童謡詩人「金子みすゞ」と「民芸品の店 和」、そして「ネパール」!

2018.11.13 Tuesday

0
       日本非破壊検査株式会社のコマーシャル「見えぬものでもあるんだよ」

     「金子みすゞ」をご存じでしょうか?

     

      青いお空のそこふかく、

      海の小石のそのように、
      夜がくるまでしずんでる、

      昼のお星はめにみえぬ。
      見えぬけれどもあるんだよ、

      見えぬものでもあるんだよ。

     

     最近、テレビのコマーシャルでよく耳にするようになった、彼女の詩「星とタンポポ」のワンフレーズです。詩など縁遠い僕ですが、CMの朗読が耳に入ってくるなり、そこから流れるやさしい言葉の響きに、たちまち「金子みすゞ」のとりこになってしまいました。
     そんな僕が「金子みすゞ」について更に関心を持つようになったのは、山口県長門市の「くじら資料館」へ取材に行ったときのことです。

     資料館の壁に掲げられてある「鯨捕り」という額に、自然と目が行きました。

     

    長門市通(とおり)の「鯨資料館」に飾られている 金子みすゞの「鯨捕り」

     

     「海の鳴る夜は 冬の夜は、栗を焼き焼き 聴きました。
      むかし、むかしの鯨捕り、ここのこの海、紫津が浦。
      海は荒海、時季は冬、風に狂うは雪の花、雪と飛び交う銛の縄。」

     

     たちまち、この言葉の響きが頭から離れなくなってしまいました。作者は?とみれば「金子みすゞ」とあります。瞬時にテレビのコマーシャルで流れていた「昼のお星はめにみえぬ」の一節が頭によみがえってきました。
     このあと鯨の過去帳があるというので、向岸寺に取材に向かいましたが、ここでも「駆けてあがったお寺の石段……」という彼女の「かたばみ」という詩に出会いました。
     「おまいりすませて 降りかけて、なぜだか、ふっと、おもい出す。」
     彼女の詩のフレーズが、頭の中をリフレーンします。
     だめ押しとばかり長門に帰るバスでも、バスが仙崎という町にさしかかったとき、オープンしたばかりの「金子みすゞ記念館」の建物が車窓に飛び込んできたのです。降りることもできず、ただすれ違っただだけですが、以来、金子みすゞという女性が、僕の心の一角に根を下ろしてしまったようです。

     

     それがです、意外な場所で彼女と再会することになりました。
     この「かつらぎガイドブック」のネタ探しをしているときのことです。自遊空間ゼロによく来られる女性の方から当麻寺の門前にある民芸品の店「和」のことを教えていただきました。この店が驚いたことに、全国で初の「金子みすゞファンクラブ」だと言うのです。
     奈良の片隅が、金子みすゞ発信の原点……?
     ことの真偽を確かめるべく、早速、当麻寺門前にある、民芸品の店「和」を訪問させていただきました。

     


     入り口には筆書きで「金子みすゞ 奈良みすゞの和」という看板が出ています。
     店に入ると、上品そうな奥さんに迎えられました。来意を告げると、アポなしの突然の訪問にもかかわらず、ご主人(植本茂さん)を呼んでくださり、お二人そろって、いろいろとおもしろいお話を聞かせてくださいました。
    お二人が、金子みすゞのことを知るようになったのは、詩人矢崎節夫さんとの出会いがあったからだと言います。
     もとは當麻寺門前で、相撲の祖と言われる当麻蹴速(たいまのけはや)にちなんだ「けはやの忘れもん」というオリジナルの佃煮などを販売していましたが、その店先へ詩人の矢崎節夫さんが訪問されたのです。
     矢崎さんと言えば、当時、無名だった大正の童謡詩人「金子みすゞ」を発掘し、世に送り出したことで有名な先生です。今では仙崎の「金子みすゞ記念館」の館長もされていますが、民芸品店「和」を訪ねられた頃は、まだ、無名だった金子みすゞを取り上げ、その童謡集「わたしと小鳥とすずと」を出版されたばかりの頃でした。
     奥さんが、「普段は本嫌いな孫が、この本だけは勧めないのに読みますねん」と、感慨深そうに話されます。するとご主人が、「それからです、矢崎先生の金子みすゞ童謡集をこの店にも置くようになりました」と相づちを入れられます。
     これが縁となり矢崎節夫さんとのつながりができ、金子みすゞ愛好者の会「奈良みすゞの和」が発足するに至ったというのです。
     今では、その会員数も約200人となっていますが、その「奈良みすゞの和」で、何か社会に役立つことを……そう思ったとき出てきたのが、ネパールに学校をつくろうという動きだったと言います。その頃、ネパールに学校をつくろうという運動が日本でも広がろうとしていた矢先でした。ネパールは貧富の差が激しく、貧しい子供たちはインドに売られる、そんなことが問題にもなっておりました。
     「金子みすゞ」から「ネパールの子供たち」へとつながったのです!
     話をお聞きしたとき、本当にびっくりしました。

     

    みつまたを白皮にして日本に輸出。ネパールの女性に仕事を供給する。


     

     というのも、僕も前職の「大阪官報」時代、ネパールと関係したことがあります。お札の原料の「みつまた」、これが国内だけではまかないきれなくなっており、僕のボスである田中久雄氏が大蔵省印刷局(現国立印刷局)の勧めもあって、ネパールに自生するみつまたを扱いだしたのです。お金を寄付するより、ネパールで産業を興し、ネパール自体を少しでも豊かにしよう、ネパールでみつまた栽培農家を増やし、その利益で学校をつくろうと、「かんぽうネパール」という会社がネパールのパタンにつくられました。

     2016年12月、田中久雄氏は、ネパール赤十字代表のプラダン氏から、ネパールへの多大の貢献を顕彰して賞状とケープが贈られました(写真 右)。
     その「かんぽうネパール」の責任者が、僕の官報時代の友人シュレスタ・ハリ君だったのです。今では、ハリ君は独立し「ネパーミ」という会社を興し、みつまた栽培や手漉き和紙の生産を通して、ネパールの女性や貧しい方々の仕事の場をつくり、一方で紙幣の原料を日本に輸出することでネパール全体を活性化させようと動き出しています。
     この間、「奈良みすゞの和」に集う「みすゞファン」有志の方々も、ネパールの子どもたちのためにと「金子みすゞ小学校」を二校も、ネパールにつくっておられたのです。
     「奈良みすゞの和」と、ハリさんの仕事が、知らず知らずのうちに同時進行していたようにも思います。この話を知ったとき、金子みすゞさんを媒介に、かつらぎ、ネパール、長門市仙崎(みすゞの故郷)がつながったと、強く感じました。
     そんな次第で、「民芸品の店 和」で「矢崎先生お話し会」という催しが開かれたときには、この席へ、ネパールのシュレスタ・ハリ君を連れて行かずにはおれませんでした。
     というのも、金子みすゞさんの詩集を、ネパール語に翻訳し、ネパールの子供たちに届けられないものかと思ったのです。

     

    矢崎先生お話し会
       「ネパーミ」の代表シュレスタ・ハリ氏

     

     「和」のご主人植本茂さんご夫妻のご厚意で、ハリ・シュレスタ君を、詩人であり、金子みすゞ記念館の館長である矢崎節夫さんにつなぐことができました。
     しかしその席で、ネパール語版の童謡集「ほしとたんぽぽ」は、すでに発行されていることを知りました。
     それでも……という思いはありましたが、後日、「金子みすゞ顕彰会」から送っていただいた本を手にし、この本が5000部も作られたことを知った時、もう、その必要はないと感じた次第です。

     しかし、金子みすゞさんを通じて、たくさんの善意と通じ合うことができました。これから先、「金子みすゞさん」と「ネパールの子供たち」、どんな展開をし、どんな芽が顔を出していくのか、本当に楽しみです。
     当麻寺門前にある「民芸品の店 和」。
     そこは「みすゞの会」にとどまることなく、人と人をつなぐ場所でもありました。それも鳴り物入りの大仰な活動ではなく、ひっそりと、でも着実に……。


     店のホームページは、「私共は今後も目に見えないものですが、人と人とのつながりを大切にしていきたいと考えております」と結ばれてありました。 

     

     

    ネパール語版の童謡集「ほしとたんぽぽ」

      

    コメント
    コメントする
    トラックバック
    この記事のトラックバックURL