クジラ・イルカ紀行 vol.016 / 鳥島を経て小笠原・父島へ

2018.06.22 Friday

0
    東京竹橋桟橋から小笠原諸島・父島を目指し出稿準備中の「おがさわら丸」。白枠内は、乗船を待つ船客と2等船室の模様。

     

     1966年、ザトウクジラおよびシロナガスクジラが、国際捕鯨取締条約に基づき禁漁となりました。禁漁以降、小笠原諸島へは次第にザトウクジラが戻ってくるようになり、そして1987年、写真家・望月昭伸さんが小笠原ではじめてザトウクジラの水中撮影に成功するにいたったのです。

     以来、望月さんは、クジラを「天からあたえられた被写体」として、世界のクジラやイルカたちを撮り続けてこられました。

     その望月さんが、1999年3月20日、小笠原の母島沖でザトウクジラの水中撮影中に行方不明となったのです。事故当初は生存の可能性も伝えられたのですが、結局は、遺体はおろか、愛用のカメラさえ見つけることができず、その生存は絶望視されるに至りました。

     今回は、小笠原に、望月さんが無名時代だったころからの盟友森田さん(小笠原ダイビングセンター)や、ホエールウォッチング協会を訪ね、望月昭伸さんのこと、彼の名前が付けられたザトウクジラ「モッチーニ」のこと等々を紹介していきたいと思います。

     

    おがさわら丸船内レクチャーでのスライド

     

     2016年4月19日21時40分、竹島桟橋発の「おがさわら丸」に乗船、いざ小笠原の父島を目指します。乗ってみて教えられたのですが、今回は通常の航路ではなく、「鳥島」や「孀婦(そうふ)岩」へと立ち寄り、それら島の周囲を一回りし、その後、小笠原へ向かうというのです。このため、通常25時間30分の航路が、32時間20分かかるといいます。予約時点から「随分時間がかかるなあ」とは思っていましたが、まさか、こんな特別プログラムになっていたとは気付きませんでした。

     おかげで「鳥島」の「アホウドリ」についても、船内のレクチャーや、遠望ではありますが貴重な観察をさせていただき、自然と人間の向き合い方についても深く考えさせらた次第です。

     昔、北大路欣也主演の「漂流」という映画を観たことがあります。鳥島に漂着した主人公が、生きるために「すまぬ、すまぬ」と口走りながら「アホウドリ」を棒きれで撲殺していくシーンが忘れられません。この無人島では水にしろ、食料にしろ、無数に生息するアホウドリを殺して手に入れるしかなかったのです。

     人間に対する警戒心もなく、おまけに陸ではヨチヨチ歩きしかできないアホウドリは、飢えた漂流者の格好の餌食となりました。

     ところが漂流者だけならまだいいのですが、明治にはいるや、羽毛の原料として「アホウドリ」がターゲットになりました。ヨーロッパの羽毛布団の原料として、集団で営巣するアホウドリに目が向けられたのです。こうして「アホウドリ」は日本にとって貴重な外貨獲得手段となり、鳥島だけで推定500万羽の「アホウドリ」が、人間の欲の犠牲になっていきました。 

     

    船からかつての集落跡が観察されます。

     

     明治期、鳥島にはアホウドリの羽毛採取のため、125人ほどの島民がこの仕事に従事していましたが、1902(明治35)年の鳥島噴火により全員が死亡するという悲惨な事故が起こりました。この後も、牧牛を主体としながらアホウドリの羽毛採取の事業が続けられていましたが、これも1939(昭和14)年の噴火で壊滅します。

     やがて太平洋戦争が終わり、1949年、アメリカの鳥類学者が鳥島を調査した結果、一羽のアホウドリも見つけることができませんでした。

     これにより、いわゆる「アホウドリ絶滅宣言」がなされたのです。

     ――――――

     ところがです。1951年になって、鳥島で繁殖しているアホウドリが再発見されたのです。

     乱獲から転じて「アホウドリ」は、今度は保護される対象になりました。それもつかの間、1965年の火山性群発地震により、保護観察をおこなっていた測候所が鳥島を撤退することになり、この活動も休止することとなってしまったのです。

     

    アホウドリの営巣地が遠望できます。

     

     おがさわら丸は予定通り、翌12時40分頃、鳥島の見える海域に到着しました。

     いよいよ、これから1時間かけて鳥島を周回します。

     鳥島は全島面積4.79㎢、直径2.7km、標高は硫黄山で394メートルという小さな火山島です。ここにアホウドリの大群が生息し、その羽毛を目当てに、人々が移り住み小さな集落を作っていました。

     明治、昭和の噴火活動で、今は無人島になっていますが、周回途中、溶岩が海へ流れ落ちた痕を見たり、かつて島民が住んでいた集落跡を遠望したりと、あっという間に時間が過ぎていきました。

     鳥島に残されたアホウドリの営巣地も視認しましたが、昔、映画で見た驚くようなアホウドリの大群とはちがい、群れが細々と生き残っている、そんな感じでした。

     このアホウドリの群れを、火山噴火の恐れのある鳥島から安全な地域に移住させようとする計画があります。

     選ばれたのは、鳥島から南に約350辧⊂笠原諸島の聟島(むこじま)です。計画は2008年から開始され、5年間で、のべ70羽のひなを移送し、死んだ1羽をのぞく69羽すべてが巣立ったと言われています。さらに2016年には、人工飼育個体が初めて聟島での繁殖に成功したと言います。

     

     

     アホウドリたちは、日本の経済発展という人間の都合で殺戮されていきました。それを今度は絶滅から救おうと立ち上がった人たちがいます。それはそれで、すごく感動的で素晴らしいことだと思うのですが、ここへ来る少し前、岡山県美作の鹿の処理場へ行ってきたことがあり、その時のことを思うと素直に喜ぶことができないのです。

     鹿肉を処理する工場ですが、そこで美作市の職員の方のお話しを聞かせていただきました。

     そのお話しによると、野生の鹿の個体数が減り、美作でも鹿の姿が山から消えてしまったことがあるそうです。そんなとき、子連れの母親鹿があらわれ、やれ保護だ、やれ繁殖だと、県をあげて野生の鹿を保護する取り組みがおこなわれました。そうして起こったのが、野生の鹿が増えすぎ、植林を食い荒らすという「食害」という問題です。その被害は捨てておけず、今度は、保護どころか、鹿に賞金をかけて捕殺するという結果になってしまいました。

     アホウドリは、人のいない無人島で繁殖してきました。そこへ人さまが人間の都合で割り込み殺戮の限りを尽くしました。

     新たな移住地も、人に荒らされない無人島です。でも逆に、アホウドリが、人の生活する町や村で大繁殖したらどうなるのでしょうか? 人間の生活を脅かさないという暗黙裏の了解のうえに「保護」があるのでしょうか?

     今、「動物愛護」という「上から目線」でなく、「動物の権利」を考えるという新たな発想が芽生えはじめていると言います。クジラやイルカの問題、鹿の問題、アホウドリの保護等々、これから人間は、自然とどう接していくのかを、本当に考えていく時期に来ているように感じます。

     まだ「答え」は霧の中ですが……。

     

     そんなことを思っている内に、おがさわら丸は、鳥島海域を離脱し(14:00)、次なる目的地「孀婦(そうふ)岩」へと向かっていきます。孀婦岩へ到着するのは、2時間後ということです。

     ところで、この孀婦岩というのは、鳥島の南約76kmに位置し、標高99m、東西84m、南北56mの孤立した岩の柱です。これを調査したイギリス人は、旧約聖書で神の指示に背き「塩の柱」に変えられた女性に似ていると、「ロトの妻」と名付けました。確かに、映画「ソドムとゴモラ」で見た「塩の柱」に似ています。この命名を意訳し「孀婦岩=そうふがん」という名称があたえられました。

     なお、この孀婦岩、気象庁により活火山とされているそうです。

     さて、この孀婦岩への到着、島の周回で二日目のプログラムが終了し、明日の朝は、いよいよ小笠原到着です。

     

     

    孀婦(そうふ)岩から離脱するなり、陽が太平洋に沈んでいった。

     

     次回は、望月昭伸さんの足取りを追って小笠原・父島へ上陸します。

    コメント
    コメントする
    トラックバック
    この記事のトラックバックURL