自分のことを振り返ってみたくなりました vol.8

2010.03.20 Saturday

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    人魚のミイラ
          (鉄眼寺に伝わる人魚のミイラ 難病に効く薬種として輸入されたのだろう)


    3 鉄眼寺墨跡チャリティ

    私の余暇活動は、たちまち忙しいものになりました。週二回の座禅会、週末の「無門関」購読会、「古文書学」の聴講。それに仕事の合間を見つけては、郷土史研究賞に応募するため、末次平蔵の原稿もまとめなければなりません。
    しばらくは、そんな状態が続きました。
    座禅会のほうは、すっかりはまってしまいました。
    住職の鈴木龍珠氏とも親しくなり、休みの日なども寺に押しかけ、鉄眼の書簡(弟子の写したもの)や、その他の古文書類を撮影させてもらえる仲になっていました。
    ある日のことです。住職は座禅会が終わった後、私に残るよう指示しました。何事かと思い待っていると、奥から出てきた住職が、会場の隅に置かれた机の前に私を誘います。そして机の上に置かれた平べったい箱を指し、その蓋を開けるよう促します。
    長さは一メートル五十センチ位、高さは七十センチ位、厚みは十センチ位といったところでしょうか。何だろうと思って開けてみると、横長の額で、そこには額からあふれんばかりの勢いで「清浄心」と、墨跡もあざやかに書かれてありました。
    驚いたことに、書の右側には縦に「為桐生氏」と為書きがなされ、立派に表装までされています。
    大変なことになった。こんな立派な額……高いんじゃないだろうか。金なんか持っていないし、どうしよう……?
    そんな私の思いを察したのか、鈴木住職が口を開きました。
    「あなたに上げようと思って書いたんや」
    「ありがとうございます」「でも、表装の費用ぐらいは……」
    「そんなもんはいらん。持って帰ってください」
    ほっとすると同時に、うれしくなり、なぜ、もらうのか、理由もわからないまま、重い額を抱えるようにして地下鉄に乗りました。
    少し得意でした。額の重ささえあまり感じません。他の乗客は、これが額だとわかるだろうか。それも僕のために書かれたものだ。誰かに見てもらいたい。そうだ、早く帰って女房に見せてやろう。それとなく自慢してやろう。
    この日から、この額は私の部屋に掲げられ、私の部屋は「起信庵」と名付けられたのです。ただし、私以外、誰もこの部屋にそんな名前がついているとは知りませんでしたが……。

    その年の末、郷土史研究賞に応募していた出版社から連絡が入りました。優秀賞受賞が決まったというのです。賞金は十万円です。当時としてはかなりな額で、すっかり舞い上がってしまいました。半分は妻にやり、半分は、古書を処分した金と共に鉄眼寺を通して年末のチャリティに寄贈することにしました。
    鉄眼寺では、毎年末、大阪、京都の僧侶が集まりチャリティの墨跡展が開かれます。その際、鉄眼寺座禅会有志もお手伝いすることになるのですが、そのとき、書を頂いたからということでもないのですが、お役に立ててもらえればと、思い切って寄贈することにしたのです。
    ところで、このチャリティの手伝いが、なかなかおもしろいのです。
    まず準備です。この鉄眼寺には奇妙なお宝があります。人魚のミイラ、龍のミイラです。江戸時代、中国からの輸入品にミイラがありました。これは唐船舶載貨物の一覧にもちゃんと「木乃伊(ミイラ)」とあがっていますから間違いありません。
    ライ病ほか、難病に効く薬種として輸入されたようです。江戸時代に中国から入った黄檗宗の寺ならではのお宝といえるでしょう。
    手伝いは、まず、このミイラを三階にある倉庫からおろすことから始まります。
    見れば、人魚のミイラは、上半身は猿のようです。その猿のミイラに大きな魚の下半身を縫い合わせてあるように見えます。龍のほうはよくわからないのですが、何かの動物に鱗を張り付けてあるような感じです。
    龍のほうは、どうということもないのですが、人魚がいけません。気持ち悪くてたまりません。ガラスケースに入っているとはいえ、運ぶとき、その頭の部分を持つことになってしまったのです。私の目の下で、人間のような顔をしたミイラが、口をあんぐり開け、もの問いたげににこちらを睨んでいます。
    やがてこの二体は、客寄せの道具として、入り口近くにセットされました。
    幕が張られ、寺院ごとにコーナーが設けられ、いよいよチャリティの開始です。次々と書画が売れていきます。私たちの仕事は、これを荷造りしたり包装したりすることです。
    やがて休憩の時間、この舞台裏が大変です。
    近畿のいろんな宗派の僧侶が集まるのですが、とても人を指導する僧侶や人格者の集まりとは思えません。女性の話、遊びの話、「こんな衣着てたら、帰りに飲みにも、遊びにも行かれへん」、そんな会話が飛び交います。
    それでいて表では神妙な顔で、書の説明とかをやっているのですから、鉄眼寺の住職ならずとも眉をひそめたくなるというものです。
    そんなこんなで、ばたばたした一日が過ぎ、やがて店じまいの時間……。
    帰り際、鈴木住職に、例の用意した寄付金を、「今日の売り上げと一緒にに役立ててほしい」と手渡しました。そのときの気持ちは何とも言えません。気恥ずかしいような、誇らしいような、少し惜しいという気持ちに優越感まで入り交じり、早く渡してこの場から離れたいと思うばかりでした。
    それから一月ほどして、住職が、「あなたの気持ちを考え、架空名義で寄付しといたから」と、その領収書を渡してくれました。
    名前が表面に出ない……。
    口では「よかった」と言いながらも、残念がっている自分がありました。
    なんとか自然な形で、自分の寄付行為が表面化しないものかと、まるで漫画を地で行っているようなちっぽけな自分が見えました。


    4 古文書の怪

    それからというもの、鈴木住職とはこれまで以上に親しくなりました。
    鉄眼の弟子が書き写したとされる、鉄眼最後の手紙も、全文、写真に撮らせてもらい、このほかにも、鈴木氏が住職を兼ねる、兵庫県三田にある方廣寺(別名花の寺)に伝わる数々の古文書も、預からせてもらえることになったのです。
    約束の日、方廣寺を訪ねました。
    父親の車で、妻や子供たちを伴っての訪問です。方廣寺境内の石庭は、名園として県下に知られており、折りから満開の枝垂桜が、掃き清められた真っ白い庭園に映えて輝いていました。その庭を掃除をする和服姿の上品そうな女性。この女性が鈴木住職の娘さんで、この寺の管理をされている方でした。
    私たちは寺の中へ招じ入れられ、お茶をご馳走になりました。
    やがて一抱えもある風呂敷包みが運んで来られました。ほどいてみると、古文書の山です。写真や模写ではなく、本物の古文書……それも一枚や二枚でなく、一抱えもある束を、いつまででもいいからと委ねられたのです。
    この古文書の束を整理し、目録を作り、その主なものを解読して読み下し文を付ける。聞けば、まだ誰も手をつけたことがないと言います。私の余暇活動に、また一つ大きな仕事が加わったのです。
    まず目録づくり。いつ、誰が、誰に宛てた書状か。その一覧表ができると、その主なものを写真に撮ります。その上で、古文書を開き、読めるところを別の紙に書き写していきます。この時点では読めないところが虫食い状に残ります。その読めないところを写真を常に持ち歩き、暇があれば、その写真とにらめっこをするのです。すると不思議と、あるとき急にひらめいたように読めるようになるのです。
    そんな繰り返しが続きました。
    さて、そんな頃、妻は既に田池先生と出会っておりました。
    「死後の世界はある」「人間は霊である」……
    古文書を読むかたわら、こんなことを盛んに聞かされる日が続いたのです。
    私は猛反対でした。朝起き会や、中心会や、高橋信二や、どうせ、またすぐ飽きるとは思っていましたが、せっかくの日曜日に、一日中、家を空けているというのが不満でした。それを一泊二日で勉強会があると聞いて、怒りを爆発させたこともありました。そんなとき、あの事件が起こりました。
    あの日、私はいつものように、会社から帰ると、早々に食事を済ませ、机に向かって古文書を開いていました。それは江戸時代後期の古文書と記憶しております。
    書き手はこの寺の住職。宛先は本山である黄檗山万福寺。内容は病に伏した住職が、時折り訪れる村人のほか、面倒を看てくれる者も、後を託せる者もなく、一人心細い日々を送っている。どうか、この寺を託せる者を一刻も早く送ってほしいという、あまりにも侘しく寂しい書状でした。
    どれぐらいその古文書とにらめっこしていたでしょう。
    私は眠くなって、机にうつ伏せになり、少しの時間まどろんだように覚えております。ところが、その間にとんでもないことが起こっていたのです。
    目が覚めると、子供や妻の様子が変です。
    子供は泣き出しそうになっています。妻が恐る恐る声をかけました。
    「大丈夫……?」
    私には何のことか、さっぱり分かりません。
    話を聞くと、急に私の目の色が変わり、狂ったように訳の分からないことを喚き出したというのです。まるで何かにとりつかれたようだったと言います。子供は怖がるし、救急車を呼ぼうということになり電話をかけようとしたところ正気に戻ったというのです。
    最初、家族で自分を騙そうとしていると思いました。
    だって何も覚えていないのです。私自身、少しウトウトしたことしか覚えていません。まさか!という思いでした。でも、子供の怖そうな様子といい、どうも嘘ではなさそうです。あわてて古文書に目をやりました。
    まさか……?
    ほかに考えようがありません。
    古文書を読んでいて憑依されたのでしょうか。 

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