孤児たちのルネサンス −トマスの物語− vol.24

2009.12.25 Friday

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    ベルベデーレ要塞
                       (フィレンツェ ベルベデーレ要塞)

    24

    一五九九年四月 フィレンツェ
     ベラルミーノ枢機卿が密かにフィレンツェを訪れた。
     彼を乗せた馬車は、サン・ジョルジョ門からフィレンツェ市街へ入ろうとはせず、その手前の道を左に取るや、まっすぐにベルヴェデーレ要塞へと向かった。ここは一五九〇年にベルナルド・ブオンタレンティの手により、フィレンツェを政敵の攻撃から守るべく設計されたものだが、今やメディチ家の私的避難場所として使われている。

    「アルメーニは何か吐きましたかな。」
     トスカナ大公フェルディナンドが部屋に入るなり、ベラルミーノが声をかけた。
    「さすがアレッサンドロ枢機卿が見込んでスイス衛兵隊から引き抜いた男、いかように責めても一言も口を割りません。しかし、カトリック教会の良心と言われたお方、そのご到着第一声にしてはあまりに率直、あまりに無粋な……」
    「カトリック教会を守るため。なりふり構ってはおられませんでな。」
    「いかにも。このフィレンツェとて、いまやバチカンとは一体の身。アンリとマルグリットの離婚が成立するからには、なんとしてでも我が娘マリーを次のフランス王妃に据えねばなりません。バチカンと、このトスカーナ公国が一体となってこそ、フランスの新教勢力を押さえられるというもの。」
    「それを、シクストゥスの亡霊……というよりカタリ派の亡霊が、またぞろ頭をもたげはじめた。シクストゥス聖書のことが新教側に知れれば、バチカンの権威は根本から揺さぶられることとなる。ようやく落ち着きはじめたフランスも、そうなれば、どこへ転げ出すか分かったものではない。カトリックの根本であるローマ教皇が異端だったなど……
     この年寄り、ローマ教皇の不可謬性を守るためなら、この手を血に染めることなど、何とも思ってはおりませんぞ。」
    「カトリック教会を守るため、教皇まで暗殺されたお方……とはいえ、このフェルディナンドとて、実の兄であるフランチェスコ一世とその后を毒殺いたしております。まさにバチカンとトスカーナは一心同体と申せましょうな。」
     その時、重い木製のドアをノックする音が響いた。
    「……申し訳ありません。アルメーニが亡くなりました。」
     ドアを開けるや血の匂いが広がった。
     拷問係の血に染まった皮の前掛けが、アルメーニの凄惨な最期を物語っていた。
    「何も吐かずにか?」
    「はい、トマスの護衛としてフィレンツェへ遣わされたこと以外は。」
    「責めてみてどのように感じた。」
    「あの男は何も知らないように思います。知っていて隠し通そうとしている感じではありません。顔を見れば分かります。」
    「そうか、ご苦労だった。死体はアルノ川へ棄てよ。……すぐ見つかるよう、重りは付けるではないぞ。日本から来た猿どもにも警告は必要であろう。」
     フェルディナンドはベラルミーノの方に向き直ると
    「こうなっては異端にことよせ、直接、エレオノーラを責めてみるしかなさそうですな。」
    「彼女はしゃべらぬであろう。これ以上無駄な血を流すより、トマス等の監視をおこたらぬことだ。それが一番の近道。」

        ◇

     トマス等がオノフリオ修道院を後にしたのは、もう夕方近かった。とはいえ、この時期、陽はなかなか沈まず、まだ昼のような明るさではあったが。
     待っているはずのアルメーニの姿がない。バルトロメオが、真っ先にアルメーニのいないことに気付いた。気にはなっていたのだが、アルメーニのことだ、頃合いを見て先に引き上げるだろうと、別に心配もしなかったのだ。それが、今になってみると、なぜか不安を払いのけることができない。
    「こんなところで、いつまでも待ってられませんよ。きっと修道院に先に帰っていますって……」
     ミゲルが暢気そうに言うが、バルトロメオは何か釈然としない。
     トマスが、そんな不安に終止符を打った。
    「何があるにせよ、まずは修道院に帰ろう。すべてはそれからだ。シクストゥス聖書の重要な手がかりだって、我々の滞在するサン・ロレンティアーナ修道院の図書館にあることが分かったんだ。まずは帰るべきだよ。」

     今や、エレオノーラから彼女の知るすべてが知らされていた。ローマンカトリックが、イエスのみを『神の子』とするのに対し、「イエスの説いた教えはそうではない。すべての人が神の子であり、神を外に求めるのでなく『内在する神』を自分の中に感じ、霊的な自分に目覚めていこうというのがイエスの説いた教えであり、イエスはそのことを伝えるために肉体を持ったのだ」という考え方があったこと。そして、こうした立場は異端とされ、弾圧されてきたこと。このため、それらの教えは形を棄てることによって、ある時は「マニ教」という教えとなり、ある時は「グノーシス主義」という形をとり、また「カタリ派」という形となり、「ルネッサンス」という精神の中に、「宗教改革」という形の中に、すべてのもののなかに内在することを目指してきたということ。
     そして、ルネサンスの頃、メディチ家の初代コシモによって『プラトンアカデミー』が創設され、そのグループに属する哲学者や錬金術師、科学者たちの探求の中で、漠然としたこのような流れがあることが明らかになった。コシモは、これら真実を知ろうとするムーブメントを庇護するべく、『インクナブラ』という秘密結社を結成した。
     その名は「印刷の揺籃期」を表しており、その目的と活動は、真実を活字に残すこと、および真実を追究しようとして出版された世界中の書物の収集と保護、そして真実を追究しようとする「人」と「団体」を支援することにあり、個人的には、その学習を通して「人生の真の目的」に自らが気付いていくことにあった。
     この流れは、大きな広がりを見せ、形にとらわれないことから、本人もそれと知ることなくその流れの中に巻き込まれていることもしばしばであり、シクストゥス五世の場合が、その最たる例であった。彼はノストラダムスによって教皇への野心をかき立てられ、『インクナブラ』の創設者であるメディチ家の後押しによってローマ教皇となった。
     そして彼がローマ教皇となったとき、彼の周りには、彼が最も信頼したアレッサンドロ・オッタビアーノ・デ・メディチ枢機卿がいた。彼もまた『インク・ナブラ』の会員である。そればかりか、彼の秘書官までが、その会員であった。
     ただし、その全貌を知る人は少なく、シクストゥス教皇の秘書官にしたところで、自分が所属しているのは、かつて滅びた『カタリ派』の隠れた信奉者の団体であると信じて疑わなかった。
     彼は『聖書』の改訂作業にあたり、その作業の中で「イエス自身が神の子であるばかりでなく、すべての人が神の子であり、神とはすべての人の心の中に内在するものだ」という内容や、その他の関連する字句・聖句を挿入させてしまった。
     言葉の海の中に一度紛れ込むと、なかなか見つけることが困難となる。それも竜巻スタイルと言われた殺人的スケジュールの中で、しかも最終校正後に挿入されると、その発見は不可能と言ってもよかった。その作業の後、校正係をした件の秘書は、過労から帰らぬ人となった。こうして『シクストゥス聖書』は「充溢せる使徒の力により、ここに宣告し、宣言する。この版は──主からわれわれに与えられた権威によって認可されたものであり、したがって真実かつ合法的なるものとして受け入れられねばならず、公共的ならびに私的な論争、説教、解釈において、疑問の余地なく拠り所とされねばならない」というお墨付きのもと、世の中に出ることになった。
     ……が、唯一、このことに気付いた人物がいた。それが教会博士であるロベルト・ベラルミーノ枢機卿であった。このような聖書が出回れば、宗教改革でプロテスタントとカソリックが対立する中、バチカンの権威は失墜する。フランスでは聖バルテルミーの虐殺に代表されるようなユグノー教徒との紛争がようやく落ち着きを見せ、バチカンの権威が復活したばかりだ。
     今、この聖書が出回ればどうなるか。かといってローマ教皇は絶対であり、聖書もまた絶対である。カトリック教会を守るということは、他でもないローマ教皇と聖書の不可謬性を守るということに他ならない。
     悩んでいるとき、まことに好都合なことにローマ教皇シクストゥス五世が崩御した。聖書が完成するなり、シクストゥスは死んでしまったのだ。あまりにも好都合であった。
     ベラルミーノは、新教皇の就任を待たず、全ヨーロッパの異端審問所に命じた。
    「シクストクス聖書を回収し焼却せよ」と。
     そして、シクストゥスの竜巻スタイルを上回るスピードで改訂版を完成させた。それが二人の教皇の名前で出された『シクストゥス・クレメンテ聖書』である。
     ベラルミーノは「先の『シクストゥス聖書』は誤植が多いため破棄し、この『シクストゥス・クレメンテ聖書』をもって教会の拠り所とする」と宣言した。
     かくして、ローマンカトリックの歴史のなかで、彼等が異端として排斥した思想──「すべての人が神の子である」という教え──の挿入された、初めにして終わりであろうラテン語聖書が抹殺されてしまった。
     ところが、そのシクストゥス聖書がまだ残されているという。
     エレオノーラから託された一片の紙片。ここに『シクストゥス聖書』のみか『マリアの福音書』の在処を知る鍵が記されているという。やがて、そのことが明らかになろうとしている。 

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