はじめての英文出版物

2011.03.21 Monday

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    退職後、零細な出版活動を続けているが、その活動の一つに、「精神活動の重要性」を啓蒙していくUTAブックの仕事がある。政治・経済・科学等々、物質的な活動が行き詰まりを見せているのが今日の世界の現状だと思う。紛争という人災一つをとっても、個人的な争いから民族的、あるいは宗教的な争いまで、なくなるどころか増える一方で、政治も経済も科学も、さらに宗教でさえ何の解決ももたらさないばかりか、むしろ紛争の原因でさえあった。「心の時代」と叫ばれはするが、お題目でしかなく、次から次へと起こってくる様々な問題を、本当に自分の心の問題としてとらえることは誰もしようとはせず、いつも自分以外の誰かが悪い、もしくは自分以外の何かが原因として見て見ぬ振りをしてきた。
    そんなことを思うと、数こそ少ないが、UTAブックで出版している本の中には、肉体中心の考え方から、心を中心とした考え方への「意識の転回」が提唱されており、それこそが、その場しのぎの対症療法から離れ、人間そのもののあり方を根っこからひっくり返してしまう、そんな究極の解決策が示されているように思えてならない。

    そんなUTAブックの仕事の中で、最初の英文出版物が完成に近づいている。
    Jennie Lai の執筆する"Journey of Con consciousness"(仮題)が、それだ。
    現在、日本で編集・校閲をお願いしているHさんから、中間報告のメールが入ってきた。

    「先日営業日誌にも書かれてましたが、ジェニーは大体今月の24日までに仕上げるようにがんばっているようです。それが終われば、あとは文法やタイプミスをチェックしてもらうように、アメリカ在住の方々による校閲が入るそうです。
    内容は、12月末の初稿からがらりと変わり、ブルーの本(Message frome Taike Tomekichi)からの抜粋も少なくなり、新しいチャネリングを加え、(A4コピー用紙で)100ページ以上になる感じです。私もはじめの少しを送ってもらいましたが、今回は読んでいると本当にうれしくなります。この学びの特殊な言い回しではなく、初心者にもとてもわかりやすい言葉遣いになっているので、読みやすいし、理解しやすいものになっています。」

    完成は、アメリカの著者校正とのやりとりがあるので、見通しとしては、5月に入ってからになると思われるが、この本については、従来の紙の出版でも行うが、同時にアメリカ国内での流通・普及については、電子出版を予定している。
    アメリカでは、ニューエイジと言われる精神世界の出版物が日本以上に盛んだが、そんなアメリカの読者に、UTA出版物は、どのように受け取られるだろうか。

    また、この"Journey of Con consciousness"(仮題)については、日本語翻訳版も追って出版される予定であり、日本の読者にも、新たな波紋を投げかけることになると思う。

    ノマドワーキングとアイパッド

    2011.01.10 Monday

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      最近、「ノマドワーキング」という言葉を知った。「ノマド」というのは「遊牧民」のことを言うらしい。 転じて仕事をオフィスから離し、自宅や外出先、喫茶店でこなす人たちのことを「ノマドワーカー」と言うようになった。
      「私生活」と「仕事」の境が希薄になり、仕事の合間に遊び、遊びの合間に仕事をする。
      リラックスして仕事に向かうため、発想も却って豊かになり、仕事に励むと言うより、仕事を楽しむという方向に変わっていく。
      僕の場合、自宅内にオフィスがあるので、とりたてて「ノマドワーキング」ということもないのだが、アイパッドを得たことで、またアイパッドを使い込むことで、デスクからも、パソコンからも解放されつつある。
      というのも、アイパッドのアプリが素晴らしい。安いし、仕事に役立つソフトが揃っている。アプリの開発者は、世界に様々な才能が無限に存在するわけで、マックという企業は、そんな才能にアイパッドという土俵を提供しているということになる。
      そして我々は、アイパッドを介して、その才能をアプリという形で享受することができる。

      アイパッドの宣伝みたいになったが、これを使うことで、本当に自由になった。
      本の校正は、PDFで送られてきたものを、アイッパッドのアプリ「goodreader」を使うことで、直接、修正個所を書き込むことが出来る。注意書きや追加の文章を入力することから、文章を囲んだり矢印を入れたり、手書きで校正や校正記号を書き込んだりと、紙に書き込むような感覚で行える。
      また、思いついたアイデアなどを、アイパッドのアプリ「Dropbox」や「Evernote」に書き込んでおけば、同じ「Dropbox」や「Evernote」をインストールしたパソコンでも、共通して利用することができる。
      テキストデータばかりか、画像資料も、音声資料も、同じデータとして一元管理でき、本を書くためのデータベースを、パソコンと連携して構築することもできる。
      昔、卒論を書くのに、手書きデータカードを作り、データボックスに整理していたのを考えると、パソコン時代になって、驚くほど便利になったのだが、アイパッドを得たことで、今度は、そのパソコンからも解放されつつある。
      ホームページの閲覧から、参考図書を読むことまで、おまけにメールのやりとりまで、アイパッドだけで済ますことが出来る。
      (ただ、アイパッドからメールを送ると、古いメーラーで受けた場合、文字化けがおこる場合がある。これだけはまだ解決の良い方法がない。)
      トイレの中で、新聞を開く代わりに「ビューン」を開き、テレビのニュースや、週刊誌や新聞の記事の主だったことをチェックし、メールをチェックすることだってできるわけだ。
      たとえ、そこが寝室だろうが、風呂だろうが、アイパッドさえ持っていれば、たちまち書斎に早変わりする(風呂へ持ち込む場合は、風呂用防水ケースが必要だが……)という寸法。

      今、もっと「ノマドワーキング」を徹底するため、wifiタイプのアイパッドを、外出先でも通信機能を活かせるよう、イーモバイルを導入しようとしている。

      本をつくる方面だけでなく、書店営業も、アイッパドひとつを持っていけば済む時代が来るようになるかも知れない。でも、その頃になっても書店営業が必要かどうかは分からないが。

      『その人、田池留吉』という不思議な本について

      2010.08.19 Thursday

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        仕事に追われ、ブログを書く暇もなかった。 気がつけば一週間以上もブログのページさえ開いていないという状態。
        その忙しさの大半が、「その人、田池留吉」の校正作業。
        今日、その初校を終えたわけだが、ともかく不思議な「本」だ。「面白い」とか「感動した」という類の本は、世の中にあふれかえっているが、人の心に飛び込んできて、読み進めるうちに、自分と向きあわざるを得なくなる、こんな「本」には、なかなか出会えるものではない。

        私自身恥ずかしながら、読み進めるうち、知らず知らず声を上げて泣きだしている始末。とんでもない校正作業になってしまった。ハイツの一部屋を事務所兼倉庫に借りており、後になって、隣近所に声が聞こえなかっただろうかと心配するというお粗末。

        ところが、どこが良かったとか、ここの部分で泣かされたとか、そんなところが思い当たらない。むしろ気になったのが、句点が多いということ。読む上で少し煩雑かと思い、かなり削ろうかと思ったのだが、読み進める上で面白いことに気付いた。句点が多いことで、読むリズムがゆったりしたものとなる。一語一語、噛みしめるように読む、次第に、そんな読み方のリズムが出来てくる。その噛みしめるようなリズムが、何とも内容にマッチしている。次は次は……とページをもどかしげに捲っていく感じでなく、1ページを大事に大事に読んでいくというリズムを作り出している。
        読み進めるうち、いつしか校正作業が自分を見つめ直す方向へ動いている。

        すごい「本」ができたものだと思う。
        最初、タイトルに「田池留吉」という名前が出てくるので、内容からして、一般読者に「教祖」的に思われないかと一抹の危惧を感じていたが、そんな思いは一瞬にして吹っ飛んでしまった。ただ気付けば、校正作業がお留守になっており、いつになく時間のかかる初校となった次第。

        「我田引水」は承知の上で、自分という存在について考えている人には、ぜひ一読をお勧めする次第。ただし、頭で理解しようということは、まず放棄され、感じていこうという思いで、この「本」と向き合うことをお勧めする。完成は、この調子で行くと10月初めになるのではと思っている。

        天牛堺書店のおもしろさ

        2010.07.18 Sunday

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                                (天牛堺書店 北野田店)

          天牛酒井書店04.jpg昨日は堺にあるお袋の家に行った。お袋の家へ行くたびに楽しみなことがある。最寄り駅は南海高野線北野田駅になるのだが、この駅前に天牛堺書店北野田店がある。お袋の家に行った日は、帰りがけに必ずここの店先を覗く。店内は新刊書店なのだが、店頭には店を取り巻くようにずらっと古本が並んでいる。しかも、文庫から新書、ハードカバー、美術書とどれをとっても220円という超安値。そのうえ来るたび品揃えが変わっている。これが大きな魅力だ。ところが、その魅力が裏目に出た。前回来たとき気になった本があったのだが、それがどうしても見つからない。そんなに日にちも経っていない。前回は荷物も多く、次回来たとき買おうと思って買わなかったのだ。そんなに売れる本でもないと思うのだが、それがどうしても見つからない。たまたま本の整理に出てきた女子店員に尋ねてみた。
          その店員の方は、天牛堺書店の古書販売システムについて教えてくれ、おかげで謎は氷解した。また非常におもしろいと思った。
          どんなシステムかというと、店頭に並ぶ古書は4日後にはすべて入れ替えられる。古いモノは堺市南区にある古書センターに返される。一部でなく、全部まるごと新しいモノと入れ替えられるのだ。道理で来るたび、寄ってみたくなるわけだ。来るたび同じ本は並んでいないのだから。本好きにはたまらないシステムだ。来るたび宝物を探すようなワクワク感がある。
          「この本が220円で買えるの!」そんな驚きと出会える時が何度かある。しかし、見つけたその場で買わないと、その本と次に出会えるのはいつのことか。なにせ店舗は大阪府下に19店舗 あり、センターで組み合わせと料金体系がが変えられ、4日ごとに各店舗へ配布されるのだから。

          このシステムを聞くなり、自分の仕事でも使える思った。
          僕の仕事に「UTAブック」という一連のシリーズ本の発行がある。もちろん、仕事としてやっているのだから採算は考えるわけだが、同時に、「人間の本当の姿は、『肉体』ではなく『意識』であって、生き方自体を、肉体中心の生き方から、意識を中心とした生き方に変えていこう」という出版活動を通した啓蒙活動でもある。
          したがって売れることもさることながら、読んでもらうことに大きな意味がある。そのため図書館への寄贈活動なども行っているのだが、この天牛堺書店の古書販売システムに乗せてもらうのもおもしろいと思った。ブックオフも、おもしろい動きをしているのだが、規模が大きくなり過ぎたせいか、店舗の在庫が固定化して動きがあまりないように思う。一月経って行ってみても、一部品揃えが変わっていても、全体として品揃えが大きく変わることはない、そんな風に感じられる。それを思うと、天牛堺書店のやり方は、手間はかかるが、購買者にとっては非常に魅力的だ。ぜひ本部へ行って、担当者の話を聞いてみたいと思う。

          なお天牛堺書店と、天牛書店とは別会社なので、お間違えのないように。

          天牛酒井書店03.jpg

          DTP Booster014 

          2010.06.17 Thursday

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            最近、自分の周辺で「電子出版」に関する動きが目立つようになってきた。
            以前は、水面下で密かに進行している、そんな雰囲気だったが、IPadの発売以来、おもてだった動きがあちらこちらで起こってきている。今週末も東京神田で、電子出版をテーマに "DTP Booster 014"という集まりが緊急に開かれるようになった。
            内容を見てみると、「書籍、読書スタイルはどうなる?」「著者、書き手はどうなる?」「出版社、出版業界はどうなる?」「書店はどうなる?」といっった問題から、電子書籍化するさいの標準フォーマット等の技術的な問題まで、いま考えられる様々な問題を網羅しており、忙しい時期ではあるが、なんとか参加してみようと仮申込を行った。

            今朝、パソコンを立ち上げると、受講者番号とともに受講票が送られてきていた。
            自分で申し込んだわけだが、それでも「電子出版」のほうがグッとこちらに迫ってきたような、そんな不思議な感覚を覚えた。出版人の端くれとして、この変革期に立ち会えたことが何とも言えず痛快だ。

            ところで、ある大事な人と約束したことがある。
            その内容というのは、ある「本」を世に出すお手伝いしたのだが、その「本」を、周りの状況がどう変わろうと、市場から無くさないようにする。絶版で手に入らないということがないよう、その「本」を少部数でも発行し続けるということ。

            電子出版が普及することで、この約束も、まっとう出来そうな気がする。僕が死んだ後も、ひょっとして、この日本がなくなった後も、その「本」だけは、生き続けるのかも知れない。

            葬送の自由について取材しました。

            2010.04.30 Friday

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              前科のブログでは、葬儀について、歴史的な観点から自分なりに思っていることを述べさせていただいた。今回はそれに引き続き、「葬送の自由」について、従来の葬儀を拒否され、自分たちの望む形の葬儀をされた3組の家族を紹介させていただきたい。ここにあげる事例は、僕の編集した「葬式革命」という本のために取材したもので、ご本人たちのプライベートを守るため、地域やお名前はすべて仮名で表記していることをお断りしておく。

              ○○市にお住まいのSさんの場合
              喪主のSさんは、重度重複障害児を持つ六十代前半の女性。亡くなったのは、障害児である娘の明菜ちゃん、二十歳を迎えたばかりだという。
              実は明菜ちゃん一家とは、僕自身、ごく親しく近所付き合いをした仲だ。今も手許に明菜ちゃんのお母さんの手記が残っている。
              「娘の名前は明菜です。昭和五十二年十一月十八日、千五百グラムで生まれました。七ヶ月の初めに早産しました。生後二、三日で呼吸困難を起こしました。同時に黄疸を伴い、保育器の中で光線療法も受けました。その後、順調に発育していると思っていましたが、未熟児網膜症になっておりました。それは比較的軽く終わりました。現在は左が弱視です。生後九ヶ月目に脳性マヒと診断されました。昭和五十四年一月末日に重度の脳性マヒによる四肢体幹マヒ、わかりやすく言うと、寝たきり、一生涯寝たきりの子です。たとえ訓練をしても、寝たきりから脱することはできませんと診断されたのです。」
              それから二十年が過ぎた平成九年十二月、明菜ちゃんのお兄ちゃんが結婚することになった。このとき、明菜ちゃんは吐血が始まり病院に入院したまま。主治医のお医者さんも「もう長くはもたないだろう」と言っていた。それでも結婚式には病院の外出許可をもらって参加、式が終わるなり、また病院へとんぼ帰りしたという。
              式場から病院へ帰り着き、看護婦さんに迎えてもらってうれしそうな明菜ちゃんの写真が残っている。
              それから一月あまりが過ぎた平成十年一月十四日、明菜ちゃんは病院で亡くなった。明け方の午前三時だったという。病院のストレッチャーで車まで運び、大好きだったお兄ちゃんのライトバンで団地の一階にある家へと連れ帰ってもらった。
              明菜ちゃんはよく「キャッキャッ」と声を立てて笑った。外にいても、その笑い声が窓を通して聞こえてくるほどだ。亡くなったその日も、お母さんとお兄ちゃん夫婦がライトバンで連れて帰ってきたのだが、部屋へ入るなり「キャッキャッ」という笑い声が聞こえるというのだ。
              「いやぁ、アキチャン、生きてるわ!」と、一瞬思った。
              だが、それは飼い犬エルの鳴き声であった。
              夜が明けるなり、市役所に電話し、葬儀社を紹介してもらった。
              「何も要りません、葬儀も不要です。棺桶と焼き場の手配だけをお願いします。」
              この日は、明菜ちゃんを知る人たちだけの送別会となった。急遽、明菜ちゃんの寝ていた部屋が立食パーティの会場となる。焼香も線香もなし、来る人も香典はなし、数珠も持たない。というのも、明菜ちゃんのお母さんが、仏教の葬儀に疑問を持っていたからだ。いや仏教でばかりでなく宗教で人は救われることはないと強く思っておられる方だった。
              だから来る人も、「明菜ちゃんが花が好きだったので……」と、花だけを持って参加した。来る人、来る人が花を持ってきた。
              常々、お母さんは、明菜ちゃんに「死んだら、アキチャンの好きな花でいっぱいにしたげるワ」と言っていたが、期せずして、部屋はその言葉通り花でいっぱいになった。棺も花でいっぱいにした。ただ花だけを折って入れるのは「何となく残酷そうでイヤだ」というので、花だけをちぎるのでなく茎のままを入れたという。
              誰も泣く人はなく、明菜ちゃんの想い出話をし、ジメジメした雰囲気はなかったという。明菜ちゃんの担任だった先生も、集まった人たちも「こんな雰囲気っていいですネ、私もこんな風にしたい」と感想を漏らしていた。
              明けて一月十五日、普通なら成人式となるのだが、この日、明菜ちゃんは黒いバンで斎場へと移されていった。
              「焼いている間、みんなで食事をしました。お骨は迷った末に持って帰り、撒こうかとも思ったのですが、トラブルの元になってはと、実家のお墓へ入れました」と、お母さんは淡々と語る。更に訊くと、それはお墓が大事だという意味ではなく、処分に困ったあげく、ここへ入れておけば誰にも迷惑がかからず土に帰るだろうと思ったからだそうだ。
              「葬儀の費用は」と問うと、「棺桶代が四万円だった。そう、全部含めて十三万円だったのを覚えているけど、明細は覚えてないわ」と明るく答えてくれた。

              ちなみに市役所に電話で確認してみたが、やはりお骨は持って帰らなくてもいいそうだ。最初に渡される書類に「お骨を持って帰る」「お骨を持って帰らない」の希望欄があるそうで、電話に出ていただいた係の方に「お骨を持って帰らない場合、そのお骨はどうなるんですか」と訊いてみると、「一年間保管し、その後、共同霊園にお入れします」という答えが返ってきた。
              このことは、全国どこの市町村でも同じらしいが、確認したわけではない。


              △△市にお住まいのTさんの場合
              Tさんは、二度の喪主体験をされた。最初はお母さんの時、二度目はお父さんの時だという。もともと実家が神道であり、祝い事はおろか葬儀に至るまですべて神道で行ってきたという。佐世保へ引っ越しされてからも、お母さんの葬儀の時は神道で行ったという。
              私自身モノ知らずで、今まで神道の葬儀があるということを知らなかったものだから、好奇心も手伝って、神道での葬式がどういうものか訊いてみた。
              仏式では霊前での焼香が必ずあるが、神道のお葬式では焼香は行わないという。神式のお通夜・葬儀・法事では玉串奉奠(たまぐしほうてん)といって、玉串と呼ばれる葉のついた枝を神前に供えるという。まず両手で玉串を受け取り、根元が向こうを向くよう時計回りに持ち替えてまわし、お供えをする。次に二度、頭を下げ、音を立てないようにやはり二度柏手を打ち、最後にもう一度、頭を下げるという。
              ただ佐世保では、神主さんに頼むとき、結婚式や誕生などの祝い事は歓迎されるが、葬儀の依頼は結構いやがられたという。
              二度目のお父さんの時は、最初と事情が違っていた。この間、Tさんはある人との出会いから真剣に人生を考える機会を持ったという。「苦しいときの神頼み」という言葉があるが、真剣に自分自身を見ようとしたとき、苦しみの原因がどこにあるかも見ようとせず、ただ何かに頼ろう、すがろう、うまくいかないときは世間が悪い、周りが悪いと犯人探しをしてきた、そんな自分に嫌気がさしたという。そうなると儀式という形だけが残った宗教にも嫌気がさしてきた。と同時に、そんな宗教に向けてきた自分の心にも嫌気がさしたという。自分を変えようとすることなく、何とか自分に都合の悪いことだけを、祈って、すがって、なくしてもらおうとする。そんな自分の心を変えたいと思ったという。
              そう思ったTさん、早速、町内会にも断りを入れ、一切の宗教的行事に関わり合いたくないと宣言された。佐世保でも都市部はいいが、田舎へ行くとまだまだ閉鎖的で、こんなことを言い出した日には、周りがどんな目で見るか分かったものではない。どんなにか勇気がいっただろうと思うが、意外と周りはすんなりと受け入れてくれたようだ。
              Tさんを取材するとき、お住まいが分からず、付近の方に「Tさんのおうちを教えてください」と道を訊いたのだが、「ああTさんの家なら……」と、親切に親しみを込めて教えていただいた。とても周りから白い目で見られている、そんな雰囲気ではなかった。
              そんなわけで、お父さんの時は、神主さんも、お坊さんも呼ばず、互助会に頼んで家族だけで送ることになったという。
              お父さんの場合、急であった。長い闘病生活の末に病院で亡くなったというのでなく、自宅で、ある朝、起きてみたら亡くなっていたという。全くの急死であった。
              早朝のため、主治医とも連絡が取れず、とりあえず一一九番に連絡し救急車が駆けつけることとなった。救急車からは、人工呼吸するよう指示が出る。Tさん、「死んでいるのになぁ」と思いながらも電話からの指示通り、お父さんの口に息を吹き込み人工呼吸を行った。
              やがて救急車が到着し、しばらくして警察も到着した。一一九番に連絡したとき、消防から警察へも連絡が行くのだという。Tさんの場合は、この後、かかりつけの医師とも連絡が取れ、医師が警察に事情を説明したうえで死亡診断書を発行してもらい一件落着となったが、普段から健康でかかりつけの医師もなく、急死ということになると、たとえ老衰死であっても、警察医による検屍・解剖と言うことにもなってしまいかねない。
              Tさんは、お父さんが普段から「葬儀に要らぬ金は使わず、身内だけで送ってほしい」と言っていたこともあり、ご本人の宗教的な葬儀はしたくないという思いもあって、互助会に連絡を取り、僧侶も葬儀も必要がないことを意思表示された。
              お母さんの葬儀の時、納棺に際してちょっとしたハプニングが起こった。納棺に当たって、普段、お母さんの訪問看護をしてくれていた方が「死に化粧」を施してくれ、やさしいいい顔になったとみんなで喜んでいたが、業者の方が、料金の内だと思ったのかどうか、その上からまた「死に化粧」を施してしまったというのだ。
              結果、やさしい顔が怒ったような顔になってしまったという。
              これに懲り、お父さんの時は、特に「死に化粧」もすることはなく、納棺した後は、互助会のホールに移送し身内だけで通夜をすることになった。
              翌朝、斎場に移して火葬に付したが、このときは朝一番だったせいか静かで落ち着いて送ることができたという。というのも、最初のお母さんのときは、午後からの火葬となり、数が多く火葬も競争状態となった。各宗派の僧侶や宗教者が、それぞれのお経や祈りを、他に負けまいと大声を上げて競い合うものだから、静かで落ち着いた雰囲気などほど遠く、ただうるさくて慌ただしいだけのものとなってしまったという。
              こうなると、お経はありがたいというより、うるさいだけの騒音でしかないだろう。
              それはさておき、家族だけの葬送、全部で十八万円だったという。


              ◇◇市にお住まいのUさんの場合
              喪主のUさんは、四年前にお父さんを亡くされた。Uさんは知り合いの葬儀店に連絡を取り、会場だけを貸してほしい旨を連絡し、家族だけで送ろうとしたが、お父さんがこの地域で指導的な立場にあったため、役場から情報が流れ、県会議員をはじめ市長や多くの名士が参列する大がかりな葬儀となってしまった。
              ただ参列者が驚いたのは、そこには読経をあげる僧侶も存在せず、焼香もなく、線香の一本さえもあがっていなかったことである。
              ところで、この地区は因習や地縁関係が根深く残っているところであり、しかもUさんもお父さんも、この地区の指導的な立場にあり、旦那寺とも親しく、代々、檀家としても代表的な立場にあったという。お寺との関係ばかりでなく、この地区では行事といえば神事を指すほど、神社や氏神との関わりも強い。氏子としての役割も強かったという。
              話は前後するが、こんな環境の中、Uさんのお父さんが直腸ガンの手術で入院することとなった。ところが開腹してみると思ったより状態がひどく、このまま手術を続ければ、老齢ということもあり生命の保証もできない。手術を中止するか、このまま続けるか、五分以内に回答をほしいということになった。立ち会っていたUさん、相談する相手もなくすべての判断が自分にかかっているという状況に追いつめられてしまった。しかもゆっくり考える時間などない、五分以内に答えを出さなければならない。
              この頃、Uさんは「人間の意識」ということについて学んでおり、本当に伝わるのは、「言葉」や「態度」でなくその人の「思い」だということを教えられていた。口で「あなたはいい人だ」と言っても、心で「この野郎!」と思っていれば、「この野郎!」という思いがエネルギーとして働く。その場はだませても、このエネルギーが働くため、結局はうまくいかないし、相手も表面上はだませても、実は本人が気づかないだけで本音が伝わっているのだと……。要は、自分が変わらないかぎり、いくら宗教に頼っても自分も人も決して救われることがないということを分かり始めた頃であった。
              思いあまったUさん、このことを思いだし、「意識は伝わるんだ」と自分に言い聞かせ、必死の思いでお父さんの心の中に話しかけた。
              「親父、どうしたらいい。手術を続けるほうがいいのか? 中止したほうがいいのか?」
              そのとき、Uさんの心の中に「手術を続けてくれ」というお父さんの思いがハッキリと響いてきたという。Uさん、半信半疑ながらも、その思いを信じ、医師に「手術を続けてほしい」旨を意思表示した。
              やがて手術も無事終わって、お父さんの意識が回復したとき、
              「不思議な体験をしたよ。おまえが俺に手術をするべきかどうか話しかけてくるんだ。」

              Uさんは声に出して話しかけたわけでもないし、しかもお父さんは麻酔をかけられて手術室に入っていた。このことを話すと、「おまえが常々言っていたのはこういうことだったのか、おまえのやってる学びはほんものだ」と、あっさり脱帽したというのだ。
              これからが、このお父さんの偉いところだ。
              病状がある程度快復すると、Uさんと二人して旦那寺へと挨拶に出かけた。
              「息子が常々、人は意識だと言っている。俺も病院で不思議な体験をし納得した。人は己の心を見つめ己自身が変わっていかないかぎり、寺に頼っても、経文に頼っても人は成仏することはできないことを知った。分かった以上、寺の檀家であることはやめたいと思う。理解してほしい。こんな訳だから、葬儀のときも、あんたが僧侶として出席することは控えてもらいたい。俺との長年の付き合いで顔を出してくれるというのであれば、背広にネクタイで出席してほしい。袈裟や数珠などは不要である。」
              二人は、この後「長年、お世話になった」礼を述べると、寺を後にした。
              この後一年して、お父さんは亡くなった。肺気腫やその他の病気を併発しボロボロの状態であったという。死を悟られたのか、死ぬ一週間前、咳き込みながらも十五分近く、自分の最後の思いをテープレコーダーに録音された。
              「自分はこれまで自分の信じたことをやってきたが、その結果が果たして良かったのか、今、疑問に思っている。本当のことに早く気づけたのに、それをないがしろにし、今まできてしまい、人生を無駄にしてしまったことを後悔している……」
              Uさんの奥さんが、たまたま録音されているその姿を目撃されたが、録音し終えると、しばらくはその場で泣いておられたという。
              やがてUさんのお父さんは亡くなり、今回の葬儀となった。
              集まった人たちは、僧侶もおらず、焼香もなく、線香の一本もあがっていない葬儀会場に面食らったが、静かに童謡の流れる会場に、やがて録音された最後のメッセージが流れはじめた。咳き込み、時に涙ぐみながら語る故人の声に感動しない人はなかった。
              集まった人たちは、葬儀が終わると、
              「葬儀もこれからは変わっていきますなぁ」「重苦しい読経よりさわやかでよかったですよ」「本当に気持ちのいい葬式でしたなぁ」と口々に語られていた。
              その弔問客の中に、檀那寺の住職も背広姿で参列していたという。
              この話にはまだ続きがある。この地域ではありえない、この一風変わった葬儀の後、非難の声が起こると思いきや、追随する人が出てきたのだ。この地縁関係の結びつきの深い地域でも、確実に因習に縛られたくないという思いが広がっており、Uさんの行動に触発される人が今も続いているという。
              ところで、この葬儀にかかった費用、お父さんの立場上、密葬にできなかったこともあってかなりな出費になってしまった。それでも八十万円程度であったという。

              「意識の流れ」増補改訂版の編集作業を終えて

              2010.04.20 Tuesday

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                「意識の流れ」表紙の変遷

                僕が「意識の流れ」と出会ったのは、2004年12月、もう6年の付き合いになる。ジャンル的には「精神世界」に属する本なのだが、このジャンル独特の臭みが全くない。書店の担当者いわく、「この棚に来る人たちはもっとショッキングなもの、けばけばしいものを求めてくるんですよ。この本は、そんな匂いもしないし、かといって道徳書や、教育書、啓蒙書の棚に置くのも違う。一体、どこへ並べたらいいんですか?」 まさに書店人を困らせる「本」には違いない。しかし、そう言われながらも、2009年4月の新装版までで3万部以上が売れた。特定の宗教団体の本や、タレント本、超人気作家の「ベストセラー本」とは比べるべくもないが、3000部売れたら「よく売れたね」と言われる人文世界関係の本では、販売部数は勿論、その息の長さでも長寿本の部類に入るだろう。その本が6年ぶりに新しくなる。根本的な内容は同じなのに、何かが違う。「章立てが出来て読みやすくなった」とか、「装丁がA5版からコンパクトな四六判に変わった」とか、「表紙の意匠が変わった」とか、そんな外面的なことばかりでなく、「本」が発する何かが変わっている。たとえば剛速球を素手で受け取ったような感覚、それでいて受け取った痛みよりも清々しさが体中を突き抜けるような、そんな感覚と言えばいいのだろうか。今思ってみれば、つくるたびに何かが変わっていく不思議な本と言えるだろう。

                「意識の流れ」増補改訂表紙そんな「意識の流れ」との出会いについて、少し語らせてほしい。
                僕は、2000年1月に関東から古巣の関西へと舞い戻り、職場も古巣の政府刊行物大阪サービスステーションに復帰した。10年前に務めていた頃は、官報公告係を10年、政府刊行物・店売部門で店長として3年を務めた。その後「関東で零細な出版活動をしたいから」と勝手を言い辞職した。それが再び古巣の職場へ戻ってくることになった。今度は管理職としての復帰。我ながら「頼りない管理職があったものだ」と苦笑いしていたものだ。
                しかし、どうにも面白くない。もっとワクワクする仕事がしたい、国の刊行物を書店に卸すだけでなく、自社製品を持ちたい。しかし出版不況のさなか、出版事業を始めるわけにもいかない。ところが、ある大学の先生と知り合ったのがきっかけで、自費出版と企画出版の中間的な「オーダーメイド出版」なるものを始めた。問題になっている「共同出版」とは一線を画する。どんな出版方式かというと、自費出版だと、著者は営業マンになりにくい。自分の造った本を「買ってよ」とは言いにくいのが人情だろう。でも、「予約数が集まったら政府刊行物から本になるんだ。一冊でいいから予約することで協力してほしい」とは頼みやすくないだろうか。これなら著者が営業マンになれる。つまり企画段階から出版社が参入し、著者と共に予約集めをする。紹介用のホームページから拡販用のリーフレットまで、こちらでつくってやり、制作実費が出るほどの予約数が集まれば出版に踏み切るというもの。たとえ制作実費が出ないまでも、著者の負担はかなり軽減されるし、出版する側も最小限のリスクで冒険が出来るというものだ。始めるや、新聞各社が「面白い」と言ってこぞって記事にしてくれた。おかげで「オーダーメイド出版」という零細な出版方式を軌道にのせることが出来た。
                少し余裕が出来ると、自社企画の本も造りだした。書き手には不自由しなかった。大学の先生から、シンクタンクと言われる経済研究所の研究者、それに大手広告代理店の人間までが、「あくまで個人仕事としてやりたいから」と、様々な企画を持ち込んできた。
                そんな矢先、僕も個人的に参加している「心を学ぶ会」で出版の話が起こった。「心を学ぶ会」などと言っているが、これは決まった名称というわけではなく、その性格から言っているだけで、本当は「会」でもなんでもなく、元大阪府立高校の校長先生が、心を見ていくことの大切さを説いているに過ぎない。「自分の心を見て、自分の出している凄まじいエネルギーに気付いていかないかぎり、何も変わらないし、自分を見るというその仕事のためにこそ私たちは生まれてきたのだ」と、全国でセミナーを開き、その実践を訴え続けてこられた。そのセミナーも終盤を迎え、心を見ることの大切さを「本」にして残しておくと言うことで、「意識の流れ」なる本が誕生することとなった。
                当初は、セミナーのお世話をされていた久保明子さんが出版者となって本が造られた。しかし、僕も出版人の端くれとして、出来た本の流通が如何に大変かは分かっているつもりなので、「できたら『かんぽう』(僕の務める政府刊行物大阪サービスステーション)を発売元に使ってみてほしい」と声をかけた。
                ここから、僕と「意識の流れ」の関わり合いが始まった。翌年には、「かんぽう」が発売元になって、その改訂版を発行し、次々と「意識の流れ」のシリーズ本を刊行した。さらに僕の定年退職に当たっては、以降の関係出版物は、家業の「シルクふぁみりぃ」の中に出版部門を設け、そこから「UTAブック」の名前で「意識の流れ」関連図書を出版し続することになった。
                そして、今年5月、その「意識の流れ」本体が、6年ぶりに新しく生まれ変わることになったのだ。
                まさに今日、その原稿が、製作陣の手を離れ、印刷所に入稿されたという次第。5月には、それが「出版物」として完成し、UTAブックから離れ全国の書店へ旅立っていく。さて、これから先「本」自体が、どんな仕事をしてくれるのか大いに楽しみというところだ。

                新刊「お母さん、ごめんなさい」の“しおり”

                2009.11.11 Wednesday

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                  新刊本の栞色鉛筆画「大槻ゆり展」―色鉛筆の世界―(2009.11.01)でご紹介した、大槻ゆりさんの次の「しおり」が11月末にできてきます。
                  これはUTAブックの次回新刊「お母さん、ごめんなさい」(2009.11.04のブログで紹介)に挟み込むためにつくられた「しおり」です。
                  大槻ゆりさんならではの、淡い透明感のあるタッチは、本ができる前から評判になっています。
                  もし、本の購入者でなくとも、ご希望の方がおられましたら、お一人20枚を限度としてプレゼントさせていただきます。

                  80円切手を同封の上、「必要枚数」「送付先住所」「お名前」を明示の上、「〒635-0831 奈良県北葛城郡広陵町馬見北9-11-24 A102/UTAブック」までお申し込みください。

                  ◇「お母さん、ごめんなさい」の著者 本田せつ子さんのプロフィール
                  昭和25年  函館市に生まれる
                  大学、大学院修士課程にて発達心理学、児童心理学を学ぶ。
                  昭和50年より平成8年まで約20年あまり保育専門学院講師、家庭児童相談室相談員、保健所発達クリニック心理相談などに携わる。
                  著書/「母親のぬくもり」「家族の風景」「幸せへの道が開かれて」

                  大槻ゆりさん プロフィール
                  大槻ゆりさん大洋美術展 神戸市教育委員会賞 奨励賞
                  滋賀県琵琶湖環境部林務緑政課コンテスト優秀賞
                  NHKきらっといきる NHK近江人街道出演他
                  ‘05初個展を皮切りにシィベルヘグナー社による色鉛筆イベントでの展示会、京都高島屋など京都、滋賀のギャラリーでの作品展多数
                  写真提供 朝日新聞週間情報誌「あいあいAI京都」


                   

                  本田せつ子著「お母さん、ごめんなさい」

                  2009.11.04 Wednesday

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                    今日、12月初旬に発行される「お母さん、ごめんなさい」の最終校正が終わった。
                    いつもながらの断りだが、本の宣伝をするつもりはない。ただ、自分が手がけたものについては、何か一言しゃべってみたくなる。「こんないい本を作ったんだぞー」って自慢したくなる。
                    いつまでも幼児癖が抜けないってことかも知れない。そこのところは、ご勘弁、ご勘弁……。

                    さて、著者の本田せつ子さんだが、昭和25年に函館市で生まれた。小さな頃から精神世界に興味があり、「幽体離脱」等、いろんな霊体験もされているようだ。長じて「心理学」を志すようになり、大学や大学院で、「発達心理学」や「児童心理学」を学び、卒業後は、保育専門学院で講師をしたり、公の家庭児童相談室の相談員や、保健所発達クリニックの心理相談を担当したりと、少し前までは、心理学の立場から子供の心の問題に取り組んできた。

                    そんな彼女が、チャネラーになってしまった。
                    チャネラーって何かって? ウーン、一言でいえば、言葉を介さず他人の思いが分かる人ってことかなあ。僕たちって、言葉や時には身振り、つまり耳や目やそれに口も、要するに五感を使って情報を伝達し合っているだろう。これって便利だけど、本当いうと不正確だよね。だって口で「人間は心ですよ、心が大事ですよ」って言ったって、本当のところは分からない。内心は「金だ、金だ」って思ってるかも知れないじゃないか。ところが、人は言葉を発するだけじゃなく、「思い」というのも「波動」として出してるらしいんだ。その「思い」が伝わってきたら、これは、もう間違いがないよね。あくまで受けてのチャネラーに雑音がないとしての話だけど……。
                    さて本田さんの話に戻ろう。彼女がチャネラーになってしまうと、どんなことが起こったか。
                    相談に来る人たちは、子供の問題を通して、それぞれ自分の苦しい立場や思いを語ってくる。ところが、それと同時に問題を抱えている本人や子供たちの思いも同時に伝わってくるようになったんだ。そんな思いに耳を傾けていると、みんながみんな形を何とかすることばかり考えて、本当に大事なことは考えようともしない。本田さんは、「マニュアルどおりでは伝えられない、本当に伝えなければならないことは、こんなことじゃない」って思うようになった。でも、それって公の立場では言えないらしいんだ。そのギャップに苦しんで、本田さんはカウンセラーの仕事をやめた。
                    少し長くなるが、ご本人の言うところを聞いてみよう。

                    「私は今、五十歳半ばです。自分の小さい時、また学生時代を振り返っても、今とは全く様相が違います。いつの頃からか社会が大きく動き、人々の価値観も 変貌を遂げています。二十年あまり子供の問題についての相談業務に携わってきましたが、子供の問題も複雑化し、多様化していることに気付きます。相談内容にも大きな変化が見られるようです。公的な相談機関に勤務してきましたが、そこでは言葉や発達の遅れ、自閉症、学習障害、注意欠陥・多動性障害、ダウン症、また登校拒否、落ち着きのない子供、適応障害、非行などの子供を持つ親とのカウンセリングを主にしてきました。障害や問題を持つ子供の療育というよりも、障害や問題のある子供の親との心の触れ合いや交流を図ってきました。悩みを聞いて受け止め、アドバイスをしてきました。
                    しかし、カウンセリングを行いながら、私はその当時学び始めた、「人間とは何か、人生の目的とは何か、人間の本質とは何か」を探求する上で、自分が心の中に見いだしてきた解答と、学問を基盤としたカウンセリングとの間のギャップに、戸惑いを感じるようになっていきました。言葉の遅れや発達の遅れは、親にとっては大きな問題です。だから、その対応は一応伝えます。でも私の本音は、そんなことは大して重要なことではない、それよりも、もっと大切にしていかなくてはいけないことがたくさんある。夫婦は仲良くしていますか、嫁姑の間はいかがですか、あなたは自分を大切にしていますか、あなたが子供に望んでいること、それは本当に大事なことですか、外に見える事柄よりも、もっと子供の心を大切にしてほしい、そのように伝えたい相談が山のようにありました。子供の能力を引き出すことも大事かもしれない。でも、それよりももっと大事なこと、私は親たちが一人ひとり、もっと自分の心を見つめていくということを伝えたくなりました。相談室には親は直接的な解答を求めてやってきます。しかしながら、家庭の歴史の中で培われてきた諸問題は、そう簡単には解決できません。それには親自身の意識の変化がどうしても必要になってきます。生活をしていく基盤、もっとはっきり言えば、生きていく基盤を変えていく必要があります。それを伝えるときに、私は公的な機関では無理があるということに、段々気付かされました。
                    形の世界、また表面的な心の世界を変えていくということは、相談室でも伝えることはできます。でも、それは一時の変化です。本当に大切なことは、生きる基盤を変えていくということ、そして、それは肉的な幸せ、肉的な解決を求める心とは相容れない世界なのだということを、思い知らされました。
                    親が不満を訴える、自分の心を語る、でも親自身の意識が真っすぐに私に伝えてくる思いとはかけ離れていても、親の心情を考慮したり、自分を守る思いから、それを指摘することも、本当の幸せについて語ることも十分にはできませんでした。それが段々苦しくなってきて、私は職を辞しました。
                    子供の様々な問題を考えるとき、今、何が一番大事なのか、そして、なぜこのように様々な問題が引きもきらず次々と起こってくるのか、肉と意識の世界両面から子供の問題を語っていきたいと思うようになりました。」 

                    こうして、2007年2月、「母親のぬくもり−子供の問題−」が書かれた。続いて同じ年の11月、「幸せへの道が開かれて−精神障害から喜びの世界へ−」が、翌2008年3月には、家族間での心の葛藤を取り上げ、本当の幸せは何かと言うことを考える「家族の風景」が書かれた。今度できる「お母さん、ごめんなさい」は、これまで取り上げた問題の上に立ちつつも、より具体的に「心を見る」ということの大事さを伝える、いわば、本田さんの総決算とでもいうべき1冊だ。

                    あっ、これってやっぱり「本」の宣伝かなあ……? ま、いいかっ。

                    ジャガイモの状況
                    我が仕事場のジャガイモ君、11月1日の状況。地中の根から吸収された水分が、露となって葉の表面から排出されています。自浄作用が働いているのだそうです……感動してます。

                    塩川香世著「第二の人生」の編集を終えて

                    2009.10.29 Thursday

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                      栞のイラスト少し重い話題が続いたが、ここらで僕の仕事について書いておこうと思う。
                      自己紹介のところで少し触れたが、僕自身は62歳で少し強引にではあるが定年退職し、今、第二の人生を、小さな出版活動を通し、本当のことを伝えていけたらと、そのことに人生の意味を見いだそうとしている。
                      30代も中盤にさしかかった頃、ある高校の校長先生に出会った。それが田池留吉氏だった。彼は「人間は意識ですよ、その肉体があなたじゃないですよ。肉を中心とした生き方は間違っていますよ。」と、学校の休みの日は、そんな話をいろんな場所で話されていた。彼の話を聞くため、我が家の女房まで、日曜ごとに足を運ぶ始末。
                      僕はそれが許せない。「女房たるもの、日曜日は家にいて亭主や子供の面倒を見るべきだ。校長先生だかなんだか知らないが、今はやりの新興宗教に違いない」と、田池氏の自宅を調べだし、単身、適地に乗り込む勢いで、田池氏の家に殴り込みをかけた。
                      こう書くと威勢がいいように聞こえるが、威勢のいいのは最寄り駅まで。近くに来ると、「留守に違いない、またの機会にしよう」と急に心が萎えていく。
                      用もないのに近くにある太子廟を訪ね、「耳に良し、書きてなおよし、和すことの、行うことの難しきかな」等と、歌をつくって時間つぶしをしたり……どうにも情けない自分に嫌気がさし、留守だったら本当にこのまま帰ろうと、田池氏の家に電話を入れてみた。
                      期待に反し、氏は在宅した。
                      「女房がお世話になっています。」
                      田池氏に発した第一声がこれだ。(おいおい、言いたいことがあったんだろう!)
                      こちらの思いを察したのか、「大阪の北の端から南の端までわざわざやって来たんだ。何か言いたいことがあるんだろう。あがって話して行きなさい。」
                      これが始まりだった。ここで何があったか、想像にお任せするが、教化されたとか、洗脳されたとか、そんな類のことでは絶対にない。ただ本物に出会った。そんな感想しかなかった。

                      それから二十余年、今、僕は退職後、田池氏の言う「人生の本当の目的」を伝えるため、本を造っている。その第2冊目の本が、塩川香世著「第二の人生」だ。(右のイラストは、「第二の人生」のためにつくった「栞」のイラスト。この絵は、重筋無力症(ぎせいバーター症候群)という難病と向かい合いながら絵を描き続ける画家、大槻ゆりさんが提供してくれた。栞の裏面には「立派な人物にならなくてもいいのです。自分自身が生まれてきた本当の意味を、心で知っていくひとになってください。」のフレーズが印刷されている。)

                      塩川香世ってどんな人かというと、まず1959年3月大阪市に生まれた。
                      1991年3月に税理士試験に合格し、以来、税務関係業務に従事し、現在に至っている。
                      税理士であるという以外、別にどうという経歴ではないのだが、
                      著書をあげると、「ありがとう」「意識の転回」「母なる宇宙とともに」機↓供 岼Δ隼爐凌深臓廖屬△覆拭△海里泙淹爐鵑任い辰討いい里任垢」がある。どうみても税務関係の本じゃないよね。
                      どれも「人生の本当の意味」について書かれているんだが、この本の作り方が実にユニークだ。ぼくが本を書こうとすると、まず取材活動がある。人に会い、話を聞き、文献を漁り、それら材料に、自分の思いや意見を挟み込みながら、一冊の本を仕上げていく。いわば頭と足を使って「本」を仕上げていく。
                      彼女の場合は、このプロセスを一切踏まない。頭も足も介在しない。
                      ただ心を向け、伝わってくる思いを、どんどん文字にしていく作業だけがある。
                      「自動書記と同じ」だって? そうかも知れないが肝心の所が違うと思う。世の中にチャネラーとか霊媒師とかいう人はごまんといるが、みんな立っている基盤が肉中心なのだ。今の肉の人生が豊かになるよう、肉が満足するよう、すべてこの基盤に立っている。この基盤に立っているから人から受け入れられやすいし、分かりやすいわけだが、これでは本当のことは分からない。いわば暗い世界に通じるチャネラーや霊媒師でしかない。
                      話が逸れそうなので元へもどすが、こんな本の造り方で出来たのが「第二の人生」というわけ。今は、編集も終わり、「本」という形になって、小さな流れだが、市場へ流れ出している。
                      この流れが、いつか大きな流れになり、みんなが外の世界でなく、自分の中を見直す時代が来れば、そんなことを思っている。人間に残された最後のフロンティアは、宇宙でも、深海でもなく、自分の心だと思う。

                      最後に、少し長くなるが「第二の人生」から好きな一節を紹介しておく。
                      決して買ってくださいと言っているわけではない。でも読んでほしいとは思っている訳で、どこかの図書館で、またはどこかの書店で「第二の人生」を見つけたら、立ち読みでもいいから読んでみてください。


                      1. 人生の前半部分の後始末を…

                      人間は誰しも、何時か、どこかで、自分の間違いに気付くチャンスを用意しています。
                      自分の間違いとは、道義的な間違いというのではなく、自分を知らずにきたことを言います。
                      自分を知らずに、つまり、自分が流し続けてきたエネルギーに頓着せずにただ目先のことばかりにとらわれて、そこだけに執心して生きてきた間違いは、何時か、どこかで正していかなければならない、いいえ、正していくようになっています。
                      自分達の本質である意識、エネルギーと、自分達がこれまでに流し続けてきたエネルギーの差異は、大きいです。
                      大きな隔たりであればあるほど、苦しみという形で、目の前に現象化されていきます。
                      大きく隔たっているからこそ、色々な人達や、周りの様々な出来事が伝えてくれるのです。
                      あなたが流し続けてきたエネルギーを知ってくださいと。
                      オギャーと生まれて、物心がついて、そして、ある程度の年齢に達し、ある程度の生活を確保するまでは、みんなそれぞれの立場で、一生懸命に頑張ると思います。一般的にはそうです。
                      中には、ガムシャラに生きてきた人だってあるはずです。
                      その時に使ったエネルギーは、凄いでしょう。
                      人が生きていくためには、生活をしていくためには、そうです、凄いエネルギーを消費していくのです。
                      人生の前半、いわゆる第一の人生においては、それは、仕方がないことだと思います。
                      エネルギーを出すことに必死で、そのエネルギーを検証する余裕などなくて当たり前です。
                      むしろ、人の一生の中には、そのような時期がなくてはならないと思います。
                      一昔前に言われた無気力、無関心、無責任を決め込んで、何もしないから、エネルギーを出していないのかと言えば、決してそうではなくて、得てして、そのような人達は、中にエネルギーを溜め込んでしまって、ある時、あるきっかけで、それが飛び出していきます。
                      それよりも、たとえ、凄いエネルギーを外に撒き散らしても、勉強に、仕事などに、目いっぱい頑張って、若さの特権を十二分に活かしていけばいいのです。
                      少々、羽目を外しても、失敗しても、若気の至りとして大目に見てもらえるだろうし、その気さえあれば、充分にやり直しができる時間もあります。
                      躓いたり、転んだり、寄り道や回り道は、第一の人生に付き物です。色々悩んで迷って苦しんで、そういうものだと思います。
                      しかし、もう、あなたは、第二の人生の時期にさしかかっている人です。
                      この時期に、第一の人生と同じように、ただエネルギーを撒き散らしていくだけでは、どうもいただけません。
                      同じように、悩み、迷い、苦しみながらも、今はもう、自分が出してきた、流し続けてきたエネルギーを検証していくべき時期なのです。
                      現実は、そうではないでしょう。
                      豊かなセカンドライフにするためにと、あの手この手のお誘いがあります。
                      そういう世間の波に乗っていけば、豊かで楽しい晩年、余生が約束されるかのようですが、人生の前半部分の後始末をしないで、そういうことは有り得ないのです。
                      人生の前半部分の後始末とは、繰り返しあるように、これまでに本当に凄いエネルギーで生きてきた自分の、そのエネルギーの検証です。
                      そして、その検証の方法は、「母親の反省」と「他力の反省」にあるのです。
                      自分が生きてきたことと、それらの反省とは、一見すれば何の関連もないようですが、このことは、あなたが実践されていけば、あなたの心で分かります。
                      二つの反省をすることにより、自分は、凄いエネルギーを流し続けてきたことが、あなたの頭ではなくて、心に響いてきます。
                      凄いエネルギーに突き動かされてきたことが分かるのです。
                      形の世界を本物として、その中に、喜びや幸せ求めてきた思い、エネルギーは凄いことが、段々と分かってきます。
                      あなたに用意された第二の人生の時間を、自分の検証に費やしていきましょう。その時間があって、しかも、そうできるあなたは、幸せ者です。
                      人生の前半部分の後始末をすることによって、豊かな晩年になっていくはずです。
                      晩年よければすべてよし。
                      私達人間の生涯は、晩年わびしければ、やはり哀しいものです。
                      日の出の勢いだった頃を、未練たらしく振り返り、命の灯が消える寸前まで、この世に執着していく人達の心の世界を思う時、ああ、その人達も、ほんの少しでも、真実の世界に触れることができていたらと思わざるを得ません。(塩川香世著「第二の人生」から抜粋)

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