「侍Women」と「藍い月」

2010.12.13 Monday

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                       (熱海の夜景 南明ホテル前)
    彼女とは、16時の待ち合わせだった。
    彼女というのは、以前にも紹介したことがあるが、友人と二人中国に渡り、中国の国営映画社と力を合わせ、映画「藍い月」を製作した中塚睦子さんのことだ。映画は、日中戦争当時、国籍を隠し戦争孤児を育てた日本人女性が主人公で、彼女自身、その主役を演じており、そこには中塚さんが上海で知った中国の孤児たちの現実がある。この孤児たちに手をさしのべたい。その思いがスタートだった。お金を寄附してその場しのぎをするより、映画化することで、多くの人にメッセージを送りたかったという。
    今回は、映画が出来るまでの奮闘記を「本」にするという。そのための顔合わせのようなもので、「本」と「映画」の相乗効果で、彼女のメッセージをたくさんの人に知ってもらおうというわけだ。

    待ち合わせ場所は、なつかしい熱海の「南明ホテル」前。昔は年に何回かは、あるセミナー参加のため、熱海を訪れていた。中塚さんの強引な呼びかけに応じたのも、懐かしさが手伝ってのことだったように思う。

    16時の待ち合わせだったが、午前中、母親の介護のことで別の打ち合わせがあり、これが思わぬ時間を食って、熱海に着いたときはもう4時半近くになっていた。彼女には新幹線の中から遅れる旨を連絡してあった。しかし待ち合わせ場所に着いても、彼女の姿はなかった。
    彼女自身からも用事で遅れる旨の連絡があったので、懐かしい南明ホテルの前で時間をすごす。見れば「南明ホテル」前に「豆相人車鉄道」の記念碑が立っている。なんでも、この南明ホテル前が、その「熱海駅舎」跡になるのだという。写真が小さくて、読めないと思うので、以下にその碑文を書き写しておく。

    「豆相人車(ずそうじんしゃ)鉄道は雨宮敬次郎氏と、地元の有志20余名の努力によって、明治29年(1896)3月、熱海―小田原間(25km)全線が開通した。所要時間は4時間ほどであった。この人車鉄道は定員6名あるいは8名の客車を3名の人夫が押すという、きわめて原始的なものであった。明治29年当時の運賃は熱海から小田原まで、下等40銭、中等60銭、上等1円、3歳未満は無料、10歳未満は半額というものであった。
    豆相人車(ずそうじんしゃ)鉄道は日本最初のもので、明治40年(1907)12月、軽便鉄道にかわるまでの12年間、貴重な交通として利用された。」

    こんなものがあったとは意外だった。当時は、気付くだけの余裕がなかったのかも知れない。そんなとりとめのない思いに心を向けていると、携帯で何やら話しながら近づいてくる女性がいる。写真でしか見たことがないが、確かに見覚えがある。中塚さんに間違いない。

    こうして中塚さんとのコンタクトに成功し、最寄りの中華料理店で、老酒片手に8時過ぎまで話し込むことになるが、話すに連れ、意外な事実が明らかになっていく。(続)

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