自分のことを語ってみたくなりました/番外編その2

2010.03.20 Saturday

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    本論に戻る前に脱線ついでに、「第4回郷土史研究賞」の選評 と詳細を紹介しておきたい。

    第四回郷土史研究賞(昭和五十三年度)発表

    ◎第四回郷土史研究特賞(一名)賞金三十万円
      該当者なし

    ◎郷土史研究賞優秀賞(二名)賞金各十万円(敬称略)
      「備前社軍隊」吉崎志保子
      「背教者ジョアン末次平蔵とアントニオ村山当安の対立」桐生敏明

    ◎郷土史研究功労賞(五名)新人物往来者図書券各一万円
      「十三塚私考」竹田芳満子
      「実録京都見廻組史−秘められた歴史と人物」万代修
      「上代駿河国蒲原駅の研究」結城儀郷
      「伝南朝長慶天皇仮御所(行宮)阿瀬川荘日光神社の調査と考察」中側昭
      「近江商人の郷土史研究」寺井秀七郎

    選評
    〔審査員〕
    櫻井徳太郎、末永雅雄、中田祝夫、楢崎宗重、由良哲次(五十音順)

    いうまでもなく郷土史研究の対象領域は地域共同体であり、そこで暮らす人びとがどのような生き方をしながら歴史をつくってきたかに焦点を当てるべきであろう。この点を逸脱して徒らな紀年論や陰陽説や政権抗争史を展開してもはじまらない。そこを十分に理解していない応募者の少なくないのは反省を要する。
    本年度もまた数多くの投稿があり、年とともに増加しているのは、郷土史に対する関心がいよいよ高まっている証拠であろう。それだけに多くの歴史書が読まれ史実の検討に情熱をかける雰囲気がうかがわれる。けれども既成の研究や論説をそのまま盗用したり借用して、独自の見解であるかのように擬装するものもないわけでない。両者は明確に区別されなくてはならない。また新説を提示する場合には、万人をして十分に納得させるだけの証拠資料を揃えて論ずるべきである。
    今回選に入ったものはいずれも相当な努力を傾けられたことを示す力作であるが、遺憾ながら一頭地を抜き感銘を深くさせる篇は見当らなかった。そのなかでも幕末維新期岡山藩で活躍した民兵隊の組織や活躍の状況を史料に即して綿密にトレースした吉崎志保子「備前杜軍隊」と、同じキリシタンでありながら血みどろになって相対抗争した長崎内町支配の末次平蔵と外町支配の村山当安の人物像や宗教的背景を丹念に分祈した桐生敏明「背教者ジョアン末次平蔵とアントニオ村仙当安の対立」の二篇は秀逸であった。ただ両篇とも、説くがごとき状況を惹起せしめるにいたった歴史的意味を十分に洞察するところまでには到達していない。今後の努力目標といえよう。(後略)

    審査員の方は、ほとんどの方が現在お亡くなりになっているが、今になってどんな方か調べてみるとすごい方ばかり(Wikipediaとkotobank.jpによってweb上で調べた)、自分ほど偉いものはないと思っていた自分の傲慢さが我ながら鼻についてきた。

    桜井 徳太郎(さくらい とくたろう)
    1917年4月1日〜2007年8月27日 民俗学者。新潟県生まれ。
    1944年に東京文理科大学文学部史学科を卒業。東京高等師範学校、東京教育大学、駒澤大学の教授を務め、駒澤大学では文学部長、学長を歴任し、後には同大学名誉教授。日本民俗学会会長や日本風俗史学会会長も務めた。
    柳田國男の最晩年期に門下に入り、1962年には第一回柳田國男賞、2002年には第十二回南方熊楠賞を受賞。専門は、シャーマニズム、民間信仰、他界観など。
    東京都板橋区在住で、所蔵の書物を板橋区公文書館に寄贈(桜井徳太郎文庫)。
    1981年に紫綬褒章、1990年に勲三等瑞宝章を受章。
    平成14年にその業績を顕彰した櫻井賞が開設された。

    末永 雅雄(すえなが まさお)
    1897年6月23日〜1991年5月7日 日本考古学の巨頭。橿原考古学研究所初代所長。関西大学名誉教授。文学博士(龍谷大学、1948年(学位論文「近畿古文化の研究」))。大阪府南河内郡狭山村(現・大阪狭山市)生まれ。1976年日本学士院会員。大阪狭山市名誉市民。明日香村名誉村民。大学は卒業していないものの、京都帝国大学の考古学研究室員として、濱田耕作に師事する。その後、奈良県史蹟名勝天然記念物調査会嘱託として研究を行う。1950年に関西大学の講師となってからも、高松塚古墳を初め、大和地方の古墳を多く手掛ける。また、航空機による古墳観察を初めて実践する。多くの考古学者を育てたことでも知られる。

    中田祝夫(なかだのりお)
    昭和〜平成時代の国語学者。
    大正4年11月30日生まれ。東京教育大教授をへて昭和49年筑波大教授、のち愛知大教授。古代から近世までの古文献を国語学的・書誌学的に研究。奈良県出身。東京文理大卒。筆名は中田蒼山(そうざん)。著作に「古点本の国語学的研究」、「日本霊異記」(訳注)、編著に「古語大辞典」など。

    楢崎宗重(ならざき むねしげ)
    美術史学者・文学博士。佐賀県生。東大卒。『浮世絵芸術』『大和絵研究』等の雑誌編集に従事した後、立正大学・千葉大学・東洋大学・国学院大学・青山学院大学等の講師を兼任する。又『国華』の編集にも携わっていた。日本浮世絵協会常任理事・風俗史学会顧問・立正大学名誉教授・浮世絵太田記念美術館名誉館長。『北斎論』『美術と史学』『浮世絵史話』等の著書がある。勲四等旭日小授章受章。平成13年(2001)歿、97才。

    由良 哲次(ゆら てつじ)
    1897年〜979年3月 奈良県出身の歴史哲学者、日本史家、美術史家、浮世絵蒐集家。横光利一の『旅愁』のモデル。
    奈良市丹生町にて、丹生神社の神官の家系に生まれる。旧制の三重県立第三中学校(現在の三重県立上野高等学校)に在学中、1級下の横光利一と親交を結ぶ。父の事業の失敗により経済的に困窮し、滋賀県立師範学校に学ぶ。大津市南尋常小学校で2年間の教員生活を送った後、1918年に上京し、東京高等師範学校に入学。三宅米吉と峰岸米造のもとで古代史と考古学を修める。1924年、京都帝国大学哲学科に入学。西田幾多郎と田辺元のもとで哲学を修め、哲学雑誌『理想』に論文を発表。1928年7月、シベリア鉄道経由でドイツに留学。ベルリンでドイツ語を学んだ後、ハンブルク大学に入学。エルンスト・カッシーラーのもとで博士論文『精神科学と意志法則』を完成。このころ、ハイデガーやフッサールを訪問している。1931年、日本に帰国。東京高等師範学校で哲学を教える。1939年、『政界往来』の懸賞論文に応募して第一席となり、近衛公爵賞を受ける。1940年、日本大学芸術科教授に就任。国家主義哲学者としてナチスドイツに範を求め、日本固有の道徳思想に基づく民族教育の徹底を主張していたが、日本の敗戦により教職を辞し、1946年、東京都練馬区石神井の自宅に富士書店という出版社を設立。戦後は在野の研究者として古代中世の日本史と近世の日本美術史に関する論文を執筆した。葛飾北斎と東洲斎写楽の同一人説を主張。1976年、伊賀上野公園内に「横光利一 青春の碑」を建立。利殖の道に明るく、奈良県新沢千塚群集墳保護のため奈良県に私財1億円を寄付した他、奈良県立橿原考古学研究所に3億円の寄付をおこない、由良大和古代文化研究基金を設置した。1979年、食道癌のため東京大学医学部附属病院で死去。彼が蒐集した美術品の数々は、死後、奈良県立美術館に寄贈された。遺産の総額は時価10億円を超す。

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