葬送の自由について取材しました。

2010.04.30 Friday

0

    前科のブログでは、葬儀について、歴史的な観点から自分なりに思っていることを述べさせていただいた。今回はそれに引き続き、「葬送の自由」について、従来の葬儀を拒否され、自分たちの望む形の葬儀をされた3組の家族を紹介させていただきたい。ここにあげる事例は、僕の編集した「葬式革命」という本のために取材したもので、ご本人たちのプライベートを守るため、地域やお名前はすべて仮名で表記していることをお断りしておく。

    ○○市にお住まいのSさんの場合
    喪主のSさんは、重度重複障害児を持つ六十代前半の女性。亡くなったのは、障害児である娘の明菜ちゃん、二十歳を迎えたばかりだという。
    実は明菜ちゃん一家とは、僕自身、ごく親しく近所付き合いをした仲だ。今も手許に明菜ちゃんのお母さんの手記が残っている。
    「娘の名前は明菜です。昭和五十二年十一月十八日、千五百グラムで生まれました。七ヶ月の初めに早産しました。生後二、三日で呼吸困難を起こしました。同時に黄疸を伴い、保育器の中で光線療法も受けました。その後、順調に発育していると思っていましたが、未熟児網膜症になっておりました。それは比較的軽く終わりました。現在は左が弱視です。生後九ヶ月目に脳性マヒと診断されました。昭和五十四年一月末日に重度の脳性マヒによる四肢体幹マヒ、わかりやすく言うと、寝たきり、一生涯寝たきりの子です。たとえ訓練をしても、寝たきりから脱することはできませんと診断されたのです。」
    それから二十年が過ぎた平成九年十二月、明菜ちゃんのお兄ちゃんが結婚することになった。このとき、明菜ちゃんは吐血が始まり病院に入院したまま。主治医のお医者さんも「もう長くはもたないだろう」と言っていた。それでも結婚式には病院の外出許可をもらって参加、式が終わるなり、また病院へとんぼ帰りしたという。
    式場から病院へ帰り着き、看護婦さんに迎えてもらってうれしそうな明菜ちゃんの写真が残っている。
    それから一月あまりが過ぎた平成十年一月十四日、明菜ちゃんは病院で亡くなった。明け方の午前三時だったという。病院のストレッチャーで車まで運び、大好きだったお兄ちゃんのライトバンで団地の一階にある家へと連れ帰ってもらった。
    明菜ちゃんはよく「キャッキャッ」と声を立てて笑った。外にいても、その笑い声が窓を通して聞こえてくるほどだ。亡くなったその日も、お母さんとお兄ちゃん夫婦がライトバンで連れて帰ってきたのだが、部屋へ入るなり「キャッキャッ」という笑い声が聞こえるというのだ。
    「いやぁ、アキチャン、生きてるわ!」と、一瞬思った。
    だが、それは飼い犬エルの鳴き声であった。
    夜が明けるなり、市役所に電話し、葬儀社を紹介してもらった。
    「何も要りません、葬儀も不要です。棺桶と焼き場の手配だけをお願いします。」
    この日は、明菜ちゃんを知る人たちだけの送別会となった。急遽、明菜ちゃんの寝ていた部屋が立食パーティの会場となる。焼香も線香もなし、来る人も香典はなし、数珠も持たない。というのも、明菜ちゃんのお母さんが、仏教の葬儀に疑問を持っていたからだ。いや仏教でばかりでなく宗教で人は救われることはないと強く思っておられる方だった。
    だから来る人も、「明菜ちゃんが花が好きだったので……」と、花だけを持って参加した。来る人、来る人が花を持ってきた。
    常々、お母さんは、明菜ちゃんに「死んだら、アキチャンの好きな花でいっぱいにしたげるワ」と言っていたが、期せずして、部屋はその言葉通り花でいっぱいになった。棺も花でいっぱいにした。ただ花だけを折って入れるのは「何となく残酷そうでイヤだ」というので、花だけをちぎるのでなく茎のままを入れたという。
    誰も泣く人はなく、明菜ちゃんの想い出話をし、ジメジメした雰囲気はなかったという。明菜ちゃんの担任だった先生も、集まった人たちも「こんな雰囲気っていいですネ、私もこんな風にしたい」と感想を漏らしていた。
    明けて一月十五日、普通なら成人式となるのだが、この日、明菜ちゃんは黒いバンで斎場へと移されていった。
    「焼いている間、みんなで食事をしました。お骨は迷った末に持って帰り、撒こうかとも思ったのですが、トラブルの元になってはと、実家のお墓へ入れました」と、お母さんは淡々と語る。更に訊くと、それはお墓が大事だという意味ではなく、処分に困ったあげく、ここへ入れておけば誰にも迷惑がかからず土に帰るだろうと思ったからだそうだ。
    「葬儀の費用は」と問うと、「棺桶代が四万円だった。そう、全部含めて十三万円だったのを覚えているけど、明細は覚えてないわ」と明るく答えてくれた。

    ちなみに市役所に電話で確認してみたが、やはりお骨は持って帰らなくてもいいそうだ。最初に渡される書類に「お骨を持って帰る」「お骨を持って帰らない」の希望欄があるそうで、電話に出ていただいた係の方に「お骨を持って帰らない場合、そのお骨はどうなるんですか」と訊いてみると、「一年間保管し、その後、共同霊園にお入れします」という答えが返ってきた。
    このことは、全国どこの市町村でも同じらしいが、確認したわけではない。


    △△市にお住まいのTさんの場合
    Tさんは、二度の喪主体験をされた。最初はお母さんの時、二度目はお父さんの時だという。もともと実家が神道であり、祝い事はおろか葬儀に至るまですべて神道で行ってきたという。佐世保へ引っ越しされてからも、お母さんの葬儀の時は神道で行ったという。
    私自身モノ知らずで、今まで神道の葬儀があるということを知らなかったものだから、好奇心も手伝って、神道での葬式がどういうものか訊いてみた。
    仏式では霊前での焼香が必ずあるが、神道のお葬式では焼香は行わないという。神式のお通夜・葬儀・法事では玉串奉奠(たまぐしほうてん)といって、玉串と呼ばれる葉のついた枝を神前に供えるという。まず両手で玉串を受け取り、根元が向こうを向くよう時計回りに持ち替えてまわし、お供えをする。次に二度、頭を下げ、音を立てないようにやはり二度柏手を打ち、最後にもう一度、頭を下げるという。
    ただ佐世保では、神主さんに頼むとき、結婚式や誕生などの祝い事は歓迎されるが、葬儀の依頼は結構いやがられたという。
    二度目のお父さんの時は、最初と事情が違っていた。この間、Tさんはある人との出会いから真剣に人生を考える機会を持ったという。「苦しいときの神頼み」という言葉があるが、真剣に自分自身を見ようとしたとき、苦しみの原因がどこにあるかも見ようとせず、ただ何かに頼ろう、すがろう、うまくいかないときは世間が悪い、周りが悪いと犯人探しをしてきた、そんな自分に嫌気がさしたという。そうなると儀式という形だけが残った宗教にも嫌気がさしてきた。と同時に、そんな宗教に向けてきた自分の心にも嫌気がさしたという。自分を変えようとすることなく、何とか自分に都合の悪いことだけを、祈って、すがって、なくしてもらおうとする。そんな自分の心を変えたいと思ったという。
    そう思ったTさん、早速、町内会にも断りを入れ、一切の宗教的行事に関わり合いたくないと宣言された。佐世保でも都市部はいいが、田舎へ行くとまだまだ閉鎖的で、こんなことを言い出した日には、周りがどんな目で見るか分かったものではない。どんなにか勇気がいっただろうと思うが、意外と周りはすんなりと受け入れてくれたようだ。
    Tさんを取材するとき、お住まいが分からず、付近の方に「Tさんのおうちを教えてください」と道を訊いたのだが、「ああTさんの家なら……」と、親切に親しみを込めて教えていただいた。とても周りから白い目で見られている、そんな雰囲気ではなかった。
    そんなわけで、お父さんの時は、神主さんも、お坊さんも呼ばず、互助会に頼んで家族だけで送ることになったという。
    お父さんの場合、急であった。長い闘病生活の末に病院で亡くなったというのでなく、自宅で、ある朝、起きてみたら亡くなっていたという。全くの急死であった。
    早朝のため、主治医とも連絡が取れず、とりあえず一一九番に連絡し救急車が駆けつけることとなった。救急車からは、人工呼吸するよう指示が出る。Tさん、「死んでいるのになぁ」と思いながらも電話からの指示通り、お父さんの口に息を吹き込み人工呼吸を行った。
    やがて救急車が到着し、しばらくして警察も到着した。一一九番に連絡したとき、消防から警察へも連絡が行くのだという。Tさんの場合は、この後、かかりつけの医師とも連絡が取れ、医師が警察に事情を説明したうえで死亡診断書を発行してもらい一件落着となったが、普段から健康でかかりつけの医師もなく、急死ということになると、たとえ老衰死であっても、警察医による検屍・解剖と言うことにもなってしまいかねない。
    Tさんは、お父さんが普段から「葬儀に要らぬ金は使わず、身内だけで送ってほしい」と言っていたこともあり、ご本人の宗教的な葬儀はしたくないという思いもあって、互助会に連絡を取り、僧侶も葬儀も必要がないことを意思表示された。
    お母さんの葬儀の時、納棺に際してちょっとしたハプニングが起こった。納棺に当たって、普段、お母さんの訪問看護をしてくれていた方が「死に化粧」を施してくれ、やさしいいい顔になったとみんなで喜んでいたが、業者の方が、料金の内だと思ったのかどうか、その上からまた「死に化粧」を施してしまったというのだ。
    結果、やさしい顔が怒ったような顔になってしまったという。
    これに懲り、お父さんの時は、特に「死に化粧」もすることはなく、納棺した後は、互助会のホールに移送し身内だけで通夜をすることになった。
    翌朝、斎場に移して火葬に付したが、このときは朝一番だったせいか静かで落ち着いて送ることができたという。というのも、最初のお母さんのときは、午後からの火葬となり、数が多く火葬も競争状態となった。各宗派の僧侶や宗教者が、それぞれのお経や祈りを、他に負けまいと大声を上げて競い合うものだから、静かで落ち着いた雰囲気などほど遠く、ただうるさくて慌ただしいだけのものとなってしまったという。
    こうなると、お経はありがたいというより、うるさいだけの騒音でしかないだろう。
    それはさておき、家族だけの葬送、全部で十八万円だったという。


    ◇◇市にお住まいのUさんの場合
    喪主のUさんは、四年前にお父さんを亡くされた。Uさんは知り合いの葬儀店に連絡を取り、会場だけを貸してほしい旨を連絡し、家族だけで送ろうとしたが、お父さんがこの地域で指導的な立場にあったため、役場から情報が流れ、県会議員をはじめ市長や多くの名士が参列する大がかりな葬儀となってしまった。
    ただ参列者が驚いたのは、そこには読経をあげる僧侶も存在せず、焼香もなく、線香の一本さえもあがっていなかったことである。
    ところで、この地区は因習や地縁関係が根深く残っているところであり、しかもUさんもお父さんも、この地区の指導的な立場にあり、旦那寺とも親しく、代々、檀家としても代表的な立場にあったという。お寺との関係ばかりでなく、この地区では行事といえば神事を指すほど、神社や氏神との関わりも強い。氏子としての役割も強かったという。
    話は前後するが、こんな環境の中、Uさんのお父さんが直腸ガンの手術で入院することとなった。ところが開腹してみると思ったより状態がひどく、このまま手術を続ければ、老齢ということもあり生命の保証もできない。手術を中止するか、このまま続けるか、五分以内に回答をほしいということになった。立ち会っていたUさん、相談する相手もなくすべての判断が自分にかかっているという状況に追いつめられてしまった。しかもゆっくり考える時間などない、五分以内に答えを出さなければならない。
    この頃、Uさんは「人間の意識」ということについて学んでおり、本当に伝わるのは、「言葉」や「態度」でなくその人の「思い」だということを教えられていた。口で「あなたはいい人だ」と言っても、心で「この野郎!」と思っていれば、「この野郎!」という思いがエネルギーとして働く。その場はだませても、このエネルギーが働くため、結局はうまくいかないし、相手も表面上はだませても、実は本人が気づかないだけで本音が伝わっているのだと……。要は、自分が変わらないかぎり、いくら宗教に頼っても自分も人も決して救われることがないということを分かり始めた頃であった。
    思いあまったUさん、このことを思いだし、「意識は伝わるんだ」と自分に言い聞かせ、必死の思いでお父さんの心の中に話しかけた。
    「親父、どうしたらいい。手術を続けるほうがいいのか? 中止したほうがいいのか?」
    そのとき、Uさんの心の中に「手術を続けてくれ」というお父さんの思いがハッキリと響いてきたという。Uさん、半信半疑ながらも、その思いを信じ、医師に「手術を続けてほしい」旨を意思表示した。
    やがて手術も無事終わって、お父さんの意識が回復したとき、
    「不思議な体験をしたよ。おまえが俺に手術をするべきかどうか話しかけてくるんだ。」

    Uさんは声に出して話しかけたわけでもないし、しかもお父さんは麻酔をかけられて手術室に入っていた。このことを話すと、「おまえが常々言っていたのはこういうことだったのか、おまえのやってる学びはほんものだ」と、あっさり脱帽したというのだ。
    これからが、このお父さんの偉いところだ。
    病状がある程度快復すると、Uさんと二人して旦那寺へと挨拶に出かけた。
    「息子が常々、人は意識だと言っている。俺も病院で不思議な体験をし納得した。人は己の心を見つめ己自身が変わっていかないかぎり、寺に頼っても、経文に頼っても人は成仏することはできないことを知った。分かった以上、寺の檀家であることはやめたいと思う。理解してほしい。こんな訳だから、葬儀のときも、あんたが僧侶として出席することは控えてもらいたい。俺との長年の付き合いで顔を出してくれるというのであれば、背広にネクタイで出席してほしい。袈裟や数珠などは不要である。」
    二人は、この後「長年、お世話になった」礼を述べると、寺を後にした。
    この後一年して、お父さんは亡くなった。肺気腫やその他の病気を併発しボロボロの状態であったという。死を悟られたのか、死ぬ一週間前、咳き込みながらも十五分近く、自分の最後の思いをテープレコーダーに録音された。
    「自分はこれまで自分の信じたことをやってきたが、その結果が果たして良かったのか、今、疑問に思っている。本当のことに早く気づけたのに、それをないがしろにし、今まできてしまい、人生を無駄にしてしまったことを後悔している……」
    Uさんの奥さんが、たまたま録音されているその姿を目撃されたが、録音し終えると、しばらくはその場で泣いておられたという。
    やがてUさんのお父さんは亡くなり、今回の葬儀となった。
    集まった人たちは、僧侶もおらず、焼香もなく、線香の一本もあがっていない葬儀会場に面食らったが、静かに童謡の流れる会場に、やがて録音された最後のメッセージが流れはじめた。咳き込み、時に涙ぐみながら語る故人の声に感動しない人はなかった。
    集まった人たちは、葬儀が終わると、
    「葬儀もこれからは変わっていきますなぁ」「重苦しい読経よりさわやかでよかったですよ」「本当に気持ちのいい葬式でしたなぁ」と口々に語られていた。
    その弔問客の中に、檀那寺の住職も背広姿で参列していたという。
    この話にはまだ続きがある。この地域ではありえない、この一風変わった葬儀の後、非難の声が起こると思いきや、追随する人が出てきたのだ。この地縁関係の結びつきの深い地域でも、確実に因習に縛られたくないという思いが広がっており、Uさんの行動に触発される人が今も続いているという。
    ところで、この葬儀にかかった費用、お父さんの立場上、密葬にできなかったこともあってかなりな出費になってしまった。それでも八十万円程度であったという。

    コメント
    コメントする
    トラックバック
    この記事のトラックバックURL