クジラ・イルカ紀行 vol.015 / 空を飛んだフジ

2018.06.10 Sunday

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    (座間味島からの午前のフェリーで那覇港へ到着、美ら海水族館を目指す)

     

     美ら海水族館は沖縄の北西部、本部(もとぶ)半島の先端近くにあります。これに対し那覇は沖縄の南部西海岸に位置し、那覇から美ら海水族館に行こうと思うと、南北に長く延びた沖縄島のほぼ3分の2をバス移動しなければなりません。その間、ほぼ3時間ちかくをバスに揺られてやっと記念公園前にたどりつくという寸法です。沖縄の最北端から最南端までほぼ400キロ、どうして鉄道がないのでしょうか。

     戦前は軽便鉄道もあったといいますが、沖縄戦で破壊されてしまいました。戦後はアメリカの統治下に長くあったわけで、その間、米軍は道路網の整備に精力を注ぎ、沖縄を車社会に変えてしまったということです。今は、那覇市内はモノレールが敷かれていますが、これが隣接する浦添市まで延長される予定で、将来は北部の名護まで計画に入っていると言います。沖縄本島の南北がモノレールで結ばれる日も近いと考えていいのでしょうか。

     話が沖縄の交通網の話にそれてしまいましたが、この日、私は、沖縄本島の南、座間味島からフェリーに揺られ、バスに揺られ、揺られ揺られて「美ら海」までやってきたわけです。少しばかり、「なぜ、沖縄には鉄道がないんだ!」と、愚痴っぽくなるのをお許しください。

     いくら「船酔いには強いんだ」と胸を張りましても、やはり疲れました。しかも時間は夕方近く、今日は記念公園近くのホテルで、おとなしく一泊することにしました。

     

    美ら海水族館の誇る展示物(世界で初めて長期飼育に成功したジンベエザメ/メガマウスサメの標本)

     

     翌日、体力も回復し、朝8時半の開館を待ちかねて、美ら海水族館に駆け込みました。

     前日、ホテルから獣医の植田さんに電話連絡したところ、明日は終日那覇に出かけているため不在とのこと。「フジ」のことなら、動物管理チームの古網主任に会うよう勧められていました。植田獣医には、大阪から電話取材していることもあり、あきらめざるを得ません。むしろ「フジ」に尾ビレを付ける訓練を直接担当された古網さんに会える、そのことが自分の中で大きく膨らみ、はやる気持ちを抑えて入館した次第です。

     

     

     ここは「フジ」が存命中に使っていたプールです。このプールで、当時、新米飼育員だった「古網雅也」さんと、尾びれを失ったイルカ「フジ」のドラマが展開しました。そして、まさに、ここが古網さんが指定した待合場所というわけです。

     このプール前で古網さんの仕事が一段落するのをしばらく待ちます。

     ところでこのプール、僕が訪ねた頃は、幼いイルカたちの住みかになっており、こんな看板が出ておりました。

     

     「仔イルカ経過観察中(平成26年6月4日生まれ)

      .ラスをたたかないでください。

      ▲メラ撮影の際にはフラッシュを使用しないでください。

      動物への影響を考慮し、最低限の清掃をおこなっています。」

     

     のぞき窓からは好奇心いっぱいのイルカの子どもたちが、目をキラキラさせながら逆に人間たちを観察していました。なんのことはない、こちらが観察されているわけです。

     しばらくして古網さんがグレーの作業服で現れました。

     本の写真などで見ていた古網さんは、がっちりした精悍な感じの青年でしたが、今、こちらを目指しニコニコしながら歩いてくる姿は、どちらかというと人の良さそうな、ホンワカした温かい感じのおじさんです。写真で見たような、茶目っ気はあるが、どこか「とがった感じ」が抜けない、そんなイメージはまるっきり感じさせません。
     そりゃあ、そうですよね、フジが尾ビレをなくしたのは15年も前の話ですものね。それともイルカとずっと付き合っているせいもあるのでしょうか。そうですね、きっとそうに違いありません。
     こちらがそんなことを思っている間にも、古網さんは、歩きながら「フジ」のことや、今は「フジ」の子どもたちが、「オキちゃん劇場」(イルカやオキゴンドーのショー)で頑張ってくれている話をしてくれています。
     「オキちゃん劇場」では、一頭のイルカが5メートル近くもあるようなターゲットに向かって驚くようなジャンプを披露していました。ひょっとして、あれは「フジ」の娘、「コニー」なのかも――。
     「フジ」のことに話を戻しましょう。
                  
    オキちゃん劇場はフジのプールのすぐ横手にある。
            
     2003年2月、ブリヂストンは「フジ」の人工尾ビレ開発の意思決定をし、これに伴い、加工品技術開発本部の加藤信吾さん、斉藤真二さんの二人が、神奈川県の八景島シーパラダイスを訪ねました。イルカの皮膚を体感するためです。このときの触感で、二人はイルカの皮膚を、ゴムの硬さでは70度くらいと判断したそうです。
     そして、その5ヶ月後の7月5日、ブリヂストンの加藤さんと斉藤さんが、「フジ」の尾ビレの型どりのため、初めて美ら海水族館を訪ねることになりました。
     このとき、フジの尾びれの型どりが海獣課のスタッフ総出でおこなわれました。
     これより古網さんと「フジ」の接触がはじまります。人工尾びれの完成を待つ間、フジが人工尾びれの装着をいやがらないよう「異物の装着訓練」が開始されたのです。
     スタッフの一人がテープでリングを作り、それを「フジ」の尾っぽに装着する。次には布をふんどし状にして着けてみる。こうして少しずつ「フジ」が人工尾ビレをいやがらないよう訓練していくという寸法です。
     しかし、この訓練に携わった古網さん、頑固な「フジ」に水をかけられたり、なかなかすんなりと言うことを聞いてはくれませんでした。
     そして2003年9月20日、人工尾びれ第一号が到着しました。このときは、「フジ」のプールの水を抜いて、人工尾ビレを装着しやすいようにし、装着した後にプールに水を満たすという作戦がとられました。
     古網さんが人工尾ビレの装着にチャレンジしますが、水をかけられ反撃される始末。
     「まだ古網には無理だ」、そんな声がスタッフの間から起こります。
     そこで古参のスタッフが「これ、怖くないよ」と、人工尾ビレを着ける前に、まず「フジ」の目の前に持っていき笑顔で説明します。すると「フジ」は納得したのか、おとなしくしているではないですか。そこですかさず古網さんが古参のスタッフを手伝い、人工尾ビレを靴のようにして履かせ、ベルトで固定しました。
     「フジ」は、おとなしくじっとしています。
     装着が完了し、プールに海水が戻されます。
     ところで普通の水族館では、プールに張る水を消毒して何度も循環させて使いますが、美ら海水族館は、海に面して作られているため、プールに張る海水には苦労しません。文字どおり「湯水のように」海水を使います。このためプールがいつも清潔で、「フジ」の手術後も、傷口から「ばい菌」が感染することもなく順調に回復することができました。
     今、その海水が、「フジ」のプールに満たされていきます。
     果たして「フジ」は泳ぐことができるのでしょうか?
     大成功です。「フジ」が、尾びれを失ってから初めてのドルフィンキック。尾ビレを上下に振りながら泳いでいます。
     ただ問題点が見つかりました。
     人工尾ビレ1型の問題点
      〜澗里妨すぎて水の抵抗が大きくなります。
      ▲侫犬糧びれに傷が付いてしまいました。
      ゴムが硬すぎて水となじみにくいようです。
      ぜ茲衂佞韻バンドを巻き付ける方式で、時間がかかりすぎました。
     たしかに見た目でも、洗練された「イルカの尾ビレ」とは縁遠いようなフォルムです。
     これら反省点を踏まえて、早速、2型の製作にかかります。
     それから約二ヶ月近くたった2003年10月の末、早くも人工尾びれの2型が、ブリヂストンの加藤さん、斉藤さんによって持参されました。
     これは大失敗!
     1型よりも、もっと激しく尾びれを振らないと前へ進まないのです。ゴムの硬さをもっと研究の必要があるようです。さらに人工尾びれがフィットしていないため、隙間に水が入り込み泳ぎにくくなっています。これは型どりの時、「フジ」が暴れたのが原因で、実際のものより大きな型ができてしまったためだと言います。
     型から作り直す必要がありました。そこで、獣医の上田さんの友人で大阪の造形家・薬師寺一彦さんが型どりをすることになりました。薬師寺さんは、造形化としての繊細な感覚で、実際にフジの尾びれを手で探りながら彼女にピッタリとフィットする型を作り上げてくれました。
     こうして2004年3月19日、ブリヂストンタイヤの加藤さんらが、改良型の尾びれを持って水族館を訪問してくれました。今回は、水族館で亡くなった「フジ」の仲間「トク」の標本を参考にして作った自信作を携えています。ゴムの硬さも40度のものと70度のものの2種類を用意してきたのですが、どちらも水の中でしなりすぎ、うまく前へ進めませんでした。
     このあと、取り付け方法もバンド方式からクロスバンド方式へ。さらに肩当てのパットを付けるカウリング型(かぶせるという意味)へ、ゴムの硬さも一様ではなく、部分的に芯を入れることで硬くしたりと改良が繰り返され試されますが、同時にフジの回復も目覚ましく、病み上がりの弱々しいフジではうまくいっても、完全に勢いを取り戻したフジが思いっきり泳いだりジャンプすると壊れてしまうことが多くなってきました。
      
    (映画「ドルフィンブルー」の1シーンです。この中に飼育員の古網さんがエキストラ参加しています。どれが古網さんかおわかりになるでしょうか? 正解は末尾に)
      

     2004年9月23日には、尾びれを失ってからできなかったジャンプに初めて成功します。しかし、着水したと同時に新型人工尾びれはバラバラに砕け散り、フジもその破片で傷つくという事故が起こってしまいました。

     計画は暗礁に乗り上げます。

     古網さんの心の中に、「俺たちは、フジにジャンプを強制していないだろうか」「これでフジがつぶれたら元も子もない」「人工尾ビレが本当にフジのためになっているのだろうか」、そんな疑問が次々と湧き上がってきて、一時は植田獣医に開発の中止を進言したほどでした。

     しかし、そんな疑問を吹き飛ばすように、「フジ」は、娘の「コニー」がジャンプする姿を見て、無いはずの尾をしきりに振りジャンプしようとするのです。
     獣医の上田さんは決断しました。ジャンプは自発的だ。フジは飛びたがっている。それならジャンプでも壊れない尾びれを目指そう! 古網さんの疑問も吹っ飛び、今度は、古網さんが「フジ」の直接の担当となって、人工尾ビレの開発と平行し「フジ」のトレーニングが続きます。

     2004年10月16日、カーボンファイバーとグラスファイバーを組み合わせてつかってみましたが、これもジャンプでヒビが入り壊れてしまいました。
     2004年11月21日のテストでも壊れしまいました。

     「フジのパワーに負けない尾びれを」、この言葉を合い言葉に開発が続き、ついに2004年12月18日、今回は今までにないまったく新しい材料を芯に使った尾ビレが誕生しました。

     しかし、今回の尾ビレが、成功してもダメでも、開発は一応切り上げるという決断がされています。

     いよいよ最後のチャレンジです。

     今では、「フジ」は古網さんを信じ切っており、二人の意気もピッタリ、尾ビレの装着もスムーズに進みます。

     スタッフが固唾をのんで見守るなか、まずはツイスト、続いて回転、そしていよいよ

     「ハイジャンプ、行きまーすッ!」

     古網さんの声があたりに響き、ついでハイジャンプのターゲットが空高く掲げられました。

     「フジ」はいったん水中深く潜るや、勢いをつけ水面を目指します。やがて、水面を割り「フジ」の頭が顔を出したかと思うや、水滴をまき散らしながら灰色のからだ全体が宙空を駆けのぼっていきました。
     大成功です。ターゲットを目指し「フジ」の会心のジャンプが披露されました!

     開発の開始から実に1年と10ヶ月、とうとう壊れない「フジ」にフィットした人工尾びれが完成したのです。     

       

       
     この後、「フジ」は10年生き続け、子どもたちや障害者たちを励まし続けました。
     そして、2014年11月1日、感染性肝炎のため、45才(推定年齢)で亡くなりました。
     果たして彼女の人生は幸せだったのでしょうか? そんなことは人間に分かるはずはありませんが、少なくとも人間や社会を恨んでいたわけではなく、彼女の生きた環境の中で「子どもたち」を育て、「人」との友情を育み、彼女にあたえられた人生を精一杯生き切ったと感じるのです。
     イルカと人との関わりについては、ただ「かわいい」だけでは済まされない複雑な問題が絡んでいます。しかし、だからこそ、「人間」が「自然」とどう接し、どう向き合っていったらいいのか、そのヒントをイルカさんが投げかけてくれているように感じてしまいます。
         
     次回は、クジラを撮り続け小笠原で消息を絶った水中写真家・望月昭伸さんの足取りを追って、小笠原を訪問します。
        
    小笠原港に入港した「おがさわら丸」
      
    (解答:エキストラとして「ドルフィンブルー」に参加した「古網さん」は、一人だけ濃いめのオレンジ色の作業衣を着ています。)
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