「トマス荒木を歩く」 vol.19  マカオ サンパウロ天主堂

2009.12.07 Monday

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    サンパウロ砲台跡
                      (サン・パウロ要塞 砲台跡)

    サンパウロ天主堂とサンパウロ要塞その後、サン・パウロ天主堂へと向かった。
    外へ出れば、またも引いていた汗が吹き出してくる。回りを見れば、みんな涼しげに歩いている。私一人が汗みどろという状態だ。
    ……やっと見えてきた。長い階段の向こうに、焼け残ったサンパウロ教会の前壁がそびえている。追放された日本人の多くが、この教会に施された壁面の彫刻に携わったという。残された前壁の高みに残された彫刻、それを刻んだ日本人の手があった。天主堂は、一八三五年、隣にあったセミナリオから出火し、折からの台風のため飛び火し、前壁と階段を残して焼失してしまった。
    今は焼けてしまった、このセミナリオと教会に、日本から追放されたキリシタンたちが収容された。追放はマカオとマニラの二組に分けられ、総勢百四十八名に達したが、マカオ組は二十三人の神父と、その大半が日本人からなる二十九人の修道士、信者の世話を助けた五十三人の同宿、計百五名の多きに上った。収容しきれない人たちは、市内のポルトガル人商人の家に分宿したが、二台の印刷機については、セミナリオに運び込まれたことは間違いがない。追放キリシタンたちがマカオに到着したとき、トマスはすでにマカオにあって、これを迎えることとなった。
    この時、多くの再会と出会いがあった。グーテンベルグ印刷機との再会、天正遣欧使節の一人、原マルチノ神父との再会、将来、ローマへ向かうことになるカスイ岐部との出会い。
    トマスは岐部に、ローマへ行って教区司祭になる可能性を示唆した。ポルトガル人宣教師に不審の念を抱く岐部は、やがてマカオを脱出し、船員となったり、聖地を目指す巡礼の仲間になったりしながら、日本人として初めて聖地巡礼を果たした上、徒歩でローマへと入る。
    原マルチノは、日本の事情をトマスに伝える。天草のコレジオで指導を受け、印刷のことでは仲間でもあった原マルチノの口から、追放令のこと、そのとき長崎で起こった幕府への抗議デモの如き聖行列の模様、そこで活躍した一日本人婦人のこと。その婦人というのが、実は、天草のコレジオに末次興善に伴われ出入りしていた木村マリアであること。また追放される宣教師の何人かを洋上で救出し、再び日本に潜入させた時も、等安や徳安に混じってマリアが活躍していた……等々を、おもしろそうに語るマルチノだった。
    サンパウロ天主堂正面そういえば、当時、マリアはまだ十才だった。失敗した印刷物の断片を使ってはラテン語を教えた娘、そのマリアが、今では長崎代官村山等安の子、アンドレア徳安の妻として、キリシタンから頼られる女性に成長している。
    「絶対パードレになって帰ってきてね」
    「帰ってきたらマリアがお手伝いするからね……」
    マリアの幼い言葉がよみがえってきたとき、トマスの心にローマでの苦い思い出が込み上げてきた。
    「キリスト教に命を懸ける価値があるのか?」
    「みんな、ヨーロッパで起こっていることを知らない。キリシタン同士が殺し合っている事実。日本ではキリシタンが火炙りにされるが、ローマでは法皇の名の下に火炙りが行われる。」
    「日本へ帰って、俺はどうしたらいいのだ?」
    トマスの心の中で、マリアの幼い顔がいつまでも笑いかけていた。

    サン・パウロ教会の裏手にあるモンテの砦へと登った。間もなく陽が沈もうとしている。砦の入り口に記念品を売る事務所然とした建物があり、そこに、まるで番人のようなお婆さんがいた。閉まってはいけないと思い、「まだ大丈夫ですか」と声をかけた。「ああ、早く行ってきな」。言葉は聞き取れなかったが、そういうふうに自分の中では響いた。
    城壁に整然と並ぶ砲列。その向こうにマカオの海が広がっている。その海に、今、陽が沈もうとしている。この夕景の中で、トマスと岐部が語り合ったかもしれない。また、トマスと原マルチノが語り合ったのかも知れない。自分の中を陽が沈んでいくような感覚。トマスは、どんな気持ちで、この夕暮れを見ただろうか。
    ちょっと感傷的になりすぎたかも知れない。いつの間に来たのか、先ほどの老婆が横に立っていた。中国語で挨拶をすると、老婆は「中国語かい……」と、さびしそうに笑った。香港に次いで、マカオも何年か先には中国に返還されるが、決してそれを喜んでいる風ではなかった。
    老婆は、ポツリポツリと話しかけてくれる。内容も覚えていないような、たわいのない話ではあったが、そのときの様子が、心に焼き付いて離れない。そんな時間を、この老婆が運んできてくれた。
    明日の今頃は、東京へ向かう飛行機の中だろう。お婆ちゃんに、心の底から言った。
    「再見(ツァイチェン)……」 

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