クジラ・イルカ紀行 vol.010 / 新得から釧路へ

2018.04.23 Monday

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    北海道にある新得共働学舎とその農場

     

    イルカやクジラの話から少し外れますが、まずは僕が、北海道の新得共働学舎へ出向くようになった経緯から聞いてください。

    今から3年前のことになりますが、僕は、仕事の事務所を、大阪からもとの古巣である奈良県の広陵町へ移すようになりました。広陵町といえば、靴下の町ということ、それに日本で古墳が一番多い市町村ということで有名です。

    ますますクジラの話から遠ざかってきましたが、その広陵町で、「編集工房DEP」兼「自遊空間ゼロ」というフリースペースを運営するようになったのです。このフリースペースというのは、子どもが自由に時間を過ごせる、子どもと親が、ともに陶芸をしたり、お話を読み聞かせたり、ともに遊んだりと、親と子が時間を共有できる、そんな場所であります。サラリーマン時代からの長年の夢である、子どもが自由に創作活動が出来る「子ども工房」をつくりたいと、その思いが一歩を踏み出した、大げさに言えばそういう場所でもあります。

    まず、活動のシンボルになるような、子どものための本作りを考えました。何を作ろうかと考えたとき、思い浮かんだのが、北海道の「寧楽(ねいらく)共働学舎」の子どもたちのことです。

    サラリーマン時代、ボスが自由学園の理事を兼務していた関係で、これから紹介する北海道の共働学舎ともつながりがありました。自由学園とは、「真の自由人を育てる」ことを目的に、女性思想家、羽仁もと子さんと羽仁吉一さん夫婦によって1921年に創設されたキリスト教系の学校です。その関係で、僕も在職中、社員旅行で北海道を訪れたおり(これはボスが企んだことですが)、この寧楽共働学舎に滞在することになりました。

    その滞在中の日曜日のことです。

    当時、この寧楽共働学舎には、不登校の子どもたちが10人近くおり、その子どもたちと日曜日を利用して、留萌駅へSLすずらん号を見学に行くことになったのです。

      留萌線を走る「SLすずらん号」と19年前の私(寧楽で)

    当時、NHKの朝の連続ドラマ「すずらん」の放映が終了したばかりで、ドラマに登場した蒸気機関車「すずらん号」が留萌線で不定期運行されるようになっていました。これを見学しようというのです。寧楽から留萌駅までは車で約40分の道のり。学舎のマイクロバスに子どもたちと乗り込み、ピクニック気分で、ワイワイ言いながら留萌駅を目しました。

    子どもたちといっても、小学生から中学生、高校生ぐらいの幅広い子どもたちが一台のマイクロバスに乗り合わせています。中には口もとにピアスをした、いかにも不良然とした男の子も混じっていました。

    車中では、年長の女の子がリーダー役をつとめていましたが、雑談も、いつしか身の上話的になり、僕にも何か話すように促してきます。

    僕としては、あまり話したくないことでしたが、若い頃、映画を志し、PR映画やコマーシャルフィルムの製作進行の仕事をしていたことを話しました。そして、なぜ映画の仕事を辞め、志を捨てたのかも話さざるを得なくなりました。才能がないからとか――そんな格好の良いものではありません。北軽井沢の長期ロケで、突然、訳の分からない不安感に襲われ、撮影現場から蒸発してしまったのです。取り返しのつかないことをしてしまい、その後、プロダクションに帰ったものの、みんなの目がいたたまれず、プロダクションを辞め、大学へ入学することになりました。当時は、自分のしたことの原因がつかめておらず、「誰でも出来ることが、なぜ、自分に出来ないのか」、そんな自問自答を繰り返している毎日でした。

    この話をし終えた途端、子どもたちみんなが「話したくないだろうに、話してくれてありがとう」と泣いてくれるのです。こんなにやさしい子どもたちがいるのかと思いました。ピアスの男の子まで、僕を慰めてくれる始末です。そうこうするうち、バスは留萌駅に着きましたが、すずらん号は発車した後でした。

    みんなのがっかりした顔――。

    突然、運転手をしてくれている木工工芸のお兄さんが、車内のみんなのほうを振り向くや、「追いかけるぞ」の一声。その号令一下、次の停車駅を目指して、マイクロバスが発進します。そして、途中、留萌川に沿って走るすずらん号を見つけたときは、車中が喚声に湧きたちました。

    子どものための本を作りたい、そう思ったとき、まず思い浮かんだのが、そんな寧楽共働学舎の子どもたちの喚声でした。

    とりあえず寧楽共働学舎に電話しましたが、当然のことながら、あの頃の子どもたちは、みんな元気になって巣立っていったということです。今は、在籍している子どもたちもいないとのことです。そこで、「一度、新得共働学舎へ行ってみては」と、提案を受けました。

    早速、新得へも電話を入れますが、ここも似たような状況でした。

    ところがです。数日して、新得共働学舎から連絡が入りました。

    私が電話がした後、札幌の女子中学生から電話が入り、共働学舎に置いてほしいというのです。

    その子が、今、新得共働学舎におり、僕の話をしたところ、ぜひ会いたいと言っているという次第です。

    翌週、早速、ジェットスターで新千歳空港へ飛び、南千歳から釧路行き「スーパーおおぞら」で新得を目指しました。その列車の中で、車内誌「The JR Hokkaido」に目が行きました。

    そこには、釧路で、「しゃちの観測船」に、はじめて一般の乗船希望者を受け入れるという記事が出ておりました。早速、電話番号をメモした次第です。

     

    南千歳駅でスーパーおおぞらに乗り新得を目指す/右上の写真は、トマムの駅を過ぎた辺りの景色

     

    シャチの話はひとまず置くとして、新得共働学舎に着くや、オーナーの奥さんが出迎えてくれ、

    「桐生さんから電話があって、すぐ、あの娘(こ)から連絡があったんです。不思議なものですねえ。今、呼んできますから待っててくださいね。」

     

    やがて事務室の一角で、彼女と出会いました。

    彼女の提案で、翌朝、彼女の好きな牧場の散歩を一緒にすることになり、そこで話したいということになったのです。その日は、共働学舎のゲストルームに泊めてもらい、翌早朝6時、朝食前に二人で牧場が見渡される丘へと散歩することになりました。

     

    この朝、「どうして自分は学校へ行けないのか」「どうしてみんなとうまくやっていけないのか」等々、彼女が抱える疑問の数々を聞かせてもらいましたが、最後に、「ほかにも、いろんな疑問を抱えている子どもたちがいるのかなあ、いたら話してみたい、会ってみたい」――彼女のその問いかけから、自遊空間ゼロの出版第一作「僕のナゼ、私のナゼ」が生まれることになりました。

    北海道から帰るなり、早速、協力してくれる子どもたちを探しました。結局、北海道の彼女以外に、岐阜大垣の子どもが3人、大阪の子どもが3人、あわせて7人の子どもが協力してくれ、自分の中に抱えている「ナゼ」と向かいあってくれることになりました。

    こうして出てきた「ナゼ」は、子どもたちの「本音」が詰まっており、想像以上にシリアスなものでした。このまま公開するより、イルカの子どもたちに置き換えたストーリーを作ろうということになりました。

    これは、僕のクジラ好きを知った、北海道の女の子が提案してくれたもので、以来、彼女から来る手紙には、必ず最後に「北のイルカより」と書かれてありました。

    以下は、彼女を主人公にした「僕のナゼ、私のナゼ」の結末部分です。

        「僕のナゼ、私のナゼ」、表紙と本文から

    目覚めたのは病院の一室だった。
    そこは、先ほどまでの透明感のある真っ青な世界とはちがう、まっ白な世界だった。
    窓から入りこむ朝のまぶしげな光が、普段はもっとくすんでいるだろう白い病室を輝やかせていた。
    おきあがろうとしたかえでは、腕に小さな痛みを感じた。
    左腕に注射針が固定されていた。
    「目を覚まされました。」
    耳もとで看護婦の声がひびき、見わたすと、ぼんやりと、父と母の心配げな顔が浮かびあがってきた。

    かえでは、いつからか中学校へ行かなくなった。

    というより、行けなくなったというのが本当のところだ。
    みんなが自分のことをどう思っているのか、そう思うと学校へ行くのが不安でしかたなくなってきた。
    勉強は嫌いではない。むしろ好きなほう。

    本の虫で、教科書にしろ参考書にしろ、新しい知識、新しい世界にみちびいてくれる本の世界が、かえでには学校だった。
    そんなわけで学校に行かなくても、成績は、学年で常に十番以内に入っていた。
    お母さんからも、進学のことを言われると、学校へ行かないことも不安の種になり、試験の時だけは学校へ行った。
    それがまた、みんなから白い目で見られる原因になった。
    「あの子、普通じゃないのよ」
    「みんなのことバカにしてるのよ」
    「ちょっと成績がいいからって、私たちのこと無視ししている」
    「試験の時だけ出てきて、格好つけすぎよ」
    「私たち、頭が悪いって言われてるみたいじゃない!」
    「みんなと一緒にやれないネクラ少女よ!」
    みんなの思いが聞こえてくるようで、気になりだすと、ますます学校へ行けなくなった。
    でも家にいると、母とぶつかることが多くなった。
    いい子であろうと必死しになったが、それがまた苦しくて、だれにも迷惑にならずにいたい。

    いっそ死んでしまおうと思い、自殺も考えたが、父や母を悲しませるし……
    あれやこれや考えるうち、ご飯が食べられなくなった。
    食事がとれない状態が続くと、不思議に頭がさえきって、なんでも見通せるような感覚になってくる。
    そんななか、自分を知る人が誰もいない世界に身を置きたいと思うようになり、インターネットで「不登校の中学生でも入れるような住みこみの施設」を探すようになった。

    記憶はそこまでだ。
    かえでは摂食障害でたおれ、救急車で病院へ運ばれた。
    かえでは思った。
    (イルカさんとの体験は、私の空想が生みだした世界なんだろうか?)

    ……………………

    「僕のナゼ、私のナゼ」制作中も、スーパー大空の車中で知った釧路のシャチ観測船のことが忘れられず、新得へ彼女の様子を見に行きたいということもあって、11月初旬、「新得」から更に先の「釧路」を目指すことになったという次第です。

     

    「北のイルカさん」との出会いが、「北のオルカさん」ファミリーと出会うきっかけとなりました。

    次回は、いよいよ釧路港発「シャチ観測船」に乗り込みます。

     

    新得共働学舎の朝/右上の写真はゲストルーム内部
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