「トマス荒木を歩く」 vol.20  旅の終わりに

2009.12.07 Monday

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    長崎のキリシタンからバチカンへの書状
         (1621年 長崎のキリシタンからバチカンへ迫害の窮状を訴える書状)

    穴吊りの図これでトマス荒木の足どりを追って、ローマ、フィレンツェ、マカオと歩いた旅の記録は終わりです。日本へ帰ったトマスは、四年間の潜伏活動の後、捕らえられ、拷問の末、棄教しました。そればかりか長崎の支配権をめぐる争いの中で、長崎代官である村山等安一家を陥れる駒として使われます。キリシタン追放令が出された際、村山一家は何人かの宣教師を洋上で奪取し、密かに日本に再潜入させ、折から大坂の陣において、大坂城に彼ら宣教師を送り込んだばかりか、大坂方の武器弾薬まで調達した疑いです。その証人として使われたのがトマスでした。

    トマスは、キリスト教を棄てることに何の負い目も感じはしませんでした。しかし、彼が妹のようにかわいがったマリアの夫や家族を死に追いやったこと、そのマリアさえも、一六二二年、長崎の大殉教の時、トマスの見守る中、殺されていき、結果として親しかった日本人キリシタンを死に追いやる片棒を担いだことが、彼の苦しむ原因となります。
    元和の大殉教当時の状況は、ただ彼一人がキリスト教を棄てて済む、そんな状況ではありませんでした。背教は裏切りを意味し、仲間の死を意味しました。彼に残された道は、キリシタン詮議役人の道しかなかったのです。
    やがてトマスの勧めでローマへ旅だったカスイ岐部神父が日本へと帰ってきます。彼は東北の水沢地区で潜伏活動中に捕らえられ、江戸のキリシタン屋敷で、役人となったトマスと再会することになります。彼の凄惨な殉教を目の当たりにしたトマスは、再び「自分はキリシタンだ」と言い出しますが、このときも穴吊りの拷問に堪えきれませんでした。
    監視された生活の中で、自分の人生について考え、神について考え、考えては苦渋の中ですべてを否定する生活が続きます。……が、最後の最後、病に倒れた中で、母の声を聞きます。本当の自分の声を聞きます。
    キリスト教でもなく、仏教でもなく、自分を生かす力、自分を自分たらしめるものの存在を、外にではなく自分の中に感じていきます。
    そのとき、トマスの口から、本当の神を求める言葉が口をついて出ます。役人たちは、このことを長崎奉行に伝えます。
    訳の分からぬ言葉を洩らすトマスを
    「老いて耄碌したのであろう。そのままに捨て置け。」
    こうして、トマスは狂人扱いされたまま、息を引き取りました。彼の最期を看取ったのは、ローマ以来、彼と行動を共にしてきた印刷業者後藤宗因の息子後藤ミゲル一人でした。一六四六年(正保三年)、トマス荒木、六十九歳を迎えた年のことです。 
    コメント
    素晴らしい旅の様子と豊富な知識に感動しました。
    また、機会がありましたら是非マカオにお越しください。
    • by hiro
    • 2010/10/04 7:59 PM
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