殉教者たちが見た夕陽

2010.04.11 Sunday

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    26聖人殉教碑

    今回は、「夕陽さんさんの会」に寄せられた原稿の中から、宗教哲学者として著名な山折哲雄さんの原稿「殉教者が見た夕陽」を掲載させていただく。加藤賢一さんの歯切れの良い語り口とは対照的に、心の底にしみこんでくるような、しっとりした語り口を楽しんでいただきたい。(写真は、ブログ掲載時に入れたもので、元原稿にはなかったものです。)


    殉教者たちが見た夕陽
    山折哲雄

    私はいま、京都市の下京区に住んでいる。もう八年になるが、毎年祇園祭の季節になると町内から山車(だし)が出る。芦刈山町だから、芦刈山という山車をくり出す。ただ鉾はたてない。ここは鉾街の一角であるとされてはいるけれども、鉾はたてない。山車を出す。
    その町内の私の住まいから歩いて五分ほどのところに四条病院がある。四条通りと堀川通りの交わった南東の角にそれは建っている。
    近所を散歩していて気づいたのであるが、その四条病院の外壁に一枚の碑銘が打ちつけられていた。注意しなければ見落としてしまうようなところに、それはあった。
    その銘板に、「日本二十六聖人殉難地」という文字が刻まれていたのである。その場所は、かつてキリシタンたちによる宣教運動の中心地だったといわれているのであるが、やがて秀吉の禁教令が出され、捕らえられた二十六人の宣教師と信者たちは、そのまま長崎まで引っ立てられていったのだという。
    一昨年のことだったが、私はたまたま長崎の地を訪れる機会があった。偶然にも、投宿したホテルから歩いて十分ほどの場所に、殉教したキリシタンたちの丘があることを教えられた。それはJR長崎駅の近くに位置し、NHK長崎支局の脇の坂をのぼっていくと、そこが公園になっている。丘の上に立ってふり返ると、眼下に長崎湾を広々見下ろすことができた。
    公園のやや奥まった小高い場所に、等身大に近い二十六人の銅像が横一列に並び、長方形につくられた大きな石の壁のなかにきれいに埋めこまれていた。近づいて仰ぐように見上げると、その多くは日本人の男女の信徒たちであったが、なかにポルトガル宣教師の顔も混じり、さらに背の低い三人の子供たちがいた。

    26聖人殉教碑部分視線を移動させていって、私は驚いた。かれらがいずれも、両足のつま先を下に垂れていたからである。十字架に吊されて処刑された当時の生々しい姿を、その垂れ下がったままの両足があらわしていた。さらに目を近づけると、足袋をはいているのや、はだしのままのがあった。伝承によると、かれらは京都から歩きずめに歩かされ、両足が血だらけのありさまで長崎にたどりついたのだったという。その行程にいったいどのくらいの日数がかかったのだろうか。聖人たちの記念像は、惨酷な歴史の記憶を静かに告発しているようにみえたのである。
    その聖人像からやや離れた公園の隅に石碑が建っていた。そこに、二人の俳人の作品が刻まれているのが目に入った。
     
      天国の夕陽を見ずや地は枯れるとも    水原秋桜子 
      たびの足はだしの足の垂れて冷ゆる    下村ひろし 
     
    秋桜子の方は、長崎湾のはるか西の海に沈む夕陽をみながら処刑された殉教者たちの姿を蘇らせている。それにたいして下村ひろしは、殉教者たちのぼろぼろになった足袋の足、血だらけになったはだしの足に目をこらしているのである。
    (「夕陽さんさんの会」 会報 第10号掲載)

    コメント
    惨酷なことが大儀名文の下に簡単にできてしまう人間社会、この中で自分は違う、他人事と・・・どこ吹く風・・・小さな己正義の自分は、欲と傲慢の、牙を隠し、私はいい人を演じ続ける、おかあさん、ごめんなさい。
    • by 読者
    • 2010/04/12 11:39 AM
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