讃岐神社と三吉石塚古墳

2009.10.15 Thursday

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    まずは私自身のことについて記しておこう。 
    自分の信条は、土地に縛られず、人に縛られず、立場に縛られない、そんな「自由人」が生きる上での指針だった。したがって、いわゆる「マイホーム」の夢など、微塵も考えつかないものだった。それが同志であるはずの妻が「家」を買いたいと、今の奈良の田舎に落ち着くことになってしまった。
    結婚以来、「堺」に住み、「門真」に住み、「千里」に住んだ。仕事で関東へ移るや、神奈川県の「相模原」に住み、やがて神奈川、東京、山梨の接点とも言える「三ヶ木」という田舎に住むこととなった。
    ここは400年前の隣組が、今も機能しているという大変なところだ。ある知人などは「嫁」に来て10年も立つというのに「よそ者」呼ばわり。我々に至っては「旅のもんだから仕方がねえ」ということになってしまう。土地の人の言葉通り、やがて関西へ帰ることになった。まさに「旅の者」に違いはなかった訳だ。(写真は、三ヶ木近くにある城山と城山ダム湖)



    西暦1999年12月も押し詰まっての引っ越し、明けて2000年には、奈良県の住民として正月を迎えた。しばらくして、妻から「良いところがある」と連れて行かれたところが今の住まいだった。なぜかトントン拍子で話が進み、なぜか私もそこが気に入り、50年来の信条もあっさり捨てて北葛城郡広陵町を「終の住処」と決め込んでしまった。蛇足だが「終の住処」とは、「ついのすみか」と読み、最後に住むところ、落ち着くべき場所というほどの意味であるが、果たして本当にそうなるかは、これからのお楽しみと言うところ。
    しかし、少なくとも私はここが気に入っており、定年退職後、住処ばかりか自分が運営する超零細出版社の倉庫兼事務所も、この地に決めてしまったという次第。

    前置きが長くなったが、私の住む広陵町がどんなところか、愛犬GOROとの散歩コースから、その一端を紹介しておこう。

    ◇讃岐神社と三吉石塚古墳
    奈良に「讃岐神社」がある! まずは、この驚きから話を……
    「よくある話で別に驚かない」って、それでは話が進まないので、ここは何がなんでも驚いていただくしかない。「讃岐(さぬき)」という地名はご存じのように、四国は今の香川県にあたる、それが奈良のどいなかに讃岐神社あるというのだ。
    驚いていただいたところで、ある朝のこと、愛犬GOROと散歩に出かけ、「少し遠くまで歩いてみるか」とウロウロしているうちに行き当たったのが、この「讃岐神社」。そのときは「奈良に讃岐神社かよー。どうせ末社か何かだろう」ぐらいに思っていたが、実は、ここが「竹取物語」、つまり「かぐや姫」のお話の発祥の地ということと大いに関係があった。
    境内を掃除しているおばさんに話を聞こうとしたが、鳥居の外に説明書きが出ているという。

    讃岐神社境内

    土地の古老に話を聞いたとなると、なにがしかロマンの香りがしようというものだが、掃除のおばさんにも振られ、しぶしぶ説明書きの掲示板に目を通したでは、いまいち情緒が出てこない。まあ、そこはしんぼうしていただいて、一緒に掲示板に目を通してみよう。

    讃岐神社の説明

    『「今は昔、竹取の翁(おきな)というものありけり……」で始まる「竹取物語」(平安時代、作者不詳)に登場する竹取翁の出身部族である讃岐氏は、持統〜文武朝廷に竹細工を献上するため、讃岐国(香川県)の氏族 齋部(いんべ)氏が大和の国広瀬郡散吉郷に移り住んだものとしている。翁の讃岐(さぬき)姓は。「和名抄」の大和国広瀬郡に散吉(さぬき)郷があり、「大和志」では、『散吉郷 廃存済恩寺(はいそん さいおんじ)村』として、現在の北葛城郡広陵町大字三吉(みつよし)の斉音寺集落付近に比定している。
    またこの付近に「藪ノ下」、「藪口」、「竹ヶ原」という地名があり、真竹孟宗竹等の竹林が多数残っている。(後略)』

    つまり、ここ三吉(みつよし)という地名は、昔、散吉(さぬき)と呼び、香川県から移住してきた竹細工の齋部一族が住み着いたところで、その長というのが「讃岐氏」だという。その讃岐氏が朝廷に「竹」やら「竹細工」を献上していたところから「かぐや姫」の物語は生まれたというのだ。

    石塚古墳から見る落日

    こればかりではない。この広陵町というところ、大和朝廷に刃向かい「土蜘蛛」と呼ばれた葛城一族の拠点だったところでもあり、蘇我一族のホームグラウンドでもあったところだ。
    まだまだ面白いものに出会えそうだ。

    その日の夕刻、再び愛犬GOROを伴い、讃岐神社の近くにある三吉石塚古墳を訪ねた。石塚古墳の話は後に譲るが、おりしも日没時、二上山に陽が沈んでいく。思わずGOROと共に陽が沈みきるまで、その場を動けなかった。

    愛犬GORO、落日への感慨

    (この写真、断じて「やらせ」ではありません。)

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