自分のことを振り返ってみたくなりました vol.9

2010.03.21 Sunday

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    叡福寺山門
                    (聖徳太子廟のある叡福寺)


    5 心を見る学び

    この二、三年、おかしいことが続出していました。
    毎年、右足、左足、交互に骨折するのです。最初は、妻に誘われ朝起き会に無理やり参加したとき。正座していて立ち上がろうとしたとき、左足甲の骨を骨折。
    次の年は、徹夜禅に参加しようと計画していたところ、その一週間前、自転車のペダルが折れて右足甲の骨を骨折。その骨折もようよう治った頃に、今度は、先の憑依事件です。
    妻は、その頃、田池先生のところで、自分の心を見るという学びをしておりました。が、そうこうするうち、霊道を開いたとかなんとかで、訳の分からないことを言い出したのです。自分の心の中から、思いが響いてくるというのです。
    俺には構わないでほしいと思っているのに、その思いは妻を通して、私に「心が狭い」と語りかけてくるのです。まるで妻でない別の人格が、私に語りかけているようで、それが繰り返される日が続きました。
    これには参りました。一体、どういう現象なのか、鉄眼寺の鈴木住職にも相談しました。シャーリー・マックレーンの本や、高橋信二の本を読んで自分なりに理解しようとも努めました。でも分かりませんでした。
    今では、妻が語ってきた思いは、あれは私自身の心が語っていたのだと思えます。他でもない私の心が、私の肉体に「本当のことに気付け」と語りかけていたのです。人は口にしなくても、絶えず思いを発しています。肉に近い思いもあれば、自分でも気付かない本当の心が思いを発している場合もあります。
    本当の思いが、肉に溺れている私に「苦しい」とSOSを発していたのです。「本当のことに気付いてほしい」と叫んでいたのです。
    その頃は、そんなことは分かりませんでしたが、こういうことがあるのかも知れないとは漠然と思うようになりました。それでも何か釈然としない日々が続き、とうとう悩むぐらいなら、張本人の田池先生に会ってみようと思い立ったのです。

    その日、田池先生の住む家を訪ねようと近鉄喜志の駅に降り立ちました。
    なかなか決心がつかず、田池先生の家に向かうはずが、近くの聖徳太子廟に向かってしまう自分がいました。太子廟の前に来れば来たで、することもなく歌を考えている自分があります。

    耳によし 書きてなおよし 
    和すことの 行うことの むずかしきかな

    訳もなく、歌を手帳に書き付けている自分がいます。
    「おかげで聖徳太子の廟を訪ねることができたし、今日はこれで帰ろう。約束もなくいきなり訪ねるのは失礼だ。日を改めよう。」
    そんなことを考えている自分もいます。
    再び喜志の駅に出ましたが、家へは帰らず、折りから来ていたバスに乗ってしまいました。
    目指す停留所に着き、田池先生の家に電話します。留守を願いながら……。

    その頃、田池先生はまだ府立高校の校長先生をしていました。
    先生と呼ばれるのもそのためです。いきなりの訪問に、田池先生は、
    「大阪の北の端から南の端まで来たんだ。何か言いたいこともあるだろう。上がって話していけ。」
    そう言ってくれました。
    あれから、もう十年が経ちました。
    「自分の心を見る」という、この学びをするに当たって、いろんなものを自分の心の中から捨てようとしました。
    鉄眼寺坐禅会もその一つです。悟りをもののように欲しがる心、肉的な人生に利用しようとする心、それが自分の心の中に闇となって巣くっていました。当初、チャネリングで出てきた「自分を白蛇だと思っていた僧侶の霊」、あれはよそから来たものでなく、まさしく私の心そのものでした。
    家族中を怖がらせた、あの憑依事件も、三田の方廣寺の僧侶が憑依していたのではなく、私の心そのものが苦し紛れに表れていたに過ぎなかったのです。
    みんな自分の心でした。
    もう一つ捨てようとしたのが本でした。
    そのほとんどが近世海外交流史に関する史資料と、最近になって集めた禅宗関係の本です。「大乗起信論」や「臨斎録」などの禅関係の本は、こうなった経緯を手紙に書き、その手紙と共に鉄眼寺に寄贈しました。方廣寺古文書は、整理できた目録や読みかけの訳と共に、やはり鉄眼寺に返却しました。
    キリシタン関係の図書、海外交流史関係の図書は、三回に分けて、梅田新道の古書店、高尾書店に引き取りに来てもらいました。総額で五十万円を越える額になりましたが、これは一部を小遣いにし、残りは妻に進呈しました。
    本を処分するとき、トマス荒木のことがチラッと心をよぎりました。処分した本の中に、スピノラ神父の書簡集(鈴田の囚人)やオルファネルの「日本教会史補遺」など、トマス荒木について書き残された数少ない同時代の史料が含まれていたのです。いやな奴ですが、捨てきることもできず、いつか彼については真剣に調べ直そうと思っていたのですが、それも、もう終わりです。
    何かほっとしたようにも感じたのですが、心に引っかかるものもありました。
    このときは、再びトマス荒木が追いかけてくるなど、想像もつきませんでしたから……。
     

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