チューリップの発芽

2010.01.23 Saturday

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    チューリップの発芽今朝、事務所に出るなり庭に直行する。チューリップに変化がないか見るためだが、結構、雑草も生えだして、小さなチューリップの発芽は見つけにくい。そこで草引きをしてみると、ある、ある!……3本も新しい芽が出ていた。そのうえ、雑草に隠れて気付かなかった1本。今朝は合計4本も発芽しているチューリップに出会えた。 昨日とあわせて6本になった。

    ところでチューリップが日本にいつ来たかが、まだ気になっている。昨日、仕事を終え、自宅に帰るなり調べだしたが、答えが出ない。気になるのは、長崎出島のオランダ商館のこと。
    もともとチューリップはトルコが原産だと言われる。それが16世紀半ば、トルコ駐在オーストリア大使A・G・ブズベックによってヨーロッパにもたらされた。以来、ヨーロッパで大流行し、オランダを中心にチューリップバブルと呼ばれる現象が起こる。それが日本に入ったのは、1863年、それも薬草のウコンの仲間と勘違いされ、「鬱金香(うこんこう)」と名付けられたという。
    これがチューリップのおおよその歴史。

    ご存じのように、チューリップと言えばオランダの名が出るほどだが、そのオランダ商館が17世紀初頭から19世紀まで長崎の出島にあった。この出島商館の一番倉は、バラ倉の愛称があり、2番倉の愛称がチューリップ倉、3番倉はカーネーションとなる。倉の愛称に付けるほどだから、オランダ商館員たちか商館長かが植物に愛着を持っていたのではと思わせる。特にバラ、チューリップ、カーネーションに……
    となると、出島商館に庭園があるが、ここにチューリップが植えられていたのでないだろうか、と思わずにはいられない。この当て推量で、調べてみるのだが、どうしても分からない。そこでかくなる上はと、長崎市文化観光部出島復元整備室宛に下記のような問い合わせメールを出すことにした。

    海外交渉史に興味を持つ者ですが、オランダが日本にもたらしたモノの中に「チューリップ」がなかったのか、それが知りたくてメールさせていただきました。お忙しい中、恐縮ですが、もし分かるようであればご教授いただけませんでしょうか。
     
    一般にはチューリップは、19世紀にフランスからもたらされたと言われていますが、オランダとの関わりが深い日本に、なぜ19世紀にもなって、しかもフランスからというのが解せません。
    貿易品でなくとも、たとえば出島の商館員や館長たちが、出島の庭園で栽培していたということはないのでしょうか。
    出島商館の2番倉というのは、別名「チューリップ倉」と呼ばれていたと聞いています。
    もちろんチューリップが入れられていたなどとは思っていませんが、商館の人たちにとっては、「チューリップ」という名を付けるほど「バラ」や「カーネーション」と共に親しい植物であったように思うのです。
    遠く祖国を離れたアジアの地で、商館の人たちがチューリップを植えて故郷を偲ぶ、そんなことはなかったのかと思い、気になるのでお問い合わせさせていただきました。
    お忙しい中、つまらぬことをお訊きして、本当に申し訳ありませんが、自分で調べても答えが出なかったものですから……。よろしくご教授のほどお願いいたします。

    もし返事が返ってきて、新事実が判明しましたら、紹介させていただきます。
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