クジラ・イルカ紀行 vol.017 / 望月昭伸さんのこと

2018.07.10 Tuesday

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    小笠原二見港到着。右の写真は宿泊先の「プルメリアヴィレッジ」。

     

     竹橋桟橋を出航して三日目の朝、2016年4月21日早朝6時、おがさわら丸は予定通り、父島二見港に到着いたしました。まずは小笠原滞在中の宿泊先「プルメリアヴィレッジ」に荷を下ろし一休み。施設にはベッドに冷蔵庫、洗面台、トイレとユニットバスが付いており、食事は本館ヴィラシーサイドの食堂を利用します。洗濯機・乾燥機も共用スペースにあり、一般的な3泊(普通は船中2泊、小笠原村での滞在3泊)の滞在には充分です。

     一休みしたあと朝食をとり、いよいよ取材開始です。

     真っ先に向かったのが、二見港のすぐ近くにある小笠原ダイビングセンター。写真家・望月さんが小笠原の鯨類撮影のベースとしたダイビングセンターです。

     ここのオーナー森田康弘さんは、望月昭伸さんが小笠原のクジラを撮影したいと、小笠原を訪問した頃からの盟友です。その森田さんにインタビューした記事を以下に掲げさせていただきます。

     

    小笠原ダイビングセンターとオーナーの森田康弘さん。右上のカメラは望月さんが愛用し、行方不明時も使用していた同機種のカメラ。

     

     森田さんが小笠原へ来たのは30年ほど前(1985年頃)のこと。その同じ頃、望月さんも小笠原へ来てクジラの撮影を始めたと言います。

     この頃、小笠原には、母島にまだ捕鯨基地がありました。ザトウクジラやナガスクジラは早く禁漁になっていましたが、ニタリクジラやイワシクジラについては、母島を基地に捕鯨活動が続けられていたのです。

     それも、1988年には捕鯨活動がすべて終了するに至り、その翌年、小笠原でホエールウォッチング協会が立ち上げられました。小笠原をあげて、「捕るクジラ」から「見せるクジラ」へ方向転換することになったのです。
     ところで、小笠原ダイビングセンターの先代社長の古賀さんと望月さんは知り合いだったようで、その古賀さんを頼って、望月さんが小笠原へとやってきました。
     その頃、望月さんは、マリンダイビング・水中造形センターの専属カメラマンだったのを、2年ほど前に独立したばかりでした。そして自分のライフワークとして「小笠原のクジラ」を撮りたいと、古賀社長を頼って小笠原へやってきたのだと言います。
     当時はまだ、海外のクジラを撮るカメラマンはいましたが、日本のクジラを撮る人間はまだ誰もいませんでした。
     そこへ「日本の鯨類を撮るのに一番いいのは小笠原ではないか」と、望月さんがダイビングセンターの先代社長古賀さんにアプローチしてきたのです。
     古賀社長も、「来年からは、この小笠原でホエールウォッチングがはじまる。ぜひ一緒に盛り立ててほしい」と、望月さんに協力を約束しました。
     これ以降、毎年、一ヶ月から一ヶ月半ぐらい、クジラの生態調査を含めて船を出すことが決められました。その相棒が小笠原ダイビングセンターに勤めたばかりの森田さんだったというわけです。しかも、望月さんが小笠原滞在時は、相棒の森田さんのアパートに居候を決め込むという状態でした。というのも、望月さんは独立してまもなくの頃で、子供さんも小さく、要は取材費用にもこと欠く状態だったのです。森田さんは森田さんで、好きなダイビングで飯を食うため、東京の自動車会社を辞め、小笠原ダイビングセンターで丁稚奉公のように働いていた時期でした。二人ともに金がない。そこで夜は、二人でカップラーメンをすすり、翌早朝には海へ出てザトウクジラを探し撮影するという日々が続きました。

     ところが、先ほども述べましたように、ザトウクジラは禁漁になっていたのですが、ニタリクジラやイワシクジラは、まだ獲られており、母島で解体されていた時期があります。ザトウクジラにしたところで、仲間の殺される叫び声が聞こえてくるわけで、そのせいか、今ほどクジラはフレンドリーではなく、人間や船が近づくとサッサと逃げてしまうことが多かったのです。だからクジラを探すのも大変で、そんな中、望月さんが一人「日本のクジラの水中写真を初めて撮るんだ」と勢い込んでいたのだと言います。

     

    小笠原のホエールウォッチング/右上は陸上からの観察を指導するホエールウォッチング協会の岡本亮介研究員


     そんな頃(1990年)、古賀さんをはじめ小笠原の有志で、ハワイへ先進のホエールウォッチングを学びにに行くということになりました。そして、その翌年には、今度はハワイの学者さんが、WWF(世界自然保護基金)という組織を通じて小笠原にザトウクジラの調査のために訪問してきたのです。個体識別をおこない、ハワイ、カリフォルニアで観察される個体と小笠原に共通しているザトウクジラの個体で合致するものがいるのかを調査するためだと言います。
     そのために尾ビレの撮影や、ザトウクジラの音声調査がおこなわれました。ザトウクジラは、一頭一頭、尾ビレの模様や形が異なります。その尾ビレを観察し、歌うクジラといわれるザトウクジラの歌声を録音し、ハワイ、カリフォルニアと共通の個体がいるかを調べるのです。

     小笠原のホエールウォッチングは、このとき来たハワイの専門家から、ホエールウォッチングの仕方、クジラへのアプローチの仕方を教えてもらい著しい進歩を遂げました。望月さんもその一行に同行してクジラへのアプローチの仕方を学んだのです。ただ結論を言うと、小笠原にはハワイ、カリフォルニアと合致する個体は非常に少なく、むしろ沖縄と小笠原で共通する個体が多いことが、今では分かっています。

     こうして、スキルアップした望月さんは、その言葉通り、世界ではじめて日本のザトウクジラの水中撮影に成功し、「クジラは天からあたえられた被写体」とばかり、鯨類撮影の草分けとなっていくのです。

     

     以下の文章は、生前、望月昭伸さんご自身が書かれた文章です。望月さんが亡くなった同じ年の7月、「クジラの棲む青い地球―望月昭伸写真集」(1997年 コアラブックス発行)に付録として挟み込まれて公開されました。今回、小笠原ダイビングセンターの森田オーナーに取材させていただいた記事を裏付ける内容になっています。

     

    望月昭伸さんが撮られたザトウクジラの写真(「クジラの棲む青い地球―望月昭伸写真集」(1997年発行)から転載

     

     「私が初めて小笠原のザトウクジラの撮影に取りくんだのは、1987年のことだった。当時、日本では、まだだれもホエルウォッチングをやったことがなく、どうやってクジラを探したらいいのかもわからなかった。地元のダイビングサービスの人と、ほんとうにゼロから始めて、クジラヘの近づき方や、撮影の仕方を体得したのである。父島の西側の崖の上で私がクジラを探していたら、“自殺志願者がいる”と通報され、警察官が駆けつける騒ぎとなった。なつかしい思い出である。
     私はクジラの撮影ではひじょうにツイていて、初めの年から6頭の交尾集団の撮影に成功した。巨大なクジラの雄たちが雌を争ってくりひろげる戦いのすさまじい迫力。そのときの強い印象が、クジラの撮影が私のライフワークとなるきっかけだったのだと思う。クジラの撮影をしていて、彼らの巨大さを思い知らされるような体験を何度もしている。
     あるとき、クジラが私たちの小さなボートの真下で鳴いていた。歌うような不思議な鳴き声が海面から響いていた。水中マイクを通さずにじかに声が聞こえるのはひじょうに珍しいことである。潜水具をつけて水中に入ると、クジラの鳴き声が電気のような衝撃となって、ビリビリと足の先から頭まで走った。まるで海全体が鳴いているようだった。
     母クジラの巨体に接触してしまったこともある。私は子クジラが1頭で泳いでいるのを水中撮影していた。好奇心旺盛な子クジラがどんどん私に近づいてきてしまった。そのとき、突然、足の下の深い海から、わーっと母クジラが浮上してきて、私と子クジラの間に割りこんできた。私も初めてクジラに対するほんとうの恐怖を感じて、思わず後ずさりをした。しかし、私も、母クジラも避けきれず、母クジラの胸ビレが私の足の裏にふれた。やわらかくしなる、しかし固い感触が、いつまでも私の足の裏に残っていた。」

     

    陸揚げして整備中の「韋駄天掘廚反硬珍ツ垢料狒イ垢襦幟蠡姪鍬掘

     

     翌日、森田さんの持ち舟「韋駄天掘廚望菫イ気擦討發蕕ぁ⊂笠原の海へ乗り出しました。そこで、望月さんの遭難について興味深いお話しをお聞きすることとなったのです。

     望月さんが撮ったザトウクジラの母子の写真が、小笠原ダイビングセンターに飾られています。この写真も、望月さんの死後発行された「クジラの棲む青い地球―望月昭伸写真集」(1997年発行)に収録されており、このブログにも転載させていただきました。セーリング中、この写真について森田オーナーから、我々素人が聞いても「なるほど」と胸落ちする話しをうかがいました。

     

    南島周辺、まるで昔観たミュージカル映画「バリハイ」を思わせるような風景

     

     以下は森田さんにお話を伺った要約です。

      ◇

     望月さんはクジラに対して恐怖心を持っていました。潜るときも「気合いを入れないと怖くて撮れない」と常々語っていました。僕は何度も彼と一緒に海の中へ入っていますが、生きものに対してソフトにアプローチする人と、ワイルドに接する人がおり、望月さんは後者だと思います。

     望月さんはクジラに対する恐怖心を押し殺し、自分を奮い立たせ果敢にクジラに向かっていくんです。泳ぎ方も非常に早いのです。僕なんかはスピードを上げるとクジラにプレッシャーをかけてしまうと思い、できるだけゆっくりと泳ぎ、クジラが寄ってきてくれたらオーケーだくらいに思っています。クジラに向かう角度も、我々はクジラと平行に泳ぎ、クジラにプレッシャーをかけないようにします。これに対し、望月さんは、クジラに対し向かっていくんです。クジラの歌声を真似たりもします。それをやると、ワーッと寄ってくるクジラがいたりします。

     こういったことを「おもしろがる」クジラも確かにいるし、こういうクジラに出会ったときは、実にいい写真が撮れるんです。
     この写真(中程に掲載したザトウクジラの母子の写真)なんかもそうですが、ちょっと考えてほしいんです。これ、ザトウクジラの親子なんですけど、4メーターぐらいの距離まで近づいて撮っています。水中の鯨を撮るときはクジラとの距離が遠くても10メートルが限度です。これ以上離れると、写真として使い物になりません。
     水中では地上みたいに望遠レンズが使えないんです。水の透明度もその年によって違うんですが、透明なときでも水の中は深くなるほど暗いし、望遠を使っていたら、泡や浮遊物ばかりが写って肝心のクジラを撮ることができないんです。だから望遠ではなくワイドレンズを使い、思いっきり寄っていって撮るんです。
     思いっきり寄って撮れた写真は、クジラの描写が、今まで見たことのないような鮮明さで写るんです。それが彼が使っていたカメラとレンズの特性です。
     ところが、いつも彼のようなやり方を「おもしろい」と思うようなクジラばかりとは限らないんです。

      ◇
     ところで望月さんの遭難時は、森田さんは同行していませんでした。それでもあえてお話をうかがうと、望月さんの最後の模様を次のように推測してくれました。
     「彼は寄り添って撮るカメラマンではない。思いっきりワイドレンズを使い、思いっきり近づいて撮るタイプのカメラマンです。クジラは、足びれを止め浮いているだけの者は敵とみなさないが、スピードを上げ近づいてくる存在は敵とみなす習性がある。遊び心のあるクジラで、それを許すクジラもいるが、執拗に付きまとわれると、胸ビレを大きく振って追い払われる場合だってある。そのときは、ゆっくりな動きなのですが、それでも海の中で電信柱を振り回しているようなもので、しっかり目を開いていれば避けられるのだが、撮影に夢中になっていたりすると、この胸ビレの直撃を受ける場合もある。おそらく望月さんの事故はこういう状況だったのでは、と思われます。」

     

    カメラを船体に沿っておろし、船体を共鳴体として、クジラの発する音を録音しました。

     

     「韋駄天掘廚望菫イ気擦討發蕕ぁ∨招遒気鵑虜粘の様子も、おぼろげながら想像できるようになりました。船上ではザトウクジラを観察したり、水中カメラを船体に沿っておろし、船体を共鳴体にしてクジラの音を録音することもできました。

     小笠原の海は、まるで夢のなかの出来事のようで、気づけば5時間近くセーリングしていたことになります。

     いよいよ下船――現実に帰る時間がせまってきたようです。

     明日は、小笠原海洋センターやホエールウォッチング協会を訪ね、望月さんにちなんで名付けられた、ザトウクジラ「モッチーニ」の足取りを追うことにします。

     

     

    セーリングを終え、父島二見港入港間近

     

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