チューリップが咲きました!

2010.03.29 Monday

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    事務所の庭のチューリップ

    今朝、事務所の庭に植えたチューリップが何本か咲いているのを見つけた。まだ数は少ないけれど、庭が急に輝きだしたような感じて、昼も、庭のチューリップを見ながら昼食をとった。
    昼休み、ネットでチューリップのことを調べてみた。すると、イギリスはデボンシャーに伝わるチューリップの可愛い伝説を見つけた。

    「赤ちゃん用の揺り籠を持たない妖精は、夜、自分の赤ちゃんをチューリップの花の中に入れて、風に揺らせながら寝かしていました。昔、ある婦人がランプを持って庭に出たところ、チューリップの花の中でスヤスヤと眠っている赤ん坊を見つけ、大喜びしました。婦人はさっそく、庭中にチューリップを植え、やがて、そのあたりに住む妖精すべてに花の揺り籠が行きわたるようになりました。
    婦人は、月の夜、そっと庭に忍び出て、甘い花びらにつつまれ、そよ風に揺られて眠る赤ん坊の可愛い寝姿を眺めて楽しんでいました。妖精たちは用心深く、滅多に人に姿を見せません。しかし、婦人の優しい心が解って、妖精たちは少しも警戒心を起こさず、可愛い姿をあますところなく見せてくれました。その婦人が亡くなった後、婦人のお墓には、誰も植えたことがないというのに、美しいチューリップの花が絶えなかったそうです。」
    http://www.ne.jp/asahi/tochigi/sakamoto/tyulip.html

    また誰もが子供の頃に、「咲いた咲いたチューリップの花が……」と歌った童謡唱歌「チューリップ」。この歌は、日本が悲惨な戦争への助走をはじめた頃(作歌中に満州事変が勃発)、近藤宮子さんによって作られた歌だということもネットを調べていて知った。
    そんなことを知って、歌詞をつぶやいてみると、「どの花みてもきれいだな」という作者の思いが静かに伝わってきて、「チューリップ」という歌が、庭のチューリップのように、自分の中で別の輝きを発しはじめた。

    事務所の庭のチューリップ 

    チューリップが日本に来たのは、いつのこと?

    2010.01.28 Thursday

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      前回と、前々回のブログで、チューリップがいつ日本に来たのかについて疑問を投げかけていた。自分で始末に負えないので、 長崎市 文化観光部・出島復元整備室まで問い合わせを出した次第なのだが、昨日、その出島復元整備室の担当の方から丁寧なお返事をいただいた。

      「メールありがとうございました。
      チューリップの由来について、現在こちらで分ることをお伝えします。
      チューリップが日本にもたらされた経緯については、諸説があります。
      一説には、18世紀(1720年頃)にオランダ船が長崎に伝えたものらしい、という説があります。(根拠となる書物などは不明)もともとヨーロッパ原産で、オランダ語ではテュルプ(tulp)といいます。当時、ヨーロッパでは、チューリップの球根が高値で取引されていたと聞きますし、オランダ人とチューリップの縁については、桐生様ご指摘のとおりです。
      江戸時代の学者らは、チューリップのことを知っていたようですので、おそらく球根が持ち込まれ、出島の庭園や植木鉢に栽培されたことはあったのでしょう。ただ、出島の庭園に植えられていた植物が何だったのか、まだ詳細なことが分っていないため、推測の域を出ません。
       
      私共の仕事で、植物展示標本を作成する際には、オランダ船によって持ち込まれたと伝えられる数多くの植物の中から、出島経由と文献から確認できる種類に限定し(ダリア、ヒマワリなど)、標本を選びました。チューリップは確認が出来なかったため、候補には挙がりましたが、作成はしませんでした。
       
      以上のとおり、明確なご返答は出来かねますが、ご参考になれば幸いです。」


      物好きな人間の些細な疑問に丁寧にお返事いただき恐縮の次第です。
      本当にありがとうございました。

      チューリップの発芽

      2010.01.23 Saturday

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        チューリップの発芽今朝、事務所に出るなり庭に直行する。チューリップに変化がないか見るためだが、結構、雑草も生えだして、小さなチューリップの発芽は見つけにくい。そこで草引きをしてみると、ある、ある!……3本も新しい芽が出ていた。そのうえ、雑草に隠れて気付かなかった1本。今朝は合計4本も発芽しているチューリップに出会えた。 昨日とあわせて6本になった。

        ところでチューリップが日本にいつ来たかが、まだ気になっている。昨日、仕事を終え、自宅に帰るなり調べだしたが、答えが出ない。気になるのは、長崎出島のオランダ商館のこと。
        もともとチューリップはトルコが原産だと言われる。それが16世紀半ば、トルコ駐在オーストリア大使A・G・ブズベックによってヨーロッパにもたらされた。以来、ヨーロッパで大流行し、オランダを中心にチューリップバブルと呼ばれる現象が起こる。それが日本に入ったのは、1863年、それも薬草のウコンの仲間と勘違いされ、「鬱金香(うこんこう)」と名付けられたという。
        これがチューリップのおおよその歴史。

        ご存じのように、チューリップと言えばオランダの名が出るほどだが、そのオランダ商館が17世紀初頭から19世紀まで長崎の出島にあった。この出島商館の一番倉は、バラ倉の愛称があり、2番倉の愛称がチューリップ倉、3番倉はカーネーションとなる。倉の愛称に付けるほどだから、オランダ商館員たちか商館長かが植物に愛着を持っていたのではと思わせる。特にバラ、チューリップ、カーネーションに……
        となると、出島商館に庭園があるが、ここにチューリップが植えられていたのでないだろうか、と思わずにはいられない。この当て推量で、調べてみるのだが、どうしても分からない。そこでかくなる上はと、長崎市文化観光部出島復元整備室宛に下記のような問い合わせメールを出すことにした。

        海外交渉史に興味を持つ者ですが、オランダが日本にもたらしたモノの中に「チューリップ」がなかったのか、それが知りたくてメールさせていただきました。お忙しい中、恐縮ですが、もし分かるようであればご教授いただけませんでしょうか。
         
        一般にはチューリップは、19世紀にフランスからもたらされたと言われていますが、オランダとの関わりが深い日本に、なぜ19世紀にもなって、しかもフランスからというのが解せません。
        貿易品でなくとも、たとえば出島の商館員や館長たちが、出島の庭園で栽培していたということはないのでしょうか。
        出島商館の2番倉というのは、別名「チューリップ倉」と呼ばれていたと聞いています。
        もちろんチューリップが入れられていたなどとは思っていませんが、商館の人たちにとっては、「チューリップ」という名を付けるほど「バラ」や「カーネーション」と共に親しい植物であったように思うのです。
        遠く祖国を離れたアジアの地で、商館の人たちがチューリップを植えて故郷を偲ぶ、そんなことはなかったのかと思い、気になるのでお問い合わせさせていただきました。
        お忙しい中、つまらぬことをお訊きして、本当に申し訳ありませんが、自分で調べても答えが出なかったものですから……。よろしくご教授のほどお願いいたします。

        もし返事が返ってきて、新事実が判明しましたら、紹介させていただきます。

        去年植えたチューリップの球根が…

        2010.01.22 Friday

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          チューリップの芽が出た去年の10月14日、孫と一緒に事務所の庭にチューリップの球根を植えた。僕が「パステルチューリップ」という球根セットをえらび、孫は「切り花アレンジチューリップ」という球根セットをえらんだ。ジャガイモの収穫以来、庭のことは忘れていた。というのも事務所の庭は東西に広がっており、夏の間は、日の出から日没まで、終始太陽の光が当たっているのだが、冬になると太陽の位置がずれ、裏の建物の陰になってしまい、しかも建物と建物の間が北風の通り道になって、作物が育ってくれない。秋植のジャガイモも、強い北風に倒され、大きく育つまでに至らず収穫となった。
          そんなわけで、冬の間、庭のことは忘れていたのだが、今朝、久しぶりに庭を覗いてみると、小さなチューリップの球根が、今のところ二つだけだが芽を出していた。何とも可愛くて、あわててバケツに水をくみ、チューリップを植えたとおぼしき場所に水を撒きだした次第。これからまた、毎日、事務所に顔を出すたび、庭を見るのが楽しみになった。 

          ところでチューリップが日本に来たのはいつ頃のことだろうか? チューリップの歴史と言えば、アレクサンドル・デュマの「黒いチューリップ」が、まず思い起こされる。昔、アラン・ドロン主演で映画化されたこともあるが、これはなぜかフランス革命を背景に「黒いチューリップ」と名乗る怪盗の活躍する話に置き換えられていた。実際は、チューリップの球根が宝石と同じくらいの高値で取り引きされた、いわゆる17世紀オランダのチューリップバブルと言われた頃、黒いチューリップの球根開発をめぐる陰謀を扱った小説なのだが……。
          それはさておき、こんな感じで、トルコからヨーロッパへチューリップが伝えられた頃のことは、結構、簡単に調べがつく。しかし、日本に、いつ、誰が、どのようにして……ということになると、ホームページで検索しても、「19世紀には日本にも伝わった」ぐらいの記述があるだけ。あるホームページには、「日本に紹介されたのは江戸時代末期(1863年フランスから輸入)ですが……」という記述があった。
          「ちょっと待ってよ。なぜフランスなんだよ?」そんな思いが出てくる。江戸時代、日本はチューリップの栽培に加熱したオランダと長崎の出島を通して交易していた。フランス革命で、オランダという国がなくなったときですら、長崎出島にだけはオランダ国旗がたなびいていた。それほどオランダと日本は縁の深い関係。それが当事国のオランダからでなく、フランスから、しかも19世紀になってやっと伝わってきた……「それって本当?」と思ってしまう。今のところ、門外漢の僕には「そうなんだ??」と、いくつも?マークを付けた上で納得するしかないが、詳しいことを知っている人がいたら、ぜひ教えてほしいし、一度、自分でもちゃんと調べてみたいと思う。

          事務所の庭にジャガイモを植える

          2009.10.23 Friday

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            事務所の庭が荒れている(写真下)ので、耕して植物でも植えようと思った。
            同じ植えるならと思いついたのが、甘藷(サツマイモ)。これなら素人でも失敗はなさそうだし、甘藷には、ある種の思い入れがある。

            耕作前の荒れ放題の庭

            16〜17世紀初頭にかけて、大航海時代の息吹きが日本にも及び、イエズス会をはじめ海外からたくさんの異邦人達が、この国を訪れた。その一人に英国人リチャード・コックスがいる。
            1613年、平戸に開かれたイギリス東インド会社の商館長として赴任した彼は、足かけ10年にわたり日本に滞在し、日本商館不振の責任を負わされバタヴィア(ジャカルタ)から本国へ送還される途中、三檣帆船アン・ローヤル号の中で病没した。

            平戸イギリス商館跡

            そんなコックスのことを調べるべく、平戸へ取材旅行に出かけたことがある。
            そのおり平戸港からバスに乗って河内浦へと出かけた。今は寂れた漁港となっているが、往時はオランダやイギリスの帆船で賑わったところだ。近くに丸山という外国人相手の遊郭跡もある。後のことだが、この丸山が鎖国後、長崎に移り、所謂「丸山遊郭」の起こりとなった。
            その川内浦へ向かう途中、千里ヶ浜という美しい海岸線を通る。ここには近松門左衛門の「国姓爺合戦」で有名となった日中混血の英雄「鄭成功」が生まれたという「児誕石」がある。母親である田川松が、この場所で産気づき、後の鄭成功となる田川福松を産み落としたというのである。そういえば「松」さんと言えば、コックスの日本人妻も、彼がマティンガと呼んだ「松」さんだった。

            平戸千里が浜

            川内浦から平戸への帰り道、丸山から千里ヶ浜(写真上)へと歩いたが、その千里ヶ浜の裏の山手に「リチャード・コックス甘藷栽培の地」と伝えられる所がある。かのウイリアム・アダムス(三浦按針)が1615年、琉球から持ち帰ったものを、コックスがこの地で栽培を始めたのだという。コックス日記1615年6月19日の条に言う。
            「今日庭づくりして、甘藷を植えた。苗は琉球から持ってきたもので、日本に植えたのはこれが初めてである。庭づくりに毎年1テイ、即ち5シリング払わなければならない」と。(皆川三郎 訳)
            以来、コックスの庭園づくりは平戸では有名となった。寺小屋の主人をはじめ平戸藩の家老や僧侶、中国人ら、彼を知る様々な人たちが、彼のために色々な苗木を贈った。みかん、桃、いちじく、ぶどう等々。たちまちコックスの庭園は豊かなものになったという。
            コックスの人柄が窺えるようでおもしろい。
            コックス甘藷栽培の地

            このとき調べたことは、「平戸とリチャード・コックス」というタイトルで、新人物往来社「歴史研究」に発表したが、そんなことを思い出し、庭いじりしようと思い立ったとき、どうしても「甘藷」を植えたくなったという次第だ。

            ところが……である。サツマイモの植え付け時期は5月〜6月だという。思い立ったのは9月! 時期的にサツマイモは諦めざるを得ない。では何を植えようかと調べたところ……秋植のジャガイモがあった。ジャガイモならピッタリだ。育てやすい上に、コックスともつながる。そもそもジャガイモの名前の起こりは、やはりこの時代、バタヴィア、いわゆるジャガタラ(ジャカルタ)からもたらされた「芋」という意味でジャガイモと呼ばれるようになった。イギリスの日本貿易の拠点がバタヴィアであることを考えると、ジャガイモにこだわっても故ないことではないだろう。

            「きーめたッ!」とばかり種芋探しを始めるが、どこのホームセンターでも売り切れて今後入荷する予定はないという。諦めきれず、詳しい人に訊ねると、元気そうな芋を選んで、適当な大きさに切り、切り口に灰をまぶしたうえで二〜三日、日陰で干して種芋として使えば良いと教えてくれた。そうかと合点したものの、「灰」がない。子どもの頃は「灰」など、どこの家にでもあったものだが、いざとなるとこれが見つからない。やむなく切り口を干すだけでチャレンジすることとなった。

            耕作を開始する

            土壌の酸性土をチェック

            2009年9月14日、土のペーハーを測り、石灰を混ぜたり、肥料を混ぜ込んだりしながら、なんとか2畝を耕し、9月16日には種芋の植え付けへと漕ぎ着けた。
            続いてリンゴの木と柿ノ木を植え、さらに花壇づくりに挑むことになるが、これはまたの機会に……。

            それから毎日、事務所へ出勤して最初にする仕事は、ジャガイモと九条葱(ジャガイモと一緒に植えることにした)への水やり。こうして10月の2週目を迎えた頃、待望のジャガイモの芽が顔を出した。以来、ジャガイモはメキメキと成長し、参考書にある「芽かき」の適期を迎えてはいるのだが、可愛くて、なかなか勢いのよい芽を残して他を抜くなどということが出来ないでいる。

            ジャガイモの発芽

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