クジラ・イルカ紀行 vol.001 / 山口県長門市「くじら資料館」

2018.01.23 Tuesday

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     超久しぶりにブログを書き始めようと思った。

     一つの目的は、出版を予定している「動物のいる風景」―イルカ・クジラ編―の筆がなかなか進まないためである。少しずつブログで書きためていこうという魂胆。また、同時に子供向き読み物「石鏡(いじか)ものがたり」の想を練るという目的も兼ねている。

     ところで、この「石鏡ものがたり」は、鳥羽でまだ捕鯨業が盛んだったころのお話。子クジラをおとりに母親の座頭クジラを仕留めた刃刺しの銑吉。不漁続きで、見逃してほしいという母親クジラの夢だのみを無視して、泣く泣く母クジラを仕留めた銑吉だが……。

     この銑吉にかかわらず、クジラ捕りの男たちは、ある種の後ろめたさを抱えている。特に母クジラを殺した後、残された子クジラたちは、このままではどうせ死んでいくだけ、それなら、人間の血となり肉となって、ともに成仏してくれという寸法。しかしいくら自分に言い聞かせてみても、ある種の後ろめたさというか後悔というものがついてまわる。子クジラだけではない、成獣となったクジラでも、いよいよの断末魔の吠え声は、熟練の刃刺でさえ耳をふさぎたくなるほど切ないものだという。

     このためだろうか、クジラを供養する墓は、他の動物のものと比べダントツに多く、日本全国で約100か所に及ぶという。

     今回訪れたのは、山口県長門市の青海島(おうみじま)にある通(かよい)というところ。毎年7月に通(かよい)クジラまつりがあることで有名だが、この時ばかりはにぎわうものの、それ以外は辺鄙な漁師町。この辺鄙な漁師町の中心に目的の「くじら資料館」があった。

     長門市駅からバスで揺られること30分近く、通(かよい)漁協前で降りてすぐ目の前にある。建物の陰に巨大なザトウクジラの姿が見え隠れするように姿を現す。クジラ資料館の広場に置かれたクジラの張りぼてだ。クジラ祭りに使われるのだろう。その前には座頭クジラの尾びれが台座の上に据え付けられ、その台座にはめ込まれた銘板に次のような一文が記されている。

    「有情/通浦では延宝元年(1673)頃から網取法によって捕鯨が始められ、明治末期まで長州捕鯨の中心をなしていました。

     捕獲した鯨に対する報恩感謝を願う人情厚い浦人たちによって、鯨墓を元禄五年(1692)に左山手の清月庵に建立しました。

     墓地には七十数体の鯨の胎児がまだ見ぬ大海の夢を抱いたまま、地中に永眠しています。

     平成三年三月 長門市教育委員会」

     

     

     館内に入ってまず目につくのが金子みすゞさんのクジラを歌った詩二編「くじら法会」と「鯨捕り」。「くじら法会」は館内に入ったホールに飾られており、入り口の「有情」の銘板と共にクジラ捕りの切なさがヒシヒシと伝わってくる。

     

      くじら法会は春のくれ、海に飛魚採れるころ。
      浜のお寺で鳴る鐘が、ゆれて水面をわたるとき、
      村の漁師が羽織着て、浜のお寺へいそぐとき、
      沖でくじらの子がひとり、

      その鳴る鐘をききながら、
      死んだ父さま、母さまを、

      こいし、こいしと泣いてます。
      海のおもてを、鐘の音は、

      海のどこまで、ひびくやら。

     

     

      海の鳴る夜は 冬の夜は、

      栗を焼き焼き 聴きました。
      むかし、むかしの鯨捕り、

      ここのこの海、紫津(しづ)が浦。
      海は荒海、時季(とき)は冬、

      風に狂うは雪の花、雪と飛び交う銛の縄。
      岩も礫(こいし)もむらさきの、

      常は水さえむらさきの、

      岸さえ朱(あけ)に染むといふ。
      厚いどてらの重ね着で、

      舟の舳(みよし)に見て立つて、
      鯨弱ればたちまちに、
      ぱつと脱ぎすて素つ裸、

      さかまく波にをどり込む、

      むかし、むかしの漁師たち
      きいてる胸も をどります。
      いまは鯨はもう寄らぬ、

      浦は貧乏になりました。
      海は鳴ります。冬の夜を、

      おはなしすむと、気がつくと

     

     みすゞの詩にしんみりしていると、「説明しましょうか」と、中肉中背ながら、がっしりとした老人が声をかけてくれた。それが、この長門市くじら資料館の館長・早川さんだった。

     早川さん……早川さんといえば、つい今しがた見て回っていた館内資料の中に「早川家」という古式捕鯨の元網本の屋敷が紹介されていた。この資料館に来る前にも、開館時間もまだだったため、漁協前でバスを降りた後、資料館とは反対側に海辺の突堤沿いに歩いていくと、「早川家住宅」の案内表示が道沿いの駐車場の中にぽつんと立っていた。案内表示に従い訪ねていくと、海沿いの道から一すじ奥に入った道に白壁の玄関口があり、そこに「早川家住宅」の説明書きが大きく出ている。

     声をかけてみるが、留守のようだ。裏側へまわってみて声をかけるがやはり誰もいないようだ。

     

     

    「ひょっとして、早川館長は、元網本の……?」

     思った通り「そうだ」という答えが返ってきた。くじら資料館館長・早川義勝さんは、この地の古式捕鯨網本早川家18代目の当主だという。「さきほどご自宅を訪ねたがお留守だった」と伝えると、「では、受付の女性が昼の休憩から帰ったら一緒に行きましょう」という。屋敷の中をみんな見せてくれるという。

     その間、館長の「通鯨唄(かよいくじらうた)」を聞かせていただくことになった。くじら祭りでは必ず歌われる祝い唄で、長門市の無形文化財になっている。歌う間、かならず手拍子でなく、もみ手をして歌うことになっている。これは命をささげてくれたクジラに、また共に幼いいのちを絶った子クジラや胎児のクジラに追悼の意を表しているのだという。館長の許可をいただき、撮影させていただいたものをユーチューブにアップしているので、興味のある方は視聴していただきたい。

    https://www.youtube.com/watch?v=1BASsc9JCmM​  A Song to mourn a Whale.

     さて次回は、早川家を見学させていただいた後、いよいよ「鯨墓」と「鯨の過去帳」を見学させていただきます。(続く)

     

     

     

    Old fashioned Whaling
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