聖徳太子の命日に太子道を歩く Vol.5/太子像、叡福寺に到着

2011.03.06 Sunday

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                        (太子町役場のホールで、最後の解説を聞く。)

    昼食休憩後、「第29回 太子道をたずねる集い」一行は、志都美神社を訪れ、その後、旭が丘公園でトイレ休憩をとり、14時30分、予定通り、バスとの待ち合わせ場所「どんづる峯」手前に到着した。
    ここから約15分バスに揺られ、太子町役場に到着する。
    役場ホールで、橿原考古学研究所研究員・廣岡孝信氏の、今回最後の解説に耳を傾ける。
    話の内容は今日要所要所で説明いただいたお話の復習と総まとめになるので省略するが、片岡氏のレジュメについては、準備が出来次第、ダウンロードしていただけるようにしようと思っている。

    この後、いよいよゴールである叡福寺へ向かうわけだが、今日は、飛鳥・奈良時代にかけて、上宮王家の地「斑鳩」を歩き、敏達王家の中心部であった「片岡」の地を、北から南にかけて歩き通したことになる。距離にして約20キロ、時代的には、敏達天皇から、天武天皇、聖武天皇、長屋王の時代にあたる120年あまりの歴史を通り過ぎたことになる。

    そんなことを考えながらのんびり歩いていると、叡福寺に到着した頃には、すでに聖徳太子像が太子廟の前に運び込まれ、法要が始まってしまっていた。
    別に法要はどうでもいいのだが、写真の画としては面白いので、ぜひ撮っておきたかった訳だ。しかし、回りは既に人で埋まっており、カメラを構える場所もない。
    ふと見ると、お堂を取り巻く廊下というか縁側というか、そこが空いている。恐れ多いと思ったのか、誰も上がっている人間はいない。ここに上がらせてもらえば絶好のカメラアングルが得られる。靴を脱ぎ、遠慮がちに上るや、思った通りの撮影ポイント、大慌てでカメラを構えた。
    カメラを構えると、聖徳太子像の前に「富の小川の水」と書かれた水桶が、備えられている。
    気になったので、帰って調べてみると「富雄川」の水のことを言うようだ。
    聖徳太子が片岡山(達磨寺があるあたり)に遊行したとき、飢えた人を見て、食べものを与えたという。そればかりか自分の衣装を脱いで掛けてやり「安らかに眠れ」と言われたそうな。そのときに詠まれた歌が、

    しなてるや 片岡山に飯に飢えて ふせる旅人あはれ 親なしに なれりけめや
    さす竹の きみはやなき 飯に飢えて こやせる旅人 あはれ

    これに対し、その返歌として飢え人が詠んだ歌が、

    いかるがや 富の緒川のたえ(絶)ばこそ わがおほきみ(王君)の み名をわすれめ

    だという。
    「富雄川」の水を捧げるのは、おそらくこの事績に因んだのであろう。

    これですべての行事を終わり、振る舞われた甘酒を頂いて帰路に着いた。



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