愛犬と共に楽しむ10年ぶりの雪景色

2011.02.11 Friday

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    今朝、犬の散歩に出かけようと庭へ出てみると、一面の雪景色。ここ奈良の広陵町では雪が珍しく、関東から引っ越してからはじめての雪景色を見ることとなりました。
    神奈川県の津久井にいる頃は、冬になると雪かきが当たり前のことでしたが、ここ10年、雪景色とは無縁でしたので、珍しいやら面白いやら、朝早くから、犬のGOROと大はしゃぎ。
    GOROも、生まれて初めての雪で、最初はとまどっていましたが、そのうち「イヌはよろこび庭かけまわり……」の唱歌よろしく、庭中を走り回ったあげく、いきおいあまって外へ走り出す始末。ついに手に負えない始末となりました。しかし、寒さには勝てないとみえ、10分もするとスゴスゴと引き上げてきました。

    雪で困っている人には大変申し訳ない話ですが、今朝はGOROと共に久しぶりの雪を楽しんだという、とりとめのない話。

    実を言うと、今日は、京都のホテル・グランビアで人と会う約束があり、これ幸いと、そのあと、JR京都駅近くのサイクルセンターで自転車を借り、太秦まで走ろうとしていたのです。しかし、寒さにスゴスゴと帰ってきたGOROのことは言えません。かくいう私めも、雪に恐れをなし、約束をキャンセルしてしまったのです。

    というわけで祭日だというのに、今日は事務所に詰め、町内会の広報の仕事をしたり、昨夕届いたUTAブックの返品処理(段ボール箱4箱)をしたりして過ごすことになりました。

     

    JR和歌山駅前地下広場 紀州犬のブロンズ像

    2011.02.03 Thursday

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      JR和歌山駅前の地下広場で、紀州犬のブロンズ像を見かけた。なぜか、そのまま通り過ぎることも出来ず、ブロンズ像に添えられた説明書きに目を落とした。

      「紀州犬
      太古の昔より、紀州半島一帯で狩猟犬、戦犬、通信犬として存在した。日本民族は、この自然犬に助けられながら栄えた。この歴史的事実を重視し、昭和9年5月1日付けをもって、日本国は、この犬種を天然記念物に指定した。
      この犬種は、人間に従順であり、粗食に耐え、極地に耐え、強靱な体質と精神力を有したため、如何に過酷な歴史的背景をも耐えて今日に存在しているものである。
      この犬種は和歌山県の誇りであり、世界に誇る天然記念物である。」

      以上が説明文の内容である。
      紀州犬が、太古の昔から人間と共にあったという事実に興味を覚えた。戦犬、通信犬のくだりを読んだとき、正月にNHKで放映された「赤紙をもらった犬」というドラマのことが思い出された。
      偵察犬として訓練されたシェパードが、戦地で「鬼」となった兵士の心に人間の温もりを思い出させる。犬を毛嫌いしていた伍長が「あいつが居たから、この戦場で人間でいられた」、そう言って、傷ついた犬を助けるために死んでいった。
      「あいつが居たから、この戦場で人間でいられた」、このドラマを見て以来、その言葉が自分の心の中に澱のように沈んでいた。
      その思いが、この説明文の一文で、浮かび上がってきた。
      「あいつが居たから、この戦場で人間でいられた」、この言葉が、今も自分の中でリフレインしている。

      それはさておき、このドラマにもあるように、第2次大戦では、日本も軍用犬として犬を徴兵した。黒沢明監督の映画「夢」のなかでも、爆弾を巻き付けられ敵陣に飛び込んでいく軍用犬のことが描かれている。
      しかし、この紀州犬の説明を読むかぎり、はっきり書かれてはいないが、太古以来、戦犬として人間と共に戦う犬の姿が浮かび上がってくる。
      ネットで調べてみると、「軍犬物語」http://kiriken.web9.jp/gunken/index.htmlというサイトで、犬が戦争に利用されるようになった経緯が詳しく紹介されている。
      それに依れば、「西欧ではアッシリアの壁画に勇士と猛犬の絵が残されていたり、紀元前ギンベルン族が戦争に用いたのが」、犬が戦争に利用された初めとされている。しかし、真実の起源は定かではないという。

      では日本ではどうかというと、「太平記」に、南朝の忠臣 畑時能が「犬」と二人の従者とともに足利氏の城を陥とす物語があるのが最初だろうか。(左図は、江戸時代に描かれた畑時能の画 wikipediaから転載)

      しかし、東西を問わず、これらはあくまでも文献上の話であり、「犬の歴史」http://www.daidtm.net/010rekisi.html に依ると、人の祖先と言われるクロマニヨン人が既に犬を飼い、狩に利用していたとあって、これは僕の勝手な推測だが、部族間の抗争にも犬が駆り出されたのではないだろうか。
      それ以前、絶滅したネアンデルタール人と「犬」の関係は、どうも食料として「犬」を利用していたようで、これらのことを考えあわせると、「我々の祖先であるクロマニヨン人は、犬と共に生活し、狩りをしていたことにより生き残った」という説があり、「犬」をどう扱うかが、人類の生き残の大きなポイントになっていたようです。

      ともあれ平和を享受する我々は、もう二度と「犬」に爆弾を巻き付け、敵地に追いやるような選択は、何があってもしたくありません。うちにもゴールデンとラブのミックス犬「GORO」、それにトイプードルの「トマ」という2匹の犬が居ますが、2匹の顔を見ていると、「苦しいことは、もう、やめにして、ゆっくりいきましょうよ」、そんな風に言われているように思えてなりません。

      何か支離滅裂なブログになりましたが……今日はこれまで。

      間寛平のそっくり犬“ななチャン”!

      2010.04.23 Friday

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        間寛平のそっくり犬ななチャン

        間寛平のそっくり犬ななチャン今日は、「人のふんどし」ならぬ「人の愛犬」で相撲をとることにした。

        福岡の友人が、ミニシバの子犬を飼うようになったと、写真を送ってきてくれた。いわく「間寛平さんにそっくりなんです」と……。
        写真だけなら、「可愛いね」で終わったのだろうが、「寛平さん」に似ている」と聞いていたので、写真を見て、思わず吹き出してしまった。確かに似ている。どこがどう似ているというのでなく、見た感じがっそくりだ。
        写真を送ってくれた友人には申し訳ないのだが、
        この「感動 !?」というか、この「笑い」を他の人にも伝えたくて、いただいた写真で遊んでしまった。平に、平に、ご容赦、ご容赦……。

        我が家へキャロが来て今年で10年

        2010.01.10 Sunday

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          キャロとゴロ

          ロップイヤーのキャロ我が家は、1999年12月末、世間が世紀末やら2000年問題で騒がしいさなか、関東から関西へと帰ってきました。2000年1月からは晴れて奈良の住民となったわけですが、今年2010年は、節目となる10年目の年になります。そういえばロップイヤー兎のキャロも2000年の夏に友人から譲り受け、長野の地から奈良へとやって来ました。
          聞けば、キャロの父親は、昨年末、長野で寿命を全うしたということです。昨年末のセミナー会場で、最初の日、その友人がキャロの父親が半身不随だと教えてくれました。そして、セミナーの終わる三日目、「彼が死んだ」と伝えられました。
          ところでセミナーというのは、「心を見るセミナー」のことです。私たちは、年に3回ばかり、この「心を見るセミナー」に参加しています。普段は、目や耳など外からの情報を頼りに生活していますが、自分たちの本質は「心」とか「意識」とか、いわば内面の方が本当の自分なのですから、その本当の自分と向き合う時間を持とう、それを生活の中心に据えた生き方をしていこうというのがセミナーの趣旨です。
          キャロも、そんなセミナーの仲間からもらった兎でした。だから、セミナーから帰って真っ先に、キャロに「お父さんが死んだよ」と、その訃報を伝えました。でもキャロは「そんなの関係ない」とばかりに、年に似合わないお転婆ぶりではしゃぎまわるだけでした。
          生き死になんてキャロの言うように、そんな大騒ぎするものではないのかも知れませんね。 

          それはさておき、我が家の奈良人としての10周年は、キャロにとっても我が家の住人となって10年目。ブログ読者の方からも、小さい頃のキャロだけでなく、最近のキャロの写真も載せてほしいと希望を頂いています。そこで今回は、久し振りにキャロとその仲間たちの近況を伝えさせていただきます。

          キャロとゴロ普段、ゲージで過ごすことの多いキャロも、週に一度はゲージの大掃除。この時ばかりは、孫をはじめ好奇心の強い仲間たちが、キャロの周りに集まります。
          まずは、我が家の住人歴4年目のゴロ。彼は、前にも触れましたが、前の飼い主からあまりの悪戯ぶりに放棄され、我が家へ来るようになったゴールデンとラブラドールのミックス犬。
          最初は出来たてのデッキをボロボロにされたり、中に入れば入ったで、食卓と言わず廊下と言わず、当たりかまわず走り回り、蹴散らし回りしていましたが、今はすっかり大人しくなって、朝と夜は、みんなと団欒の時間がもてるようになりました。
          そのゴロも、キャロがゲージから出てくると、好奇心一杯で、ソファーの上のキャロの匂いをかぎ回り大騒ぎ。しかし、さすが10年の貫禄で、キャロはびくともしません。

          キャロとトマところが、最近、住人となったトイプードルの「トマ子」には、キャロもたじたじ。トマ子はまだ1歳になったばかりの悪戯ざかり。
          「こいつだけはやばい」と、キャロも逃げを決め込みます。逃げる先は、部屋のテレビ台の裏側か、外であれば物置の下。
          ここへ逃げ込まれたら万事休す。テレビ台の裏側は、ランケーブルや電線の密集地。以前もインターネットがつながらないと大騒ぎになり、調べたらランケーブルが噛み切られていたというお粗末。
          その点、屋外の物置下は、実害はないのですが、ここから引っ張り出すのが大騒ぎ。キャロの一番のお気に入り場所なものですから、一度はいるとなかなか出てこようとしない。エサ入れをガチャガチャ鳴らしても知らん顔。腕を入れても届かないし、スタジオのセットのようにばらすこともできない。放っておいたら、いずれ出てくるのは分かっているのですが、夜分ですと、猫に襲われることだって考えられます。時々、野良猫のウンチが庭に落ちていることもあるのですから……。
          そんな捕り物騒動を考えると、頭が痛い。そこで最近は、猫用のリードを買ってきて、ゲージから部屋へ出るときは、長いリードをつけて放しておくこととしましたが、これで一安心と思ったのも、束の間、今やそのリードが噛み切られつつあります。

          いずれにせよ、9歳を過ぎたとは思えない元気よさ。まだ少女のような幼さを宿しながら、ゴロやトマ子に負けず、我が家に笑顔を振りまいてくれています。

          ハニーの思いで

          2009.12.31 Thursday

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            虎のハニーと昔、二日にわたって虎の世話をしたことがある。大阪万博のあった年だから、もう40年も前の話になる。
            その頃、僕は、映画好きが高じてPR映画やCMフィルムの制作進行をしていた。「ハニー」と出会ったのは、PR映画の世界からCMプロダクションに移ってすぐ、まだ制作としては駆け出しの頃だ。
            ところで「ハニー」というのは、タイガー魔法瓶の社長がペットとして飼っていた虎の名前だ。もう青年期に達しようという年頃で、危険だからと動物園に移されることが決まっていた。
            飼い主としては、このまま動物園に移すに忍びず、「ハニー」の思い出にと、普段タイガー魔法瓶のCMを請け負っている当プロダクションに、「ハニー」のプライベートフィルム制作を依頼してきたという次第だ。撮影期間は2日間、大阪のテレビスタジオにセットを組み、1日はスタジオ撮影、1日は屋外での撮影と、その進行を駆け出しの僕が仰せつかったという訳だ。
            「ハニー」は、危険だからと足の爪を抜かれたばかりで、歩きにくいのか、足を落とすようにペタンペタンと歩く。タイガー魔法瓶の飼育係の方に「ハニー」を引き合わされ、いろいろと注意を受けた。足の爪は抜いてあるものの、牙はそのまま。「ハニー」は、よくじゃれついて人の腕を甘噛みしたりする。その時、吃驚して腕を引き抜いてはいけないのだという。牙が鋭いうえに離すまいと顎に力が入り、皮膚が裂けてしまうという。むしろ、逆に押し込むようにしてやると、口を開けるという。
            そんな話を聞かされ、カメラマンをはじめスタッフがすっかり怖じ気づいてしまった。しかも1日目の撮影でとんでもないハプニングが起こった。スタジオに簡単なセットが組まれたのだが、舞台になる部分はスタジオの床にセッシュという長方形の箱のようなものをならべ、その上に板を渡して舞台を作る。余談だが、セッシュというのは、「戦場に架ける橋」の撮影時、早川雪舟とアレック・ギネスが並んで映るシーンがあるのだが、背丈が違いすぎカッコが取れない。そこで踏み台の上に雪舟が乗っての撮影となった。この時から、この踏み台をセッシュというようになったということだ。
            それはさておき、「ハニー」が撮影時の異様な雰囲気に恐れをなしたのか、舞台から飛び降り、セッシュで組まれた舞台下へ逃げ込んでしまった。虎の背丈からして、まさか舞台下へ潜り込んでしまうとは誰も思いもしなかった。撮影はまだ始まったところで、舞台をばらすとなると、撮影が延びてしまう。そこで舞台下を覗き、いる場所を確認し、まずはその手前から舞台をばらして、そこから引きずり出そうということになった。つまり誰かが腕を突っ込み、引っ張り出さなくてはいけないということだ。
            「誰が」ということになると、制作の僕がやるしかないという結論。飼育係の若い男性の方と一緒になって、スタジオの床をはいずり、何とかハニーを舞台に引き戻すことができた。それ以降は、舞台下をベニヤ板で囲っての撮影とあいなった。しかし、これですっかり「ハニー」と仲良しになってしまった。舞台下の捕り物を、ハニーは遊んでもらっていると思ったらしい。
            翌日は、屋外芝生の上での撮影だったが、「ハニー」に信頼されたのかどうか、飼育係の方の手を患わさずとも、直接ハニーに「こっち向き」とか「あっちへ歩いて」とか注文を付けることができるようになった。本当に楽しい思い出だったが、このあと、「ハニー」は関西の動物園に移されていった。
            神戸市立王子動物園だったように記憶するのだが、今となってはハッキリ覚えていない。その後、どうなったか様子を見に行きたいと一時は思ったこともあったが、忙しさにかまけ遂に果たすことなく今日まできてしまった。それが一年の仕事が一段落りして、写真整理をしていたら、上の写真が出てきたという次第。当時のスチール担当カメラマンが撮ってくれたものだが、妙に懐かしい気分になり、来年は寅年ということもあって、ブログに書いてみた。

            では皆さん、よいお年をお迎えください。

            パートナー紹介

            2009.10.24 Saturday

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              空飛ぶキャロ今日は、散歩の相棒たちを紹介します。と言っても人間ではないのですが……
              3匹のウサギと2匹の犬、それに2台の自転車、これが僕の散歩の相棒です。まずは、我が家の古株、ロップイヤーウサギの「キャロ」、続いてゴールデンとラブラドールのミックス犬「ゴロ」、それに新参のトイプードルの「トマ子」。
              自転車に移って、まずはmugello がつくったシティサイクルM700、これは車体が緑色なのでグリーンと命名。2台目はDOPPELGANGERのクロスバイク、これは車体が黄色なのでイエローと命名。以上が、僕の散歩の相棒たち。

              では、それぞれについて、さらに詳しく紹介していきます。

              ◇ロップイヤー兎のキャロ
              キャロが来た頃彼女は、僕たち夫婦が、関東から奈良へ帰ってきた同じ年に長野からやってきました。
              2000年7月、長野に住む友人が、兎の子供が産まれたので1匹をくれるといいます。ではというので早速引き取りにいくことになりましたが、友人も途中まで連れてきてくれるというのです。奈良と長野の中間……ならば関ヶ原がよかろうということになり、関ヶ原のインターをおりたところで落ち合うこととなりました。無事、受け取りの儀式も終了し、さあ帰る段になってからが大変。車の振動がやけに気になり、兎が大丈夫だろうかと気が気でない状態が家まで続きました。最初は気軽につれて帰れる積もりだったのですが、まるでニトログリセリンでも運ぶような気分で、ジョルジュ・クルーゾーの「恐怖の報酬」(映画)を地でいくような有様でした。

              右の写真は、我が家へ来てすぐに撮った写真です。名前は、昔、息子の可愛がっていた兎の人形がキャロと言ったので、そのまま「キャロ」と名付けました。
              当時は、奈良の団地住まいでしたが、桜の季節になると「キャロ」を連れて、近くの公園に花見によく行きました。その頃の写真が残っていますが、まるで「幸せになれますように」などとお祈りでもしているかのようなポーズです。ついでながら、一番上の写真は、孫とキャロが段ボールの上で遊んでいるのを写真に撮り、団地の上空を飛んでいるかのように加工したものです。自己満足ながら、ちょっと楽しい。

              キャロの花見02

              そのキャロも、今では9歳。人間で言うと70歳のお婆さんだそうです。でも、仕草や表情は、まだまだ子どものよう。聞けば、彼女のお母さん兎も、長野でまだピンピンしているということでした。


              ◇GORO(ゴロ)
              言葉で「ゴロ」と発音すると、なぜか聞く人が「ゴロー」と語尾に長音をつけて聞いてしまい、「五郎」となってしまいます。彼は「五郎」ではなく、ゴロゴロッとしている「ゴロ」なのです。ゴロゴロするということは、普段セカセカしている私の希望でもあるのです。
              だから、彼は私の希望を具現した存在なのですが……。
              しかし現実は、部屋の中を、テーブルがあろうがなかろうが、お構いなく全速力で走り回る、超イソガシ犬でありました。我が家へ来た経緯も、前は若い夫婦に代われていたようですが、あまりの悪童ぶりにとうとう飼いきれず、ブリーダーへ戻されることになったという次第。
              このままでは、買い手もつかず保健所行き間違いなし。話を聞いた女房の妹が、「すわ一大事」とばかり、「ねぇちゃんの家で飼ったげてーッ」とSOSを送ってきました。自分で飼えば良さそうなものですが、彼女の家には犬ばかりか猫までがそれも複数で暮らしており、とても引き取れる状態ではないということです。
              かくして我が家で引き取ることとなりましたが、連れに行った車の車内はボロボロに、付き添いに乗っていった娘は生傷だらけになって帰ってくるという始末。
              見れば首の回りにスパイク状の金具を付けられています(写真)。
              引き渡されるとき「悪さやから、取ったらあかんで!」とブリーダーの人に申し渡されきたという代物らしいのです。しかし、なんぼなんでも、あまりにかわいそう。家長の権限で、痛そうな金具をはずしてやったまではいいのですが、話しに聞いた以上のいたずらぶり。新たにつくったデッキはボロボロにされるわ、部屋の中は全力疾走するわ……ついに堪忍袋の緒が切れて拳を振り上げ、ゴロの頭をボカン!
              しかし、何という石頭……殴った私の手の方が骨折してしまいました。
              そのゴロも、今では3歳になり、すっかり落ち着いて、私の散歩の最高のパートナーになっています。

              ゴロの散歩



              ◇トマ子
              トマ最後にトイプードルの「トマ子」。これは娘がペットショップで買った犬です。一緒にホームセンターに行った日、娘に犬の売り場へ連れて行かれ、いきなりその子犬を抱かされてしまいました。これがいけませんでした。顔をねぶり回すやらじゃれつくやら、「連れて行って」「連れて帰って」と、言葉こそ発しないものの、可愛いくも強引な態度で押しまくってきます。「ゴロがいるから」と、言い訳が通じるような状態でもなく、何より、これだけ頼られて、このまま見捨てて帰るわけにもいきませんでした。
              かくしてトマ子(娘と孫の命名)も、私の散歩のパートナーとなりました。大型犬と小型犬、大小2匹の犬と同時に散歩するには、最初こそ抵抗がありましたが、小さなトマ子は、どうしてどうして、かなりなタフガール。小一時間の散策でゴロがハアーハアー言っていても、トマは何食わぬ顔でチョコチョコついてきます。ただゴロともども、食い物にいやしいのが難点と言えば難点。いくらエサをたっpり食べていようと、夜中、部屋のゴミ箱あさりだけは欠かさないと言う有様。「癒し犬」ならぬ「いやしい犬」のお粗末でした。

              ゴロとトマ02

              まずは時間がよろしいようで。自転車については、次の機会に、乞うご期待……。
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