溝上雄文さんの遺稿「渋谷おでんや物語」

2011.04.11 Monday

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    今、自分が本づくりに関わったほぼ200タイトルの中から、これというものを選び出し、無料公開するデジタル・ライブラリーをつくっている。自分なりに「選考」を進める中で、妙に気になる一本がある。どうしても「本」のほうで「早く、こっち見ろよ!」とばかりに、しきりに袖を引っ張ってくるのだ。 
    それが溝上雄文さんの「渋谷おでんや物語」だ。未完の原稿ながら、思い入れの強い作品だ。なぜ思い入れが強いのか、少し湿っぽい話になるが、僕がその本の「あとがき」に書いたものがあるので紹介させてほしい。

    今年(2005年)明けて早々に、水俣総合病院に入院中の溝上さんから電話が入った。
    氏は既に、当社のオーダーメイド出版(読者予約を募って、その結果から出版に踏み切るかどうかを決めるという自費出版システム)から、「悪童たちと先生」「談合受注」という、二冊の本を出されている。
    氏とはそのときからの付き合いだ。昨年末、割烹「今昔」の女将野村さんから、氏が末期ガンで入院し、「故郷水俣で死にたい」と水俣の総合病院へ移られたと聞いたばかりだった。
    その溝上さんから電話だという。
    (なんて声をかけたらいいんだろう……)体がにわかに緊張していくのが分かる。
    「だいじょうぶですか」という間の抜けた僕の第一声に、受話器の向こうから、意外と元気そうな声が返ってきた。
    「桐生さん、次の本を出したいんだ」
    「………………?」
    「末期ガンで、死後の献体の手続きも、今、済ませたところなんだ。もう長くないから、僕が死んでから本にしてほしいって思ってネ。原稿のフロッピーを送ったから後は頼むよ。」
    「洒落たことしますネ。じゃあ、見舞いがてら一度打ち合わせに行きますよ」と、明るく答えたものの、そういう僕を制して
    「全部、そちらでやってほしい。みんな任せたいんだ。僕はもう限界だよ。引き受けてくれよ……」と、さっさと言うことだけ言って電話を切ってしまわれた。


    翌日、「熊本県水俣市天神町一丁目二番地一号 西四病棟四六一号内 溝上文雄」さん差し出しの宅急便が届いた。
    早速、開けてみた。
    氏が東京在住中によく通ったおでんやさんに集まってくる人たちのことを書いたものだ。元気な頃に書き出したものを、病床で仕上げようとしたものだろう。
    「其の一」「其の二」「其の三」と書き進め、「其の三」まで来て力尽きたという感じだ。
    そんな中にこんな文章があった。

    やや西に傾き始めた太陽が、高く蒼く晴れ上がった空の向こうから、夏を惜しむように精一杯の輝きと熱気を伝えてくる。私たちは吹き出る汗をハンカチで拭きながら、ぼんやりと晴海通りを行き交う車と、人の流れを眺めていた。時の流れが少しずつ遅くなっていくような気になる。
    「いつの間にか秋になったのねえ……何だか今年も、あと少しでお正月が来てしまうわ。一年が、あっという間に終わるような歳になってしまった」
    「もうお互いに若くないからね。……何時までものんびりしていられない、もう残りが少なくなったんだよ」
    「そうね、もう若い時みたいな、煌くような楽しい時はないのよね……街路樹の葉っぱが一枚ずつ散って行くように、人生も少しずつ終わるのね。……きっとそうなんだわ、悲しいけど……」
    「そうだよ、昔から人生五十年と言うしね。もう俺たちの活躍できる表舞台は、二度と来ないのかも知れないね」
    「でも悲しいわね。このまま歳を取っていくだけなんて」
    「悲しいさ。でも、所詮人の一生なんて〈下天の内を比ぶれば 夢幻の如くなり〉でしかないのさ。まあ、死ぬのはまだ多少先だろうから、生きていることを精一杯に楽しむしかないね」と、私は直実になったつもりで慰める。安っぽく扱われた敦盛が、何だか墓の中で怒っている気がする。
    人間はどう頑張っても、誰でも死ぬことは避けられないし、逃げ廻ることにも限度がある。それなら、死を恐れることも無益だし、死を軽んじることも勿体ない。

    氏は、この文章を書いたとき、自分が「ガン宣告」を受け、死と真向かいにならざるを得なくなることを予想していたのだろうか。
    溝上氏とはあまり深い付き合いではなかったが、氏とは肝心なところで思考が妙に絡み合っている気がする。実は氏から出版の電話を頂いたとき、私自身も、このことで思い悩んでいた。実際に自分がガン宣告を受けたわけではないが、自分の周りで、身近な人が死を迎えていくのを次々に聞かされ、「死」って一体なんだろう。「死 」とはどういうことなんだろうとよく考えるようになった。
    幼い頃はよく死ということを考えた。死んだらどうなるんだろう。死んだらどこへ行くんだろう。死ぬとき痛いのかなあ。痛いのはいやだなあ。そんなことを取り留めもなく考え、結論がでないままに、考えることをやめようとした。
    考えるのをやめても、突然わき上がってくる想い。寝るとき、明日、目がちゃんと醒めるのかって思い出すと、怖くて眠れないこともよくあった。
    それが長じるに従って、死は遠いものになっていった。実際にはどんどん死が近づいてきているというのに、なぜか自分は死なない、自分には死は縁遠いものと思うようになっていって、死は逆に遠いものになってしまった。
    それがあるとき、死に向かって歩いているという現実に気付かされる。
    氏の言うように「逃げ廻ることにも限度がある。それなら、死を恐れることも無益だし、死を軽んじることも勿体ない」。まさにその通りだと思う。
    思い悩むぐらいなら、自分で自分に「ガン宣告」しようと思った。
    自分の命は六十まで。現在、五十七歳だから、あと三年の命だ。
    そう勝手に決めてしまった。そう決めてしまったら、おちおち仕事なんかしている場合ではなくなった。女房と二人、食うぐらいならなんとかなる。あと三年で自分の人生に答えを出したい。人の世話をするより、自分の世話をしよう。今まで生きてきた中で出してきた暗い想いを見つめ直し、自分をもとある姿に修正したい。
    そう思って、会社側に今年いっぱいで仕事を辞めたいと宣言したところだった。
    そこへ溝上さんから電話を頂き、この原稿を受け取ることとなったのだ。
    しかし「渋谷おでんや物語」自体は完結しないまま終わっている。文の最後、私達は寄席の追い出し太鼓に追われるようにして「渋谷おでんや物語」の世界から追い出される。
    テケテケ、テケテケと、追い出し太鼓が賑やかに鳴り渡るが、寄席を出た私達はいったいどこへ帰ればいいのだろう。
    本の完成を見ることなく、溝上さんも逝ってしまった。

    本の奥付を見ると、2005年の4月15日になっている。奥付年月日は、少し先の日を設定していたので、6年前のちょうど今頃、本が出来上がってきたことになる。溝上さんが、あの世から「何やってんだ、俺の本を無視するなよ!」と言ってるような気がした。
    大慌てで、PDFを書き出しアップすることにした。

    DEP デジタル・ライブラリーのURL http://www.uta-book.com/dep/

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