孤児たちのルネサンス −トマスの物語− vol.22

2009.12.19 Saturday

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    二人のコシモ
      (二人のコシモ/フィレンツェをルネサンス都市にした老コシモ(左)とコシモ1世(右))

    22

    「警察に届けなくても本当に大丈夫なんだろうな!」
     藤プロデューサーはホテルの部屋で朝食をとりながら、電話口に向かっている。
     電話の相手は、大阪支社にいる美術部の伊牟田だ。日本では午後7時をまわった頃だろうか。撮影がない日はとっくに帰っているはずの伊牟田も、この日ばかりは康男の安否を気遣って美術部の部屋を動こうとしない。部屋には、妻の清花も来ている。散らかった机の上には、ローマの市街地図が広げられ、清花がその地図に見入っている。
    「清花が、康男はサンピエトロの近くにいるって言うんです。元気とは言えないまでも、少なくても死んではいないそうです。」
    「どうも分からない。どうしてそんなことが言えるんだ。」
    「一言で説明しにくいんですが、康男から出ている《気》みたいなものを、あいつは感じているらしいんです。本人は康男の波動を感じてるんだって言ってますが……」
    「気でも波動でも、どっちでもいいが、間違いないんだろうな?」
    「……はぁー?」

     恋女房である清花との出会いは、伊牟田が、まだ堺のぼろアパートに住んでいた頃にさかのぼる。伊牟田のアパートのすぐ裏に、路地を一本はさんで小さなストリップ小屋があった。伊牟田のアパートの窓からは、このストリップ小屋の屋上がすぐ近くに見えるのだが、ある日、上半身裸で洗濯物を干しているストリップ嬢と思わず目が合ってしまった。
     まだ、この頃は伊牟田も純情であった。顔を真っ赤にしてぴょこりと頭を下げると、思わず窓の下に隠れてしまったものだ。
     しかし、顔を隠しても、彼女の形のよい乳房が目について離れない。そればかりか、軽く微笑み返してくれた口元や、親しみを込めた目の表情までが思い出される。
     彼女にもう一度会いたい。かといって、ストリップ小屋に行くのはなぜかためらわれる。
    (俺は美術を専攻し、裸婦のデッサンだって慣れている。女の裸なんてどうってことはない。ストリップ小屋に行くのがどうだって言うんだ……)
     思い悩んだあげく、そう自分に言い聞かせながら、裏通りにあるストリップ小屋に足を向けた。
     入り口には踊り子の写真が掲げてあった。その一つに目が留まった。
     その写真には、平仮名で「さやか」と書かれていた。以来、伊牟田は彼女の追っかけをはじめた。地方巡業があれば、休みを取って巡業先の小屋へも通った。
     ある時、金沢の香林坊まで追っかけをやった時のことだ。
     伊牟田の横に座っていた客の一人が、彼女の出番に、聞くに堪えない卑猥な野次を飛ばした。
     伊牟田の中では、ストリップは、今や崇高な芸術の域まで達している。
    「この野郎、大人しくしろ!」と、思わず怒鳴りつけたのがいけなかった。
     男には何人かの連れがおり、伊牟田はその男たちに連れ出され、袋叩きの目に遭わされた。
     舞台から様子を見ていた清花の通報で、警察が駆けつけ、伊牟田は近くの病院へ救急車で運ばれることになったが、救急車には、伊牟田の身を案じる清花が付き添いとして乗り込んでいた。
     病院で目覚めたとき、傷の痛みより何より、彼女が傍に付き添ってくれていたということに、伊牟田は感動していた。そして「あんな仕事は辞めてほしい」「自分と結婚してほしい」と思わず告白してしまった。
     こうして伊牟田は画家の道を断念し、今まで鬱々と働いていた舞台美術の仕事に生き甲斐を見いだすことになる。もちろん、清花(さやか)(なぜか本名のほうが芸名っぽい)との生活が基盤にあってのことである。

     こうして伊牟田は思いかなって清花と結婚したが、結婚して一年ほど経ってのことだ。彼女が、ある集まりに行かせてほしいと言い出した。
     清花は、高校生の頃、大変な悪(わる)だったという。ところが、清花の担任となった古野先生という教師との出会いが彼女を変えてしまった。キッチョム先生──古野吉祥(ふるのよしあき)という。しかし、誰が言い出したものか「吉祥」に「夢」を付け足し「吉祥夢(きっちょむ)先生」になり、いつの間にか「キッチョム先生」になってしまった。みんな、「キッチョムさん」とか「キッチョム先生」と呼ぶし、不良と呼ばれる生徒たちでさえ「キッチョムさん」「キッチョムさん」と、親しそうにその思いをぶつけてくる。彼も面白がって、自己紹介の時など「古野吉祥夢」などと黒板に書いたりもしていた。
     それが、ある時、黒板に名前を書き自己紹介しているキッチョム先生をその学校の教頭先生が見とがめた。授業が終わって職員室に帰った古野先生に、教頭先生が
    「君は、古野吉祥という名ではなかったのかね」と問いかけた。
     以来、思うところがあったのか、自らは「吉祥夢」等とは書かなくなった。ただみんなから「キッチョムさん」とか「キッチョム先生」と呼ばれるのは歓迎だったようだ。
     いつだったか、清花に、「親が付けてくれた名前だからね」と、キッチョム先生がボソッと話してくれたことがある。
     清花の両親は離婚していた。父親は町で小さな印刷業を営んでいたが、事業の不振が原因で新興宗教に走り、寄進寄進で、ただでさえ傾いていた家業をとうとう潰してしまった。
     母親は幼い弟を連れて家を出、まだ小学生だった清花は、飲んだくれの父親と残され、見かねた親戚が清花を引き取ることとなった。どんなに両親を恨んだか知れない。どんなに生まれてきたことを呪ったか知れない。そんな清花の心に「親の付けた名前だからね」というキッチョム先生の言葉がしみこんでいった。
     理屈ではなかった。何を言ったかでもなかった。その言葉がきっかけとなって、今まで押し込めてきた親への恨み、どうしようもない寂しさ、悔しさ、いろんな思いが堰を切ったように自分の中から溢れてきた。
     あたりかまわず泣いた。泣き続けながら、その悔しさ、どうしようもない寂しさの奧底から、理解できない温かさ、喜びがフツフツわき上がってくるのを感じた。こんなに苦しんでいるのに、こんなに恨んでいるのに、こんなに怒っているのに、心の奥底から「お母さん、ありがとう」「お父さん、ありがとう」そして、自分を取り巻くすべてのものに「ありがとう」という思いがこみ上げてきて止まらなくなった。
     あんな思いは初めてだった。あんな気持ちで生きていられたら、どんなにか幸せだろうと思った。でも、そんな喜びも、また日常にまぎれ色褪せていった。

    「エーッ、キッチョム先生、出席してないの……」
    「先生、神様に目覚めちゃったみたいよ。」
    「ちがうって、そんな宗教ぽいことじゃなくて、本当の自分に気づいていこうって教えてまわってるみたいなのよ。」
     同窓会の席上、清花は友人から、キッチョム先生が、今は某高校の校長先生をしながら、日曜ごとにある勉強会を開いているという消息を聞いた。
     伊牟田と結婚してから、清花にある変化が訪れた。
     見えないものが見え、聞こえるはずのないものが聞こえるのだ。俗に「霊」とか言われるモノが、清花には感じられる。それが評判になり、超常現象や、心理学の先生までが、自分の研究材料にと、清花のもとを訪れるようになった。
     清花にはそれが疎ましく、自分の能力も、どこが間違っているのか分からないのだが、なにか違っているように思えて仕方なかった。そんな矢先、キッチョム先生の勉強会の話を聞いた。
     清花は、その話に引かれるようにしてキッチョム先生の勉強会に参加してみた。
     そこで、キッチョム先生は、人間は「霊」だという。また「意識」だとも言う。「意識」である自分が、「肉体」という洋服をまとっている。人間は、その洋服を自分だと思って、その洋服を飾ることが幸せだと思っている。洋服がボロボロになって着れなくなったら、人はそれを「死」と思い、「死」イコール「自分が消滅する」ことだと考えている。自分が、「肉体」がなくなっても存在し続ける「意識」だとは思っていない。
     人が生まれてくる目的は、「自分はちっぽけな肉体に縛られている存在ではなく、生き通しの生命=意識こそ自分だと気づくこと」にあると、キッチョム先生は言う。「肉体がなければ、そのことに気づけないから生まれてくるのに、人は、肉体を自分だと思い、さまざまな間違いや汚れを積み重ねてきてしまった。それがあなた方の過去世だ」ともいう。
     私たちは、無数の過去の誤りを背負って生きている。その修正のために今がある。本当の意味で自分を癒すことが出来れば、自分につながるたくさんの過去世が、その苦しみから、その間違いから解放される……。それが逆に自分を解放することにもなる。
    「待ってよ、それって何か堂々巡りみたいじゃないか。」
     伊牟田はよく妻の清花に異議を申し立てた。異議を申し立てながら、心のどこかで、「妻は本当のことを言っているのかも」、そんな思いもあった。
     伊牟田の異議や疑問にも関わらず、清花は、月に二回、日曜ごとにキッチョム先生の勉強会に通い、確実に見えないものに対する感性を高めていった。
     そんな妻に、伊牟田は康男のことを相談してみたのだ。

    「宗教という名の狂気……」
     そんな思いが、清花の心にわき上がってきた。と同時に彼女の心の奥に閉じこもっていた何かが堰を切ったように溢れてくる。清花は溢れてくる涙をそのままに、遠くローマを彷徨っている康男に思いを向けていた。 

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