孤児たちのルネサンス −トマスの物語− vol.25

2009.12.26 Saturday

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    捨て子院
               (ブルネレスキ設計になるフィレンツェの捨て子養育院)

    25

    一九六八年五月
    「資料によって人数に若干の違いがあるが、この時、二百名以上の人間が火炙りを選んだといわれている。」
     伊牟田修平が、抱えていた本から目を上げ、ポツリと言った。
    「こちらの資料にはこんなことが書いてあるわ。」
     清花が言葉をはさんだ。
    『刑場に向かう処刑者の列に、ひときわ痛ましい三人の女がいた。直前に完徳者となった領主の妻コルバと娘エスクラルモンド、それにコルバの母マルケジア、彼らは一つの文明の絶預と滅亡を目撃した三世代の悲劇的な代表であった……』
    「このエクスクラルモンドって女性のこと、何かなつかしい気がする。会ったこともないのに……ほら、話していてもこんなに鳥肌が。」
     テレビスタジオの隅につくられた伊牟田の控え室が、康男の捜索本部のようになっている。といっても、伊牟田と清花の夫婦二人だけの捜索隊ではあるのだが。
     清花は、康男がローマにいる。しかもサン・ピエトロの近くにいるという。ところが次には「南フランス」とか「モンセギュール」という名を口にし、ここが気になると言い出した。
    「康男はローマに居るんだろう?」
    「そうなんだけど、どうしても気になるの。この地のカタリ派って、いったい何のことなのか調べてくれない。」
     伊牟田は大学時代、美術史を専攻しており、ヨーロッパの歴史にも詳しい。「南フランスのカタリ派」と聞いただけで、バチカンとフランス王室が手を携えての「アルビジョア十字軍」にすぐさま思い至った。あとは社の資料室へ行き、資料を探し出してくるだけ。伊牟田の所属するCMプロダクションは、業界でも最大手であり、CMだけでなく、PR映画まで手がけており、そのため資料類も豊富だ。そんじょそこらの図書館より専門的な資料を揃えている。
     今や伊牟田の部屋は、美術部の控え室というより、ヨーロッパキリスト教史の研究室のごとき観を呈している。ただでも狭い部屋の中は、場違いな「異端審問の歴史」や「バチカン」に関する研究書や資料が散乱している。

     伊牟田は資料から目を上げると、事務所のホワイトボードに目をやった。
    「天正遣欧使節」「ローマ教皇シクストゥス五世」「ベアトリーチェ・チェンチ」「異端審問」「ノストラダムス」「ベラルミーノ枢機卿」そして「メディチ家」……
     水性ペンで無造作に書き並べられた単語の羅列。去年、康男が大学の卒論に取りかかりはじめるや幻覚を見たり、よく金縛りにあうようになった。ホワイトボードに書かれているのは、そのとき伊牟田や清花にもらしていた内容と、半年前、康男がローマロケのスタッフに選ばれるに及んで幻覚が再発した時、話していた内容だ。それに清花が気になると言った言葉「モンセギュール」「カタリ派」……。

    「待てよ、アルビジョア十字軍が13世紀初頭だろう。天正遣欧使節やノストラダムス、それにメディチ家となると、16世紀のことになる。二つの時代にどんな因果関係があるんだ。これも過去世で片づけるのか?」
    「過去世と言っても、誰が誰に生まれ変わる……そんな単純なものではないわ。過去世のことはよく分かっていないのが現実だけど、それでも肉の世界での家系図のような流れを考えると、とんでもない陥穽に落ちてしまう気がするの。人格が生まれ変わるのでなく、思いというエネルギーが輪廻する、そんな感覚じゃないかしら。」
     そう言いながら、清花はホワイトボードに向かうと、「カタリ派」という語句と「メディチ家」という語句を、赤の水性ペンでつないでしまった。
    「おいっ、何だよ、それ! どういう意味だ?」
    「分からない。」
    「おいおい、ひょっとしてメディチ家は……」
     伊牟田の中にいきなり閃くものがあった。伊牟田は、クリストファー・ヒバート著すところの「メディチ家の盛衰」のページをあわてて繰りだした。
    「あったぞ。メディチ家の起こりはよく分かっていないんだ。薬種業だったとか医者だったとか、カール大帝の貴族でムジェッロで竜退治をしたなんてのもある。しかし、どうも確かなところは13世紀半ばにムジェッロというところで炭焼きでもしていたようなんだ。それがフィレンツェへ出てきて身を起こし、一躍、金融業で財をなした。」
     伊牟田は独り言のようにしゃべり続け、清花は目を瞑って、ただ、その言葉に耳を傾けている。
    「カタリ派がアルビジョア十字軍に滅ぼされたのが、1243年つまり13世紀の半ばなんだが、カタリ派の財宝というものが忽然と姿を消している。どうも休戦期間中に、カタリ派の一部の人間がモンセギュールを脱出したようなんだな。財宝とか、教典とかを持って……」
     伊牟田は、次に「異端カタリ派」という新書版をあわただしくめくりはじめた。
    「その逃げた先が北イタリア! ほら、この本には、カタリ派の一部がイタリアへ亡命したとある。そこでメディチ家の起こりと繋げて考えてみると、フィレンツェ北部郊外から忽然と現れ、フィレンツェで金融業を起こしたメディチ家……メディチ家がカタリ派の生き残りだと考えると、その経済的背景もハッキリしてくる。カタリ派の財宝だ! 16世紀、メディチ家の再隆盛期、コシモが、なぜルネサンス運動を支援したか。少なくともフィレンツェで起こったルネサンス運動は、カトリック批判というか、カトリックに対するカタリ派の巻き返しだったように思えてくる。」
     伊牟田の視線がホワイトボードへ戻った。
    「そうか! メディチ家だけでなく、チェンチ一族もカタリ派の信奉者なんだ。そう考えれば、世論や外交使節団の陳情を無視してまで、バチカンがチェンチ一族の処刑を急がせた訳がハッキリしてくる。康男もこの部屋でベアトリーチェ・チェンチの肖像画を見て何か感じているような素振りだった。これだ!」
     伊牟田は、ベアトリーチェ・チェンチの肖像が描かれた美術全集を清花の前に示しながら、何かに憑かれたように喋り続けた。

     伊牟田が閃いたチェンチ一族の真実というのは、彼らはキリスト教の中でも異端と言われているカタリ派の教えを信奉していたということに尽きる。カタリ派は、南フランスから北イタリアを中心に広まった教えだが、十三世紀に起こったアルビジョア十字軍で、そのほとんどが一掃され、その後の徹底的な調査と弾圧の中で、完全に消滅したと思われていた。
     しかし、それは表面上のことで、実は地下に潜り、グノーシス主義やマニ教、更にはユダヤ神秘主義思想等の流れと一つになって、密かに教えを語り継いできたという。
     この流れがバチカンにまで入り込んでいたというのだ。現に、チェンチ家は、バチカンの会計係を勤めているし、どうやら枢機卿の中にも、この流れを支持する人間がいたらしい。そして、その秘密を握っているのが、ベアトリーチェの父親だった。
     このことに気付いたバチカン側は、密かに親殺しに見せかけてチェンチを始末してしまった。そして、この事件の解決にことよせ、チェンチ一家と、カタリ派に関係したバチカン内部の人間を始末してしまったというのが真相ではないだろうか。
     そう考えれば、同情したローマっ子や外国使節の助命嘆願にさえ、頑として耳を貸さなかったバチカンの対応は納得できる。このバチカンの態度に、周りでは、バチカンがチェンチ家の財産に目を付けたからだろうとの憶測が飛び交ったが、チェンチ家は破産寸前の状態であったことを考えると、これも当を得ていない。
     そこまで喋りきると、伊牟田はふと考え込んだ。
    「しかしバチカンは、そんな回りくどいことをせず、なぜ彼らを異端者として処罰しなかったのか。……と言うことは、どうも、これに関わっているのは、枢機卿だけではなさそうだ。もっと上の人間が絡んでいる。枢機卿より上というと……もちろん、これより上にはローマ教皇しかいない。ローマ教皇がそれと知らず異端的色彩を帯びているとしたら……」
     その時、清花の口から出た一言が伊牟田の自問自答にストップをかけた。
    「康男さんがローマに帰ってくる。」
     

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