孤児たちのルネサンス −トマスの物語− vol.27

2009.12.27 Sunday

0


    27

     図書室の中央をまっすぐに走る廊下が、入り口に突き当たるや、三つの流れに分かれて下っていく。ミケランジェロの設計になるその階段には、川の流れが、まるで緩やかな落差をなめらかにすべり落ちていくような優雅さがあった。
     トマス、ミゲル、それにバルトロメオの三人が、流れに逆らうようにその階段をあがっていく。深夜のこととてはばかられたものか、トマスとミゲルが、右端から入り口に向かって弧を描く支流をそっとあがっていくのに対し、バルトロメオは一番広い中央の階段を堂々とあがっていこうとしている。昼間であれば、巨大な壁に穿たれた小さな入り口から、まっすぐ奧へメディチ家の紋章を配した格子天井の連なりが見え、威圧感とともに何ともいえない心地よいシンメトリーをつくり出しているのだが、この時間では入り口の扉は閉ざされている上に、照明といえば三人の持つ手燭の灯りしかない。
     トマスは、手燭の灯りに浮かびあがる扉の装飾の見事さに息を飲んだ。昼間、気にも留めなかったものが、かすかな灯りの中で真っ正面から自分に語りかけてくる。
    「トマス、はやく開けろ!」
     ミゲルが押し殺した声で訴えてくる。
     トマスは預けられている図書室の鍵を取り出した。滞在中は、いつでも資料類が閲覧できるようにと預けられたものだ。修道院長の破格の計らいであった。
    「向かって左、一番手前から六列目の閲覧台」
     バルトロメオが、先頭に立ち、手燭で一つひとつの閲覧台を照らしながら慎重に進んでいく。
    「ウノ(1)、ドゥーエ(2)、トゥレ(3)、クアットゥロ(4)、チンクエ(5)、セイ(6)……」
     燭台の灯りが、閲覧台の端に埋め込まれた一覧表を照らし出す。
     普通の図書館では書庫と閲覧室が別になっており、利用者は書庫から目的の図書を借り出し閲覧室で目的の本を読んだり調べたりすることになる。しかし、このサン・ロレンツォでは、閲覧台に本がセットされている。それぞれの閲覧台の通路側の側面には、そこにどんな本がセットされているのか、そのリストが埋め込まれている。つまり利用者は、本を運ぶのではなく、自分が目的の本のある閲覧台へ体を運ぶことになる。
    「HISTORIARVM……クイ(ここだ)。」
     トマスが、バルトロメオの差し示すリストの一角に目を凝らした。
    「HISTORIARVM ET ANNALIVM LIBRI……」
     ローマ時代、歴史の第一人者と言われたタキトゥスの表した『歴史』と『年代記』。その二冊が一五七四年、アントワープで『タキトゥス/現存する歴史と年代記』というタイトルで出版されている。
     三人は目的の本を閲覧台に見つけた。
    「C.CORNELII TACITI……間違いない。」
    「一二八ページだ、このページが解読コードになっている。ミゲル、書き写してくれ。」
     トマスがページを繰りながら、ミゲルに指示した。
    「よし、席を替わってくれ。」
     書写にかけては、ミゲルは独特の才能を持っている。一字一句間違いがないばかりか、その書体や一行一行の字の配列などページ構成まで写し取ってしまう。それは肉筆本ばかりか印刷本の場合でも、まるでコピーを取ったかのような正確さであった。
    「内容じゃないぞ、字の配列が重要なんだ。」
    「心得ているよ。」
     そういいながらも、ミゲルはその几帳面な仕事を開始していた。
     トマスは、そんなミゲルをよそ目に修道服から一枚の紙片を取り出した。エレオノーラが、ビアンカ大公女から託され今まで保管していたものだ。
     二組の数字の組み合わせがスラッシュとスペースで区切られながら、紙片を埋めている。
     バルトロメオがその紙片を覗き込み、
    「スラッシュで組み合わされた数字の組み合わせの中で、最初の数字が行の位置、二番目の数字が列の位置を表している。スペースは単語の区切りを表す。簡単な換字式暗号だが、キアーヴェ(鍵)となる文書が何であるか分からない限り、絶対に解くことはできない。」
    「とすると、行を表す頭の数字のうち一番大きな数字は28だから、28行以降は写し取る必要はないということだ。」
    「ご親切さま。でも、この本は28行取りだ。29行目はないよ……」
     ミゲルがやり返しているそのときだ。
     図書室のドアが開いた。
    「やはり、ここにおられましたか。日本という国に信仰の種をまく。若さと使命感がもたらすその熱心さはうらやましい限り、私めも、もう少し若ければ……しかし、お体には十分注意召されませ。体があってこそのお仕事……」
     トマスらの世話を命じられている召使いの老人がそこにいた。
    「あ、ありがとうございます。ところで、なんのご用でしょうか?」
    「……おお、そうじゃ。いかんいかん、歳をとると忘れっぽくなって。いや、そんなことを言っておる場合ではない。大変なのじゃ。お供のアルメーニ殿が亡くなられた! 酷い有り様でアルノ川から引き上げられた。」
     聞けば、遺体は十字架に打ち付けられ、アルノ川の上流から流されたようだ。アルノ川はポンテ・ヴェッキオ橋のあたりで川幅が一番狭くなっている。そのポンテ・ヴェッキオ橋の橋脚に十字架が引っかかり、流れに抗して十字架の端が何度も何度も橋脚をたたいていた。まるで自分の存在を主張するかのように、ある間隔を置いて、
    「ゴーン……ゴーン……ゴーン……ゴーン」と。
     ポンテ・ヴェッキオ橋には、スゥポルトと呼ばれる金細工師の工房が並んでおり、そのいくつかは木枠で支えられ橋から張り出した状態にある。元々は、肉屋や革なめし屋、それに鍛冶屋などが、作業場をここに置き、川をゴミ箱代わりにしていたのだが、今のフェルディナンド一世がその騒音と悪臭を理由に追放し、金細工師に貸し与えることとした。
     そんな金細工師の住人が時ならぬ騒音に、ある者は夜なべ仕事の手を止められ、ある者は心地よい眠りを妨げられることとなった。
     騒音の正体は、十字架に張り付けられた人の死骸だった。
     両眼はつぶされ、膝は砕かれ、両手の指も、おそらく指締め器の拷問にかけられたのだろう、十本ともにつぶされていた。
     知らせを受けて三人がポンテ・ヴェッキオに駆けつけたとき、アルメーニの血で黒ずんだシャツが、郡警察の警官の手で引き裂かれた。その裸の胸には、刃物で刻まれたものであろう、くっきりと「ダヴィデの星」が刻みこまれていた。
     すがすがしい朝の空気とは、いかにも不釣り合いな光景であった。 

    (第3部 完)

    コメント
    コメントする
    トラックバック
    この記事のトラックバックURL