言われるのは、イエスに救われた娼婦ではなかったのですか?」
          「ローマの奴らが言っているだけだ。マグダラのマリアが娼婦だったとはどこにも書いていない。むしろイエスの一番近くにあって、彼の身の回りから、教壇と言えるかどうか、ともかくも彼女はイエスのグループの経済をも支えた人間だ。恐らく裕福な家庭の娘だったのだろうが、彼女の存在はそればかりでなく、イエスの妻という立場にあった人だったとも考えられる。」
          「イエスに妻がいたなんて信じられません。」
          「なぜ信じられない。彼が神の一人子だからか。彼は普通の男性ではなく、処女から生まれた透明で純粋な幻のような存在で、女に何の関心も寄せなかったとでも言うのか。」
          「そうではありませんが……」
          「イエスは偶像を拝むことを否定した。それをカトリックの奴らはイエスを偶像化し祭り上げてしまった。」
          「…………」
          「トマス、聞け。ユダヤ教では妻を娶らないことは罪なのだ。妻を娶らず男としての役割を果たさないことは異常なことだ。もし、イエスが妻を娶らなかったとしたら、そのことはイエスを語る上で必ず記されねばならないことだとは思わないか。イエスについてすべての記録が、そのことについて沈黙を守っている以上、イエスは普通に妻を娶っていたと考えて間違いはないだろう。それだけではない。イエスが十字架にかけられたとき、ペテロを始め十二使徒といわれる男たちは、イエスを否定し逃げ回っていた。イエスを最後まで見取ったのは、マグダラのマリアを中心とする女性たちだった。そして、どの聖書が伝えるところも、イエスが復活したとき、天使がイエスの復活を伝えた相手は十二使徒たちではなくマグダラのマリアに対してであったし、復活したイエスが最初に姿を現したのもマグダラのマリアに対してであった……そうだな、トマス?」
          「はい、天使の声を聞いたマグダラのマリアが、イエスの遺体を安置した洞窟へ行ってみると、洞窟を蓋していた巨大な石が動かされ、中にイエスの遺体はなくなっていました……」
          「その通りだ。では、このことはいったい何を意味すると思う?」
          「…………」
          「聖書を編纂した者たちも、マグダラのマリアの存在──彼女の働きや彼女の立場──を無視することは出来なかった。マリアがイエスにとって何であったか知っている者が、当時はまだ多数いたからに違いない。このように彼女はイエスのもっとも身近にいた人間に違いないし、ペテロたちにとってもっとも頭の上がらない存在だったようだ。
           さて、イエスの死後、弟子たちは、イエスがどんなことを話したのかを語り合った。イエスの教えを言葉として定着させようとしたのだ。それが新訳聖書のはじまりと言える。そこには、君たちの知らない、イエスの生々しい声を伝えた『マリアの福音書』さえも存在したようだ。もちろん、そこに語られているのは、イエスの母マリアの言葉ではなく、イエスの妻マリアが語ったイエスの言葉の数々だ。
           残念なことだが、イエスの教えを巡って対立が生じた。
           ペテロを中心とするグループと、マグダラのマリアを中心とするグループの葛藤だ。キリスト教という組織を温存させようとするとき、イエスの生々しい声は理想に走りすぎ、すぐに実現できないものもあったはずだし、伏せて通りたいものもあったはずだ。
           ペテロたちが何か言おうとするとき、『逃げ回っていた人間が何を偉そうなことを! イエスの最期を見とったのは誰だと思っているの』そんな言葉が返ってきはしなかっただろうか。
           ローマンカトリックが、ことさら女性の存在を低く見、差別的にとらえ、何かあれば魔女の烙印を押そうとするのも、彼ら男性弟子たちの後ろめたさから来ているのかも知れない。
           ステファノやトマスは、どうやらマグダラのマリアに共鳴していたように思える。生前のイエスを知らないステファノが、イエスの生の声を伝えるマリアに傾倒していったことは十分に考えられるし、生前のイエスを知る弟子たちの中にもイエスの教えを身近に聞いた者たちは、マリアこそがイエスの生前の言葉を忠実に伝えていると考えたことだろう。ペテロやヤコブは、キリスト教の生き残りを考慮するあまり、イエスの教えにある箇所で目をつぶっていると。
           迫害によりエジプトに逃れたものの、こう考えたトマスは、『マリアの福音書』をもとにイエスの教えを伝えていったのではなかったろうか。それが神秘主義者たちに影響を与え『トマスの福音書』が生まれたのでなかったか。」
           ブルーノは一気にここまでをしゃべった。トマスばかりか、バルトロメオにしてもはじめて耳にする内容だった。
           バルトロメオは興奮のせいだろうか、体のふるえが止まらないようだ。ブルーノへ問いかけようとする声が喉の奥に張り付いてしまったかのようにかすれている。
          「……あんまりです。たとえ本当だとしても、知らずに済ませたらと思います。特に日本の友人の前では……」
          「メディチの人間らしくないことを……それに我らが日本の友人はシクストゥスの聖書について知ろうとしている。目を伏せては通れないぞ。」
          「このことが、シクストゥス聖書とどう関係しているというのでしょうか。師は、シクストゥス聖書のことを知りたがっている日本人がいると私が話したとき、『おまえの母こそが知っているのでは』、確か、そう言われました。それはどういうことでしょうか……」
          「……もう夜明けが近いのではないかな。」
           言われてみると、トマスとバルトロメオの座る地下の石段に、上の方からわずかな朝の光が忍び込み始めている。
           ブルーノの閉じこめられた地下牢にも、その上にある小さな換気口を通して、ささやかな光が届けられているに違いない。ブルーノは、そこから朝の訪れを感じているのだろう。
           ブルーノは言葉を続けた。
          「夜の闇の中では隠せても、朝の光はすべてをあらわにせずにはおかない。見張りの者の口を金で黙らせておけるのも、闇の中だから出来ることではないのか。
           …………もうおまえたちはいかねばならない。
           バルトロメオ、まずはフィレンツェへ行け。シクストゥス聖書をについて知りたいという日本の友人の心が変わらないようなら、何とかおまえの母に会わせるのだ。アレッサンドロ枢機卿の口添えがあれば難しいことではないだろう。その後でもう一度会おう。
           まだ俺が生きていればの話だが……」

          (第2部 おわり)
           

          孤児たちのルネサンス −トマスの物語− vol.16

          2009.12.14 Monday

          0

            コレジオ・ロマーノ
                                  (コレジオ・ロマーノ正面)

            16

             トマスが学ぶコレジオロマーノ(ローマ学院)の一日は、冬期では朝五時半の祈祷・ミサ聖祭に始まり、夜は、夕食後七時から八時までのラテン語の復習で終わる。その後、それぞれが良心の糾明をし、ロレトの聖母の連祷(夕べの祈り)をしてただちに就床することになる。
             当初トマスは、後藤ミゲルと二人きりの部屋をあてがわれた。それはベラルミーノ枢機卿の配慮によるのだが、その二人の部屋を、就寝後、秘かに訪ねてきた男がいる。
             彼の名はバルトロメオ。同じコレジオで学んでおり、アレッサンドロ枢機卿からの手紙を預かってきたという。アレッサンドロ枢機卿と言えば、中浦ジュリアンから何度も何度も聞かされた名前だ。
            「何か困ったことがあれば相談に乗ってくれる人だ」と。
             二人はあわててバルトロメオを部屋に招き入れるや、燭台に灯りをともした。
            「なかなか渡す機会がないので、思いあまってこんな時間に訪ねてきてしまった。不躾を許してくれたまえ。」
             トマスは挨拶を返すのもそこそこに、渡された手紙の封蝋を切ると、燭台の明かりにかざした。
             そこには中浦ジュリアンら遣欧使節の少年たちをなつかしむ言葉と共に、一度、コレジオの休みの時にでも遊びにくるよう、それだけが書かれていた。
             バルトロメオは意味ありげに
            「君たちはシクストゥス聖書について知りたいんだろう。」
             それだけを言い残して去っていった。
             後で知ったことだが、バルトロメオは、アレッサンドロ枢機卿と同じ、フィレンツェはメディチ家の出身だという。それも二人ともが私生児であることまで同じだった。それはともあれ、彼はトマスや後藤ミゲルがローマのコレジオロマーノで学ぶようになって初めてできた友人となった。

             ところでローマ教皇庁は、シクストゥス五世の改革以来、検邪聖省をはじめとして十いくつかに分かれた聖省という中央行政機関を持つようになっていた。そのうち検邪聖省と教区聖省は教皇自らが長官となるが、その他の聖省の長には枢機卿が選ばれ長官となる。
             これら聖省の中に礼部聖省があった。
             十六世紀に至るまでは、典礼的礼拝の様式について、法王庁は独占的統一権をもっていなかった。典礼祭式の本質は、どこでも一定し昔から普遍のまま維持されてきたが、この本質の表現様式に至っては、教区によりまたは修道会により、それぞれ特徴を持って小差を生ずるようになった。この違いがあまりにはなはだしくなると弊害も少なくない。そこでトレント公会議は、聖務日課書、ミサ典書の改訂統一をはかり、この統一化をつらぬくためにと、シクストゥス五世が創設したのが礼部聖省だった。
             その礼部聖省こそ、アレッサンドロ枢機卿が長官を務めるところだ。

             いきなりだった。
            「ジュリアンは元気ですか? マルチノは、マンショは……使節の少年たちはみんな元気ですか?」
             バルトロメオに連れられ、バチカンの礼部聖省を訪れたトマスとミゲルを、アレッサンドロ枢機卿は掻き抱くようにして声をかけた。
            「そうですね、みんな、もう少年ではないですね。しかし驚くべきことです。日本に印刷機が入ってまだ十年ほどにしかならないと言うのに、もう日本語の印刷が始まっているという。私は日本語のことはよく知りませんが、聞けば、大変複雑な言語体系だというではないですか。それを日本の人たちは日本語の活字セットまで作り上げたという。考えられないことです。」
             話の流れは、いきおい日本語版聖書作成の夢に及ぶ。話しながらトマスの脳裏に、日本の仲間たちの顔が浮かんだ。トマスにラテン語を教えたポルトガルの捨て子院出身のベレイラ修道士、日本語の鉛活字作成に命をかけた後藤宗因とドラード、シクストゥス聖書のことを熱っぽく語った中浦ジュリアン……そんなたくさんの思いに促されるように、トマスは恐る恐るシクストゥス聖書のことを口にした。
             アレッサンドロの顔がくもったかに見えた。
            「この典礼聖省はシクストゥス様がおつくりになられ、ミサ聖祭の執行、秘蹟の授与、列福・列聖についての仕事を行います。シクストゥス様が教皇の座にお着きになられて以来、私がこの仕事に当たってきましたが、聖書の改訂に当たって教皇を助けたのは教皇秘書官だけなのです。その秘書官もまた、シクストゥス聖書と同じく、既にこの世にはおりません。」
            「…………」
            「今ではこのローマで、シクストゥス聖書のことをもっともよく知っている人間……それはベラルミーノ教会博士をおいて他にはないでしょう。あなた方の目録作成のお手伝いをされている方です。」
             ミゲルが言葉を挟んだ。
            「ベラルミーノ様は、シクストゥス聖書のことを訊かれるのを嫌います。あのお優しい方が、そのことになると怒りさえ露わになさいます。」
            「………………」
            「あの聖書に一体何が起こったのでしょうか。あの聖書のことになると、誰もが口を閉ざしてしまう。まるで触れてはいけない秘密でもあるかのように……本当に、誰一人、知らないのでしょうか?」
             トマスが問うた。
            「それを知りたければ、あの男に会う以外ない………あの男に問うてみるしかないでしょう。」
             まるで独り言のようにつぶやくアレッサンドロに
            「そんな方が、ベラルミーノ様以外におられるのですか?」
             と、トマスが畳みかけるように問う。
            「……います。しかし危険が伴うことです。勇気もいります。それはあなた方の肉体にとって危険というばかりでなく、あなた方の魂にとっても大きな危険となるものです。あなた方が知りたくないと思うようなことまで知ることになるでしょう。あなた方にその勇気と覚悟がないのなら、シクストゥス聖書は忘れることです。」
             トマスは、いつしか自分が抜き差しならぬ穴へはまりこんでしまっているのに気付いた。ここまで聞いて引き返せるわけがない。ここまで聞いて、自分の好奇心と折り合いを付け引き返せる人間がいたとしたら、それこそ勇気のある人間だろう。
             トマスは思った。
            (アレッサンドロ様は言葉とは裏腹に、俺たちに本当のことを知らせたがっている。だからこそ、こんな話し方をするに違いない。一体、この方はどこまで知っておられるのだろう……。)
             彼は二人に考える猶予を与えなかった。躊躇する間もなく一人の男の名が、彼の口から飛び出していた。
            「ブルーノ……、ジョルダーノ・ブルーノと言うイタリア人です。彼は今、サンタンジェロ城塞に異端者として幽閉され取り調べを受けています。」
             アレッサンドロは反応を確認するかのように、じっと二人の様子を窺っていた。……が、突然、
            「トマス、ミゲル、どちらか一人、週に一度、バルトロメオと共にサンピエトロ寺院の祭具室の整理を手伝ってください。コレジオへは私の方から話を付けておきます。」
             結局トマスがその役割を担うことになった。二人が危険を負うべきではないし、一人がコレジオに残ることで、何かことがあったとき、対処も容易であろう。それがアレッサンドロ枢機卿の考えだった。
             しかし、アレッサンドロと言いベラルミーノと言い、シクストゥス聖書と一体どう関わっているのだろう。そのうえ同じ枢機卿でありながら、二人の間には、何か目に見えない対立関係のようなものさえ感じてしまう。

             それから日ならずして、アレッサンドロ枢機卿からコレジオのほうに、
            「祭具室の整理の後、トマスに、ぜひ手伝ってもらいたい仕事がある。今日は私のもとに泊まらせたいのだが……。日本の話もいろいろ聞きたいのだ……」という連絡が入った。

             その夜のことである。トマスはバルトロメオに導かれ、枢機卿館に設けられた小祭具室へと降りてきた。この小祭具室には、地下の墓所からサンタンジェロに抜ける地下通路の入り口があるという。
             バルトロメオは小祭具室に入るや、手燭をトマスに預け、壁に掛けられたタペストリーをめくり、その内側へと潜り込んだ。絨毯が人の形に盛り上がり、やがて、そのふくらみがモゾモゾ動いたかと思うと、まるで壁に吸い込まれたかのように消えてしまった。
            「トマス、来てくれ……」
             押し殺した声が、トマスにも後に続くよう促した。 

            孤児たちのルネサンス −トマスの物語− vol.15

            2009.12.14 Monday

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              グーテンベルグ聖書
                               (グーテンベルグ聖書 慶応大学蔵)

              15

               こうしてトマスとミゲルはローマへとやってきた。
               日本のイエズス会は、この動きをローマのイエズス会本部へ伝えていた。
              「日本人を信用なさらないように」と。
               しかし、イエズス会総長アクアヴィーバはこの報告を無視した。
              「日本にイエス様の生涯を伝えたい、イエス様の教えを伝えたいという日本の人たちの思いを、私は捨てておくわけには行かない。」

               二人がローマに着いたとき、イエズス会総長アクアヴィーバは、トマスらを呼び寄せ、日本語に翻訳するためのキリスト教書籍の選択とそのテキスト収集に全面的な協力を約束してくれた。
               そして、その目録作成の指導に、イエズス会の教会博士ロベルト・ベラルミーノ枢機卿を付けるという破格の待遇を準備してくれた。日本のイエズス会が、日本人を蔑視し、
              「聖書の翻訳など問題にならぬ」「日本人に彼らの言葉で書かれた聖書など与えた日には、何をしでかすか分かったものではない。彼らに都合のよい解釈を与え、新しい宗派さえつくりかねない」「日本人は教会の下働きに使っておればよいのだ」……
               そんな態度を取ったのとは、大きな違いがあった。
               トマスらはコレジオ・ロマーノでの学習のかたわら、日本へ持ち帰るべきキリスト教文献の目録作成を進めることになった。これについてのベラルミーノ枢機卿の援助指導は徹底しており、バチカン図書館の利用は言うに及ばず、利用したい図書館があれば便宜を図ってくれるばかりか、個人の蔵書でも閲覧を希望するものがあればどんどん申し出るようにという。
              「そのためにはまず学ぶことです。学べば学んだだけ、あなた方が必要とする本が見えてくるはずです。今は何が必要なのか、何を翻訳すべきなのか、まだ分からないはずです。まずは学ぶのです。まずは何事にも動じない信仰心を培うことです。」
               ベラルミーノの指導は彼らの生活面にも及んだ。普通、枢機卿が、しかも教会博士と言われる人が、一介の学生の生活にまで関与すると言うことはない。それだけ「日本語版聖書」への思い入れも強かったのだろうが、それにしてもその配慮の細やかさには舌を巻くばかりだ。「最初は何かと疲れるだろう。しばらくは日本人二人だけの部屋にしてやってほしい」と言うかと思うと、後のことになるが、今度は、「コレジオの規則や生活に詳しくラテン語に精通した古参の学生と部屋を一緒にさせるように」……という具合だ。
               やがてトマスらがコレジオ・ロマーノでの生活にもなじんだ頃を見はからい、ベラルミーノは二人をコレジオ・ロマーノの図書室へと連れだした。
               かねて手配してあったのだろう。図書室の一番奥の机には、既に一冊の聖書が用意されていた。ベラルミーノは、二人をその席に案内しながら思った。
              (実際、シクストゥス教皇はよくやった。今のこのローマで、シクストゥス教皇の息のかかっていないところなどあるだろうか。サン・ピエトロのドゥオーモは言うに及ばず、ローマの主要な場所に建てられたオベリスク、更には水道、下水道に至るまで、今、目にするローマの形すべてにシクストゥスの息がかかっている。)
               しかし、この聖書だけは違った……。シクストゥスが何よりも心血を注いだのは、ウルガタ聖書(ラテン語聖書)の改訂だった。
               本来なら、今ここに置かれてあるべき聖書はシクストゥス教皇が改訂したものであるはずだ。かつてシクストゥスが
              「充溢せる使徒の力により、ここに宣告し、宣言する。この版は……主からわれわれに与えられた権威によって認可されたものであり、したがって真実かつ合法的なるものとして受け入れられねばならず、公共的ならびに私的な論争、説教、解釈において、疑問の余地なく拠り所とされねばならない」
               そんな大勅書を発してまでカトリック世界に使用を命じた彼の聖書は、今やただの一冊すら残っていない。二人の前にあるのは、シクストゥス=クレメンス聖書として、クレメンス教皇の代に大幅に造りかえられたものだった。
               トマスにはそれが不思議でならなかった。なぜただの一冊すら残っていないのか。普段、優しく指導してくれるベラルミーノ枢機卿も、シクストゥス聖書のことを訊ねると、急に人が変わったようになってしまう。
               ベラルミーノは、二人を席に座らせると、
              「あの聖書は誤植が多すぎるため廃版になりしました。次のクレメンス教皇のとき、シクストゥス=クレメンス聖書として改訂版が出されました。今ここに用意したものがそうです。イエス様のご生涯を日本語に訳されるには、この版をテキストに使われるとよいでしょう。」
               言葉は穏やかだが、そこには、冷たく聞く者をたじろがせるような威圧感が感じられた。
               しかし、トマスはたじろがなかった。
              「シクストゥス様の作られたものは、一冊も残っていないのでしょうか?」
              「このシクストゥス=クレメンス聖書として残っております。」
              「いえ、そう言う意味でなく、シクストゥス聖書そのものが一冊も残っていないのかということなのですが……」
              「ありません!」
              「どうしてただの一冊さえも残っていないのでしょうか?」
              「……このことについては、これ以上、話すことはありません。あなたは服従ということをもっと学ぶべきです。今、あなた方の目の前に死んでしまった聖書でなく、現にカトリック世界を動かしている生きた聖書があります。あなた方はこの生きた聖書を日本の信徒の方々に伝えるべく、このローマまではるばる来られたのではなかったのですか。トマス、あなたは言われた。たとえ聖書全体の翻訳が無理だとしても、イエスさまのご生涯だけは日本の言葉で日本の信徒の人たちに伝えたいのだと。私は、そんなあなた方の、いえ日本の信徒の方たちの思いに動かされてこの仕事を引き受けたのです。さあトマス、ミゲル、あなた方の仕事を始めなさい。二人でどこまで出来るか、イエス様のご生涯を日本語に置き換えるのです。」
               こうして二人の仕事が始まった。コレジオでの学習の合間を縫うように、日本語に持ち帰るべきキリスト教書籍の目録づくり、そして新約聖書の日本語訳……。
               以来、トマスはこのシクストゥス聖書について忘れようとするのだが、何かが引っかかっているようで、どうしても忘れることができない。いつの間にか、そのことに対する疑問が、心の奥底に蜘蛛の巣を張ったように居座ってしまった。
              「シクストゥス聖書はどうなったのだろう。いくら誤植が多いと言っても、バチカン図書館にさえ一冊も残っていないというのはどういうことだろうか……」
               後藤ミゲルも同じことを考えていた。
              「俺だって見てみたい。誤植が多いなら多いで、出版に携わる者として参考にしたい。シクストゥス聖書とシクストゥス=クレメンス聖書を並べて、どこがどう変わったのか比べてみたい……と言っても、俺はおまえのようにラテン語が達者じゃないからな。」 

              孤児たちのルネサンス −トマスの物語− vol.14

              2009.12.14 Monday

              0

                加津佐市民図書館にグーテンベルグ印刷機
                (加津佐市民図書館にグーテンベルグ印刷機が…。右は「サントスの後作業」表紙の銅販)

                14

                 トマスとミゲルが、はるばるローマへ渡ってきたのは、コレジオロマーノで学び宣教師に叙階されることも勿論だが、何よりもイエスの生涯とその教えを日本語に翻訳するため、そのテキストとなるべき聖書を持ち帰るためであった。
                 そして、この企画を支えたのが長崎内町の乙名衆(町年寄り)の一人であり、朱印船貿易家として名を馳せた末次興善とその子平蔵である。
                 末次興善、もとは平戸・松浦藩、木村家の出だと言われる。平戸の木村家と言えば、ザヴィエル以来のキリシタン信者で、この血筋からは、日本人として最初に神父に叙階されるセバスチャン木村や、アントニオ木村、マリーア木村デ村山等々、日本の殉教史に名を残す多くの人々を輩出している。
                 興善自身は、血のつながりから博多の豪商末次家を継ぐことになるが、彼自身も博多や秋月にあって、バリニャーノ神父やフロイス神父等の宿主をつとめるほどの熱心なキリシタンであった。彼の時代になって、「これからの貿易は南蛮貿易だ!」と、当時、長崎甚左右衛門によってイエズス会に寄進さればかりの、岬の地「長崎」へと進出した。
                 というのも「長崎」がイエズス会に寄進されるや、ポルトガル船は、イエズス会の肝いりで、平戸を捨て長崎へと入港するようになっており、しかもポルトガル商人に対するイエズス会の影響は大きく、イエズス会神父の斡旋なくしては、日本人商人はポルトガル船が舶載した生糸一本手に入れられないという状況だったのだ。
                 このため、多くの商人が長崎に集まり、多くの教会が長崎に出来、多くの商人がキリシタン信徒になった。そして、これら商人の手によって長崎の町が形作られていった。
                 ザヴィエル以来のキリシタンであり、博多の有力な貿易家でもあった末次興善が、町おこしの中心になったことはいうまでもない。
                 こうして長崎の町は、当初、教会領としてスタートし、南蛮貿易を目指す商人たちによって大きく発展してきたわけだが、この現状を朝鮮出兵のため肥前名護屋に滞陣していた豊臣秀吉が知った。日本の統一を目指す為政者にとっては、日本国内に、ローマ教皇に属する教会領が存在すること自体、由々しき問題であった。
                 秀吉の脳裏には、かつての主君であった織田信長と、加賀の国を拠点に宗教独立国を目指す石山本願寺との間の凄絶な争いが、まだ悪夢のようにこびりついている。
                「いかん、絶対に許すことはできん! 長崎を天領(幕府直轄領)とせよ!」
                 というわけで、長崎は幕府直轄地として召し上げられることになった。
                 もちろん、ポルトガル船の寄港地として使うことは大歓迎。従ってキリスト教も黙認ということになる。下手にキリスト教を禁じて、貿易がストップされては困るのだ。
                 このような利害関係の輻輳する長崎において、末次興善は、その「扇の要」的存在であった。ザヴィエル以来の熱心なキリシタンとして、イエズス会、ひいてはポルトガル商人とつながり、朱印船貿易家としては、長崎奉行や西国大名の投資を引き受け、長崎内町乙名としては、長崎商人の利益を代弁する立場にあった。息子平蔵の代になると、長崎代官として、江戸幕府の命令伝達者としての立場が加わることとなる。

                 そんな興善のもとを、年老いたポルトガル人宣教師が訪ねてきた。名をギリエルモ・ペレイラという。日本人以上に日本語をよく話すと言われた人物で、興善ともよく気が合った。
                 かつて、リスボンの孤児院から、東方での布教活動に励む神父たちの下働きをするよう、たくさんの少年たちがインドへと送られてきたが、ペレイラも、そんな孤児たちの一人だった。
                 ペレイラは、今でもリスボンの港から、インドへと出発した日のことを、よく夢に見る。送る者、送られる者がリスボンの埠頭で、お互い二度と会えないことを分かりながら、「きっとまた会おう」と励まし合った。乗船してからも、少年たちの弾く楽器の調べが風に乗っていつまでも聞こえ続けていた。今も、あの時のもの悲しい調べがペレイラの耳に焼き付いている。
                 そんなペレイラが、興善のもとを訪れた理由は、興善も支援している加津佐のセミナリオでの出版事業のことだ。
                 かつて少年使節としてローマへ行った中浦ジュリアンやドラードを中心に、不干斎ファビアンやペレイラといったセミナリオやコレジオの教師連中、それにトマスやミゲルら生徒たちが一つになっておこなっている日本語活字による出版活動。
                 その究極に目指すところが、イエスの生涯が語られている新約聖書の日本語版。
                 かつてジュリアンらは、ローマで、シクストゥス五世から、完全なラテン語聖書をキリスト教世界へ送り出すという、教皇の夢を伝えられた。
                 日本語に訳すテキストとして、どうしてもシクストゥス聖書を手に入れたい。
                 しかし、今のイエズス会は、
                「日本人は宣教師とするより、同宿として教会の下働きをさせることが向いている。彼らは野心的でキリストの教えを自らの出世のために利用する。宣教師になりたがるのもそのためであり、彼らには高尚なキリストの教えを理解できない。むしろその奥義を教えれば、野心的な彼らは、キリストの教えをゆがめ伝え、別の宗旨を創りだすことであろう」
                 と、日本人を蔑むばかりか、警戒しており、この計画に協力してくれるどころか、かえって邪魔さえしかねないと言うのだ。

                「セミナリオで学ぶ日本の青年を、何名かローマへ送ってはいかがでしょうか?」
                 興善がいきなり答えを返した。
                「少年では、時々の判断が要求されるこの仕事の役に立ちますまい。かといって、あまり歳のいっている人間でもいけませんなあ。感受性が強く、しかもラテン語をよくしゃべれる青年が必要になります。」
                 ペレイラは、我が意を得たりとばかりに
                「おります。トマス荒木という青年、彼は日本へ来ているどんな宣教師にも負けないぐらいきれいなラテン語を話します。それにミゲル後藤、彼はラテン語ではトマスに及びませんが、父の宗因から印刷術について手ほどきを受け、印刷のことに関しては、若い連中の誰にも負けないでしょう。」
                「ミゲルというと、日本語を活字化した、あの後藤宗因の倅ですか?」
                「そうです。あの後藤宗因です。」
                「……それは都合がいい。あの男なら後藤庄三郎とも縁続きだ。」
                 後藤庄三郎というと、後には、金座・銀座を預かり、家康のブレーンの一人となる人間──つまり家康の経済顧問団の一人になるような人間なのだ。
                「ローマへ行く費用、私どもが出しましょう。」
                「ただし、ひとつ条件がある。」
                 途中から座に加わった興善の息子、末次平蔵が初めて口をきいた。
                 彼は後に、長崎代官村山等安を陥れ、自ら長崎外町代官の職を奪い取ることになる人物である。
                「無事日本へ帰られたら、ローマで、またその道中で見たこと、聞いたこと、すべての情報を、まず、この末次平蔵に伝えてほしい。ローマのことばかりでなく、ポルトガルや他の国々、例えばエスパーニャ(スペイン)のこと等も出来るかぎり知りたい。条件は以上だ。」
                「出来るかぎりでよろしいのです。どこまで調べてほしいということでなく、ローマで見たこと、聞いたことを、土産話にまず息子の平蔵に話してやっていただけれ……、私は、その頃まで生きてはおれませんでしょうなあ。イエス様に聞くほうが早いでしょう。まあ、パライゾへ行ければの話ですが。」
                 

                孤児たちのルネサンス −トマスの物語− vol.13

                2009.12.13 Sunday

                0

                  サンタンジェロ城地上部分中庭
                                     (サンタンジェロ城 地上部分 中庭)

                  13

                  一五九九年二月、ローマ サンタンジェロ城塞
                   サンピエトロ寺院の東にカステル・サンタンジェロという巨大な城塞がある。もとは古代ローマのハドリアヌス帝の霊廟として造営されたものだが、中世から近世にかけては、ローマに一朝有事の際は、ローマ教皇の隠れ場所として使われていた。現に一五二七年には、クレメンス七世はドイツ皇帝カール五世の半年に及ぶローマ略奪をこのサンタンジェロで耐え忍んだ。
                   さて、サンピエトロ寺院の左翼、教皇宮殿から一本の回廊がカステル・サンタンジェロへと続いている。人はこれをバチカン回廊と呼び、教皇は危険にさらされた時、この回廊を渡ってサンタンジェロへと避難した。
                   ところで、サンタンジェロにはもう一つの顔がある。
                   異端審問所の牢獄としての顔である。
                   サンタンジェロは、大ざっぱに二つの部分からなる。一つは巨大な円形の土台部分。かつては霊廟として機能した部分だ。その円形の土台の上に、後世に造られた建造物が載っている。土台部分の内部は土と厚い石の壁に包まれ暗く陰湿で、その上に増設された建造物の部分は、少なくとも明るい陽射しの中で輝いている。「地下の迷宮」と「地上の楽園」とでも言うような感がある。そして異端審問所の牢獄は、地下迷宮とも言えるこの土台の胎内に、暗くうずくまるように存在していた。
                   ジョルダーノ・ブルーノは、この牢の一つに囚われていた。
                   ローマカトリックに対する異端の罪で捕らえられ、過酷な取り調べの中、すでに八年が過ぎようとしている。今も今とて、凄惨な「徹夜の刑」から解放され、ブルーノは牢の隅に死んだように横たわっていた。それは、後ろ手に縛られた両腕を、一昼夜にわたって綱で宙づりにされるというもの。その間、眠ることも許されず、短い中断の時でさえ、刃物のついた椅子の上に降ろされ、気を抜くことさえ許されない。拷問がおわった時、ブルーノは気を失ったまま元の牢獄へと引きずられてきた。
                   どれぐらい気を失っていただろうか。ブルーノは寒さと強烈な肩の痛みで目を覚ました。どうやら左肩の関節は脱臼しているようだ。見ると、傍らにはパンと水だけの粗末な食事が置きっぱなしになっている。ブルーノは痛みをこらえ、水の入れ物ににじり寄ると貪るように水を飲みパンをかじった。冷え切った水が、体の震えに拍車をかける。

                   ……足音が聞こえる。
                   ブルーノは耳をすませた。真っ暗な闇の中で、体中の感覚が異様に研ぎすまされ、男たちの様子が手に取るようにわかる。人数は二人……獄吏の足音ではない。あたりに気を配りながら、幅広の石段を、そっと足音を忍ばせながら登ってくる。恐らくサンピエトロの地下墓地から秘密の地下通路を伝って、このサンタンジェロへと忍び込んだものだろう。
                   ……とすると、一人はバルトロメオに違いない。私生児だというが、フィレンツェのメディチ家につながる人物らしく、同じメディチ家から出たアレッサンドロ枢機卿を後ろ盾にしているようだ。
                   彼は、監視を買収したのか、それともアレッサンドロ枢機卿の手が回っているのか、易々とこの城塞に忍んできてブルーノに教えを乞うた。深夜のサンタンジェロ城で、この厚い牢獄の扉越しに、顔も知らない青年に「絶対的一者」や「宇宙の無限」を説く。おそらくはブルーノにとって、これが最後の授業となるだろう。
                   しかし、将来、枢機卿を目指そうという男が「自然魔術」や「宇宙の無限」に熱心に耳を傾けるとは……。見つかれば異端者として捕らえられかねない。下手をすれば火炙りだ。その点では確かにメディチ家の血を引いているのだろう。かつてメディチ家のロレンツォは、キリスト教という権威に対抗するかのように、フィレンツェを人文主義学問の拠点に仕上げてしまった。華麗な教会建築や美術のパトロンとしての隠れ蓑をまとってはいたが……。
                   そのバルトロメオが「会ってほしい人物がいる」と言ってきた。聞けば、遠く日本から来たと言い、確か、名をトマスアラキと言った。



                   ちょうど角を曲がった所から、足の裏に伝わってくるものが、土から固い石の感触へと変わった。 その途端、康男は先ほどからひっかかっていた凝(しこ)りがスーッと解けていくのを感じた。
                   間違いない、あの少女はベアトリーチェ……ベアトリーチェ・チェンチだ。心のどこかで薄々そうだとわかっていたが、「まさか」という思いで打ち消してきた。今、それが一瞬の閃きとともにストンと心に落ちてきた。
                   と、同時に康男は康男でなくなっていた。自然に、あまりにも自然に「トマス荒木」という人格に移行していた。移行したということすら意識にのぼることはなかった。康男、いやトマスは、自分の前を行く一人の男(バルトロメオ)の後を追っていた。

                   見れば、バルトロメオの差し出す手燭に、ゆるい勾配の石段が照らし出されている。その石段を数段上がったところで、バルトロメオは立ち止まった。そして、後に続くトマスの方を振り返ると、左手の壁の上方へと目を向けた。その目線を追うように手燭が持ち上げられると、そこに鉄格子の填められた小さな窓が照らし出されている。
                   その窓は、手を伸ばしても届かないような高さにあり、中を覗ける訳でもなく、かと言って、こんな地の底で明かり取りであろうはずもない。恐らくこの小さな窓が、牢内の澱んだ空気を入れ換える唯一の換気口なのかも知れない。
                   バルトロメオの視線が再びトマスをとらえ、彼の注意を今度は前方へと導いていく。燭台の明かりが壁を這い、その明かりの行き着いたところに鉄金具で補強された黒い木製の扉が浮かび上がった。
                   これがブルーノの幽閉されている牢獄の入り口だ。
                   トマスはバルトロメオに促され、扉の前へと進んだ。扉には黒い鉄の閂が付けられ、頑丈な錠が下ろされている。バルトロメオは、燭台を足下に置くと扉をそっと叩いた。
                  「バルトロメオです」
                  「………………」重苦しい沈黙が流れた。
                   ややあって
                  「待っていた……日本からの客も一緒か」
                   苦しそうな声が、扉の下の方から聞こえてくる。
                   おそらくは扉に凭れかかるようにして屈み込んでいるのだろう。扉越しに体の位置を整えようとする様子が伝わってくる。その途端、「ウーッ!」と押し殺したような苦痛の叫びが上がった。
                  「すまない。一日中、吊されていた。どうやら左肩の関節が脱臼してしまったようだ」
                  「師よ、大丈夫ですか……」
                  「大丈夫だ。話しているほうが気が紛れる。まずは日本からの客人の声を聞かせてほしい。」
                  「……トマス、トマス荒木と言います。」
                  「トマスか……不可解な名だ。イエスの弟子の中で、インドで殉教したと伝えられ『黄金伝説』にも名をとどめているが、実はバチカンが異端と退けた最初の男、それがトマスだ。もっともバチカンは『トマス福音書』の存在を隠し続けており、隠蔽が続く間は、トマスもまたバチカンにとって聖人であり続けるわけだが……。逆に三位一体というカトリックの中心的な考え方を定着させた男、彼もまたトマスと言った。俺が若いころ尊敬したトマス・アキナスだ。かと思えばカトリックに背を向けるトマス・モアのような人文主義者もいる。君は一体どのトマスになるつもりなのか?」
                   押し殺したような声と共に、扉の内側からは、時折、苦しそうなうめき声が漏れる。
                  「…………」
                  「まあいい。まずは、君がなぜ日本から来たのか話してくれ。今の俺にとって、好奇心こそ最良の気付け薬なのだから。」
                   

                  孤児たちのルネサンス −トマスの物語− vol.12

                  2009.12.13 Sunday

                  0

                    サンタンジェロの地下牢獄
                                       (サンタンジェロ城の地下牢)

                    12

                     遅い昼食を済ませ、伊牟田がスタジオの一角を囲っただけの自室へ帰ってくると、小さなソファーに、普段は顔を見せたこともない小山田支社長が座っていた。貧弱な応接テーブルは、美術関係の本に占領されている。小山田は、その一冊を手に取り、見るでもなくページを繰っていた。
                    「康男がローマで行方不明だ。」
                     小山田は、伊牟田のほうを振り向くでもなく、画集のページに目を落としたままつぶやいた。 
                    「エッ、ローマで何があったんですか?」
                    「俺の方が知りたいよ。藤君からついさっき連絡が入ったばっかりなんだ。」
                    「ローマは、今、明け方6時頃ってとこですか。」
                    「サン・ピエトロの見物中に行方が分からなくなった。昨夜はホテルへも帰ってこなかったって言うんだ」
                    「…………」
                    「ロケ隊は、今日、ローマから帰途に着くが、藤君は残ると言ってる。事件に巻きこまれてなきゃいいんだが……ところで、君は普段から康男とは仲が良かったねぇ。何か、最近、変わったことはなかったかい。」
                    「特には何も気付きませんでしたが……」
                    「そうか、ひょっとしたらローマへ飛んでもらうかもしれんが、何か思い出したら教えてくれ。」
                    小山田はそう言い残すと、部屋を出ていった。
                     伊牟田は、小山田の見ていた画集に目をやりドキリとした。その開かれたページには、グイド・レーニ作「ベアトリーチェ・チェンチ」の肖像と言われる画が、その問いかけるような目を伊牟田の方に向けていた。

                     康男にこの画について訊かれたのは、康男のローマ行きが決まってすぐの頃だから、もう半年近くにもなるだろうか。
                     伊牟田の美術室は、康男の隠れ家でもあり、何かあるとすぐにこの部屋へやってくる。あの日も、伊牟田がスタジオのホリゾントに青空のバックを描いていると、いつの間に来たのか、真っ青な顔をした康男が後ろに佇んでいた。
                    「だいぶ参っているようだな。まあ、コーヒーでも入れるから飲んでいけや。」
                     伊牟田は仕事の手を休めると、スタジオの隅にある自分の部屋へ康男を誘った。
                    「ローマ行きが決まってから、妙な幻覚を見るようになったんです。」
                     みすぼらしいソファーに座るや、康男はこんな話をした。

                     その日、康男は太秦の東洋現像所へ仕上がったフィルムを取りに行き、その足で広告代理店の試写室へと向かった。試写室と言っても映写技師などという便利な人間はいない。制作進行が何から何までやる。企画段階では、プロデューサーの助手としてスタッフの間を走り回り予算を算出し、撮影に入る前にはロケハンから撮影交渉と準備に奔走し、撮影に入れば演出助手兼スタッフの小間使いとなり、撮影が終われば、フィルムの運び屋から映写技師までやる。
                     映写室にはいると、康男は35ミリフィルムを納めた銀色の缶を開けた。缶の中にはぎっしりと巻かれたフィルムの固まりが黒々とうずくまっている。撮影フィルムをポシに焼いただけで、編集の手も加わっていないし、まだスタッフの誰も見ていない。康男はガーゼにパラフィン油を染みこませると、その黒い固まりをそっと拭い、缶から取り出し映写機のフィルムケースへと収めた。
                    「準備OKです!」映写室の窓から試写室のスタッフ連中に声をかける。
                    「じゃあ、回してよ」と、カメラマンの声。
                     灯りを消し、映写機のスイッチを入れ、光源を閉ざしている仕切り板のレバーを倒す。
                     灰色に沈んでいたスクリーンが急に輝きだし、そこにCMのために撮影された映像が音もなくひろがっていく。
                    「このカット使えるよ、よく雰囲気出てるよ。」
                    「このあとにも予備のカット撮ってるんだけど……」
                    「いいネ……ああいいよ、これ」「山ちゃん、どう? これ使おうよ」
                     試写室の中は、急ににぎやかになったり、と思うと、また静かになったりを繰り返す。
                     やがて一巻目のフィルムが終わり、スクリーンが真っ白となった。いつもならカシャッという音ともに光源に蓋がされ、穏やかな闇が戻ってくるはずなのに、今日に限っていつまでも真っ白な光がスクリーンの上を踊っている。
                    「おーい止めてよ。次のフィルム回してよ!」
                     たまりかねてカメラマンが映写室に声をかけた。
                     反応はない。映写機は空回りを続け、スクリーンは真っ白く輝いたままだ。
                    「おーい康男ちゃーん、何やってんだよ! 寝てんじゃないの!」
                     映写室をのぞいたカメラマンは、異様な光景に思わず息をのんだ。
                     康男が口から泡を吹き、苦しそうに倒れている。目はひっくり返って白目をむいており、身体は硬直したように痙攣している。

                    「あれから、おかしくなったんです。」 
                    「おまえ、テンカン持ちだったのか?」と聞かれても、康男自身、あんな発作を起こしたのは初めてだった。だから、どう答えていいのか分からない。
                     ただ言えるのは、康男はあのとき、試写室のスクリーンに別のものを見ていた。
                     真っ暗な地下世界。石牢のような独房。急に広がる目眩くような白日の世界。その中で、一人の男が絶望的な目を空に向け炎に巻かれてゆく。何かモザイクがかかったようなぼやけたような映像。それでいって圧倒的な存在感を伴った映像。
                     それからというもの、この夢ばかり見るようになった。
                     夢の中では、中近東風だったり、ヨーロッパ風だったり、日本の田舎のような風景だったりする。その中を、康男は道に迷って彷徨っている。石を組んだ上に漆喰を塗り固めた粗末な建物、その間を何かを探しながら歩いている自分。そのうち、ここを行けばあの地下世界へ行くと分かっているのだが、どうしても他の道が選べず、そこへ向かっていく自分がいる。イヤだと思っているのに、行きたくはないのに……。
                     そこで、あの少女と出会った。少女は、あの地下牢へ自分を誘っていく。
                    「イヤだ、行きたくない、行きたくない!」と思いつつ、足は逆らうことができず、そちらへと向いていく。
                     そこで汗ビッショリになって目が覚める。
                    「あー夢だったのか」と、ひとまずは安心するのだが、眠りに就くと、またまた続きの夢を見たりする。
                    「トマスアラキです……」
                    「トマス、不可解な名だ……君はどのトマスになる気だ?」
                     声が聞こえているわけではないのに、目が覚めると、なぜか、その会話だけが、ぼんやりした少女の顔とともに自分の中に残っている。
                     夢ばかりか、以来、よく金縛りにあうようになった。
                     寝不足で、机でウトウトしだすと、たちまちそれは起こってくる。体中がしびれて動けなくなり、頭の中に荒い映像が展開していく。
                     地下へ降りていく長い階段。それを降りていくと、たくさんの人たちが集まっている広間へと出る。あの少女もいる。トマスという日本人青年も、ブルーノという哲学者もいる。その中の若いイタリア人が口を開いた。
                    「俺は拷問の末に、木槌で頭を割られて死んだ。」
                     その話とともに、目の前のスクリーンにその様子が映し出される。
                     血にまみれたその青年が、処刑台に頭を押さえつけられている。青年の目の前には幼い弟が怯えたように兄の目を見ている。彼は、そばの修道士に、弟をこの場から遠ざけてほしいと必死で懇願している。しかし、修道士は首を横に振るばかり。
                     絶望が青年の顔を覆う。
                     その途端、大槌が、その頭めがけて振り下ろされる。
                     飛び散った血が、スクリーンから飛び出し、康男の顔にかかった。
                    「ウワーッ」
                     叫び声が、金縛りを破った。
                     編集室での出来事だ。幸いエディターもディレクターも昼食に出かけ誰も彼の異変に気付いたものはいなかった。

                    「俺は狂うんだろうか?」

                     康男は、編集室を抜け出し、その足で伊牟田の部屋を訪ねたのだった。
                     ひとしきり喋ると、康男の顔に赤みが戻ってきた。
                     康男にとって伊牟田は不思議な存在だった。なぜか彼と話していると気持ちが落ち着いてくる。それは多分に彼の妻、清花(さやか)の存在によるところが大きい。元はストリップダンサーだったといい、それを伊牟田が通い詰め、妻にしたという。
                     清花は伊牟田以上に不思議な人だ。悩み事を彼女に話しているうちに、それが大したことではなかったと思えてくる。彼女が何か言ってくれるわけでも、何かしてくれるわけでもないのに……。
                     康男が伊牟田と話して落ち着くというのも、伊牟田の背後に清花がおり、伊牟田を通してその清花と話をしている、そんな感じなのだ。
                    「このコーヒーうまいですね。」
                    「当たり前だ。へそくりで買ったエスプレッソ・マシンで淹れたんだからな。」
                    「あれ、家に置いてたんじゃなかったんですか?」
                    「清花に邪魔だからって、捨てられそうになった。だから、ここへ持ってきたんだ。」
                    「清花さんなら、本当に捨ててしまうかも知れませんね。」
                     先ほどの落ち込みがどこへ行ったのかと思えるほどの回復ぶりだ。
                     
                     康男は気分が落ち着くと、散らかったテーブルに開かれた一冊の美術全集に目が行った。
                     そこに、あの少女の顔があった。
                     少年のようなキリッとした顔だち。その頭を白い頭巾が覆い、顔だちを一層引き立てている。その少女が、今、杖の上に開かれた本の中から康男に微笑みかけていた。

                    「ベアトリーチェ・チェンチだ。」

                     二杯目のコーヒーを運んできた伊牟田が、美術全集に向ける康男の視線に気付いて答えた。
                    「ローマへ行ったら実物を拝めるかもしれんな。スペイン広場から少し行ったところにパラッツオ・バルベリーニという宮殿がある。コルトーナ描くところのだまし絵の天井フレスコ画があるので有名だが、その二階にあるのが国立絵画館だ。俺も行ったことはないが……でも想像して見ろよ、その回廊には十三世紀から十六世紀の絵画、フィリッポ・リッピ、エル・グレコ、ラファエロ、カラバッジオ等々……そんなすごい奴らの絵がズラッと並んでいるんだ。その回廊の一番奥、まるで闇の吹き溜まりのような場所に、グイド・レーニの描くこのベアトリーチェ・チェンチの肖像画が飾られている。」
                     康男は、今にも何かを語りかけてくるかのような、その肖像をマジマジと見つめた。
                    「実の父親を殺した悲劇の美少女として知られている。」
                    「父親を殺したんですか?」
                    「ひどい親父だったらしいぞ。暴力は振るう、女遊びはする。侍女に手を出すのはあたりまえ、あげくは実の娘のベアトリーチェにまで手を出す始末だ。ベアトリーチェは思いあまって、兄や義母とはかって、彼女に思いを寄せるオリンピオとかいう男に親父を殺させたという。これが発覚し、ベアトリーチェをはじめ、チェンチ家の主立ったものが裁判にかけられた。彼女はあくまで無罪を主張したが、ついにサンタンジェロ橋の広場で一族のほとんどが処刑された。その美貌と毅然とした態度に、ローマ中の人が彼女を支援し、諸外国の外交使節までが、ローマ教皇に赦免願いを出したらしい。……が、すべて無視された。貴族は拷問されないことになっているが、その特権もローマ教皇によって取り上げられたという。ひどい話だ、今なら父親の暴力に対する正当防衛という弁護の仕方もあるだろうに……」
                    「伊牟田さん、詳しいですね。」
                    「スタンダールの受け売りだよ。このセンセーショナルな事件は、芸術家や文筆家の想像力をいたく刺激したようだ。スタンダールは、この事件から『チェンチ一族』という短編を書いたし、イギリスの詩人シェリーは四幕ものの悲劇『チェンチ』を著し、絵画でもこのレニをはじめ、ポール・ドラローシュやアントワーヌ・ド・ギニが、薄幸の美少女を題材とした絵を描いている。」
                    「いつの時代のことなんですか?」
                    「彼女の処刑されたのは一五九九年九月、この四ヶ月後には、同じサンタンジェロ城に幽閉されていた哲学者ジョルダーノ・ブルーノが火炙りにされている。」
                     ブルーノという名前を耳にした途端、康男の全身に鳥肌が立ち、またぞろ金縛りにあうのでは……そんな恐怖心が広がった。
                     康男は、夢や幻想に登場してくる少女、そのぼんやりした輪郭を思い浮かべ、そのイメージを画の少女にかぶせてみた。
                    (彼女だ。間違いない。)
                    「どうした、また真っ青だぞ。」
                    「大丈夫です。あれは起こらないみたい。」
                    「なんだ、あれって?」
                    「いえ、なんでも……それより、伊牟田さん、そのスタンダールの『チェンチ一族』って持ってたら貸してほしいんですけど。」
                    「残念だけど持ってない。でも、会社の資料室にあるはずだぞ。」
                    その言葉を背に、康男は伊牟田の美術室を後にしたのだった。

                     伊牟田は思った。この話、支社長に話すべきだろうか? 半年前のことだし、あれ以来、康男は落ち着いたようだ。女房の清花とも話したようだが、彼女も「康男さん、もう大丈夫ね」って言ってたんだが……。 

                    孤児たちのルネサンス −トマスの物語− vol.11

                    2009.12.12 Saturday

                    0

                      行き止まりの地下通路
                               (行き止まりになった地下道/サンタンジェロの地下通路で…)

                      11

                      「ホテルには帰っていないそうです。」
                       電話をかけに行っていた添乗員が帰ってきた。
                       康男がを姿を消してすでに三時間がたつ。
                       康男の捜索のためにと、藤プロデューサーと日本から同行してきた添乗員男性が、バチカンにとどまったが、三時間たった今も、その行方はようとして知れない。
                      「俺なら、みんなからはぐれちまったら、ホテルへ帰りますけどネ。今晩もあのホテルへ泊まるんだし……まだ帰っていないだけで、康男さんだってきっとホテルへ帰ってきますよ。」
                       そうだと思う、そうに違いないとは思うのだが、藤にはなぜか安心できない。
                       康男とは、今のプロダクションに入ってからの付き合いだ。といっても、まだ三年目に入ったところなのだが、ずいぶん長く付き合ってきたような気がする。
                       決してバリバリ仕事ができるというタイプの男ではないが、責任感だけは強い。この類の仕事では、その責任感の強さが却って仕事の邪魔をしている面もなきにしもあらず、要は手を抜くところを知らない。
                      「あれではいつか潰れてしまうのでは」と思うのだが、スタッフの連中は、ヤツのそんなところをを信頼している。
                       そんな康男が、みんなを引率していて急に消えちまうなんてことがあるだろうか。
                       ……康男はそんな男じゃない。
                       藤には、康男が何かトラブルに巻き込まれたとしか考えられなかった。

                       藤信二──かつてはテレビ草創期に、反戦をテーマにした九十分テレビドラマを制作し、芸術祭賞を獲得した。当時としては画期的なことで、以来、仕事にはめっぽう厳しく、若いスタッフやタレント連中からは、鬼藤として恐れられ今日まで来た。が、それがなぜか長年住み慣れたテレビ畑から身を引き、CMプロダクションのプロデューサーとして再出発することになった。
                       しかも東京から離れて、大阪支社の勤務を希望したという。
                       様々な噂や伝説と共に、藤が大阪支社に姿を見せた頃、康男は一年の進行助手の期間を終え、制作進行として一本立ちすることになった。
                       その最初の仕事が、地方の電力会社のテレビCM、このプロデュースを担当したのが、藤信二だったというわけだ。
                       企画的には別段これといった目新しいものはない。が、いくつかの厄介な問題が課せられていた。一つは山間(やまあいは)を縫うように立つ送電線の鉄塔──この空中撮影が問題となった。この地域は、二つの電力会社の送電線が入り組んでおり、他社の送電線が写らないことが絶対条件とされた。目印となるのは、送電線の鉄塔の形。鉄塔先端のアームに、鬼のように小さな二本の角が突き出ているかどうかで見分けが付くという。
                       二つ目の課題が、海岸部に建てられた火力発電所の撮影。運行はストップできないが、時節柄、煙突から煙が出ているのが写るのは困るという。環境破壊の原因みたいな印象を与えたくないというのだ。かといって部分撮影でごまかすことは出来ず、火力発電所の全景が必要だという。
                       一つ目の問題は、フィルム編集の段階で何とかなるだろう。
                       厄介なのは二つ目の問題だ。この頃の火力発電所の煙突というのは、煙をモクモク吐き出すなんてことはまずない。濾過されて大気を汚すこともなく、煙と言ってもほとんど肉眼では分からないぐらいなのだ。……が、フィルムに写るとやはり煙は見えてしまう。かといって操業は中止できない。
                       苦肉の策で、一時間ばかりギリギリまで発電量を押さえてもらうこととなった。
                       これならどんなに頑張って煙を見ようとしても、肉眼では見えない。カメラマンもOKを出し、ファインダーを覗いたディレクターもOKを出した。
                       こうして一月にわたる長期ロケも無事終了し、スタッフ一同、意気揚々と大阪に帰ってきたのだが、ラッシュフィルムを見て皆が愕然とした。
                       確かに煙は写っていない。しかし、煙突の上の空気は熱せられているため、その部分だけが陽炎のようにユラユラ動いて見えるのだ。
                       案の定、広告代理店のOKは出なかった。それから二時間近く、試写室は対策会議の場に変わった。撮り直しても、これ以上は期待できない。静止画像にしてしまうという方法もあるが、これだと違和感が付きまとう。一分のコマーシャルフィルムでは映像が命なのだ。
                       カメラマンやディレクターの意見が一渡り出きったところで、康男が藤プロデューサーに向かってポツンと言った。
                      「煙突から上、ちょん切っちゃったらどうなんでしょう」
                       なるほど、最も原始的で、最も効果的な案に違いない。煙突のてっぺんギリギリのところでトリミングしてしまう。これなら不自然さもないし、取り直しも、特殊処理も必要がない。一番安上がりで効果的な方法だった。
                       出来上がったフィルム試写では、スポンサーからも代理店からもクレームは付かなかった。
                       以来、藤の仕事には必ずと言っていいほど、康男が制作進行として付くことになった。
                       しかし、機転が利くと思ったのは、あのときが最初で最後だった。
                      「あいつは俺が仕込まないと、この世界じゃ食っていけない。」
                       それが藤の口癖となった。

                       康男は仕事がないとき、広告代理店の八階にもうけられたスタジオへよく行く。そこを根城にしている美術(要は大道具)の連中と雑談するのが好きだった。特にスタジオのホリゾントに背景を描いている美術の伊牟田さんは、若い頃、画家を志望したそうで、よくラファエロやボッティチェルリの作品について話してくれる。
                       ルネッサンス美術の話をするとき伊牟田さんは人が変わったようになる。スタジオのホリゾントの壁に向かい、まるでそこに「ヴィーナスの誕生」や「キリストの変容」が飾られてでもいるかのように滔々としゃべり出す。康男にはあまりよく分からない話なのだが、伊牟田さんがそんな話をするときの熱っぽさが好きだった。
                       その日もフィレンツェの話を聞いているときだった。
                       藤さんが、ひょっこりスタジオに現れ、康男に「話がある」と言う。伊牟田さんは気を利かして美術室へ戻ってしまった。
                       二人になると、いきなり藤プロデューサーは用件を切り出した。
                      「おまえ、少しは貯えはあるのか?」
                      「少しは……」
                       こちらの懐具合でも心配してくれているのか、いつもの「生活設計」などというお説教話がはじまるのかと思っていると
                      「三十万ほど、用立ててくれ。必ず利息を付けて返すから」と言う。
                      「そんな金、ないですよ。十万が目いっぱいです!」
                      「十万か? まあいい、その金、俺に貸してくれ」
                       藤さんなら大丈夫だろう。いつも世話になっているし、よく飲みにも連れていってもらう。「いいですよ」と気安く返事を返すやいなや、照れ隠しか、難しそうな顔をして、メモを取り出し、何かを走り書きして康男に渡した。
                      「金を下ろしてここへ届けてほしい」
                      「今すぐですか?」
                      「ああ、急いでいる……」

                       何がなにか訳が分からず、ともかく言われた場所へやってくると、そこはサラ金の事務所。渡した十万円は、藤プロデューサーの借金の利息として消えた。
                       康男は、藤プロデューサーが東京を離れた理由が分かったような気がした。いつもおごってもらっていて偉そうには言えないが、金遣いがやたら派手なのだ。連れて行ってもらうのは、いつも会員制のクラブ。
                       そこでバニーガールの娘たちに向かってお説教を垂れる。
                      「人間というのは、お天道さんが昇って働き、お天道さんが沈んだら休むもんだ。こんな仕事、人間のする仕事じゃないぞ」と始まって、最後は、自分のつくったドラマの自慢話。「○○テレビで鬼藤と言やあ、知らないヤツはいなかったんだ」という展開になる。
                       康男にとっては、飲みに連れていってもらうより、借金を返してくれた方がありがたいのだが、それから一年以上経つが、返してくれる気配は微塵もなかった。
                       その代わりでもないだろうが、仕事の上ではよく面倒を見てくれたし、また信頼もされていた。

                      (ヤツはどうしちまったんだ。どこへ消えちまったんだ。)



                       康男は道を失った。
                       地下水道はやがて足場がなくなり、かといって水に浸かるのもためらわれた。ここまで来るまでに枝道が二カ所ほどあった。一番近い枝道のところへ戻るしかないだろう。そう思って、枝分かれした地下道を進んできたのはいいが、今度はペンライトの電池が心配になってきた。弱々しい灯りの中に進む方向を確認したうえで、ペンライトのスイッチを切り、手探りで進む。しばらくして、またペンライトのスイッチを入れ、進む方向を確認する。
                       そんな繰り返しでここまで来たが、ここがどこなのか、ただ闇があるだけ……。水の音も聞こえなくなっていた。
                       何度か目にペンライトのスイッチを入れたときだ。
                       頼りない灯りが、若い女性の姿を照らし出した。
                       彼女は突然の灯りに驚いたかのように、康男に向かって振り返った。まぶしそうに眉を寄せたその顔は、まるで興福寺の阿修羅像を思わせるような初々しい美しさに溢れかえっていた。
                       彼女は、康男にかすかに微笑むと、灯りの輪の中から消えた。
                       髪を包み込んでいるのは飾り頭巾だろうか、ローブと同じ布が、ターバンのように顔を縁取っており、それが整った少年のような顔立ちを一層際だたせていた。
                       …………
                       あの顔にも、あの中世風の装いにも見覚えがある。
                       どこで見たのだろう。
                       あんなイタリア人女性を知っているはずもないし……
                       何より、一体、なぜこんなところに。
                       康男は、ぼんやり湧きあがってくるそんな疑問を、脇に押しやるようにして彼女を追った。地上へ戻れるかも知れない。いや、きっと帰れる。
                       彼女を追いかけるんだ。