精神病と宗教

2009.10.25 Sunday

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    ある「本」の取材のために沖縄を訪れた。
    「精神病」とは一体なんだろうというテーマの本だ。
    「精神病」と「沖縄」がなぜ結びつくのかって……。私も最初そう思ったが、調べていくうち、県外に比べ沖縄に精神病患者が多いのは、「宗教」と「精神病」というものが密接な結びつきにあり、そのことと関係しているらしいということがおぼろげながら見えてきた。
    つまり沖縄という宗教的な土壌は、霊的に過敏な女性たち、巫女的な人たちを多く生み出してきた。そんな霊的に敏感な人たちが多く存在するということと、いわゆる精神病といわれる人たちが多く存在するということが比例しているのが沖縄という精神風土のように思われる。ただ「沖縄海洋博」が開催されるまでの沖縄では、精神的に不安定な女性たちを特別視したり、隔離したりするということがなく、集団の中でごく普通に生活し、普通に治癒していく人も多かったということのようだ。
    それが沖縄海洋博が開かれるということになり、皇太子が沖縄を訪問されるということが決まったときに事情が変わってきた。今まで小集団の中で生活していた、そういう精神的に不安定な人たちが、「このままではまずい」と、精神科のある病院に収容されることになったらしい。今ある病院だけでは足りないので、新設の精神病院が数多く誕生したとも言われている。(また取材の中で得た情報によると、沖縄の精神科には「宗教外来」を設けている所があるという話を耳にしたが未確認である。)

    しかし、これは沖縄だけの問題ではないと思う。神懸かりとか、宇宙的なパワーだとか、巫女のように霊界と交信できたり、人の心が読めたり、予知能力があったりとか……それは特殊な人間だけの問題ではなく、我々の中にもある潜在的な願望とも結びついている気がする。人は知らず知らずのうちに、強いか弱いかの違いはあっても、そういう能力を欲するものだとも思う。それがどんな世界とつながっているのか……たとえば欲望という暗い世界とつながったとき、どんな心の動きが起こってくるのだろう。主人や恋人は、あるいは上司や商売敵は一体何を考えているのか。日常生活の中でも、ふっと、こんなことが出来たら、こんなことが分かったら、と思うことはないだろうか。自分が出来ないからと、宗教者や超能力者、霊能力者に頼り、状況を改善しようとすることは、別に珍しいことではない。そんな心の動きが、どんな意識の世界をつくっているか考えたことがあるだろうか。
    理由なき殺人、あんな大人しい人が、と言われる事件……狂った事件や世相は、そのまま私たちの心の現状のように思えてならない。
    「精神病」「超能力」「霊的パワー」「狂った世相」、そんなキーワードは、自分の心と向かい合わないかぎり、何も解決されないことを示唆しているようにも感じる。「心」の問題は、「昔」のように観念論やきれい事ではすまされない時代を迎えているように思えてならない。
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