儀式にとらわれない低価格の葬送 vol.3

2013.09.26 Thursday

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    葬儀に関して取材させていただいた中で、次のエピソードは、僕が一番感動した内容です。「人間は肉体ではなく、意識だ」ということを、息子さんからの話と自身の手術中の体験によって信じるようになり、「お前のやっている学びはほんものだ」と言いきったお父さん。言うだけでなく、長年つきあった友人の僧侶にも、その旨を話し、「長年世話になった」と檀家から抜け、「もし、それでも友人でいてくれるなら、自分の葬儀の時は、袈裟でなく背広とネクタイで出席してほしい」と告げたお父さん。その言葉に応えるように、背広・ネクタイ姿で葬儀に出席した僧侶……取材していて、本当に「こんなことがあるんだ」と胸が熱くなったのを覚えています。以下、その取材した原稿です。


    Uさんの場合

    喪主のUさんは、四年前にお父さんを亡くされた。Uさんは知り合いの葬儀店に連絡を取り、会場だけを貸してほしい旨を連絡し、家族だけで送ろうとしたが、お父さんがこの地域で指導的な立場にあったため、役場から情報が流れ、県会議員をはじめ市長や多くの名士が参列する大がかりな葬儀となってしまった。
    ただ参列者が驚いたのは、そこには読経をあげる僧侶も存在せず、焼香もなく、線香の一本さえもあがっていなかったことである。
    ところで、この地区は因習や地縁関係が根深く残っているところであり、しかもUさんもお父さんも、この地区の指導的な立場にあり、旦那寺とも親しく、代々、檀家としても代表的な立場にあったという。お寺との関係ばかりでなく、この地区では行事といえば神事を指すほど、神社や氏神との関わりも強い。氏子としての役割も強かったという。
    話は前後するが、こんな環境の中、Uさんのお父さんが直腸ガンの手術で入院することとなった。ところが開腹してみると思ったより状態がひどく、このまま手術を続ければ、老齢ということもあり生命の保証もできない。手術を中止するか、このまま続けるか、五分以内に回答をほしいということになった。立ち会っていたUさん、相談する相手もなくすべての判断が自分にかかっているという状況に追いつめられてしまった。しかもゆっくり考える時間などない、五分以内に答えを出さなければならない。
    この頃、Uさんは「人間の意識」ということについて学んでおり、本当に伝わるのは、「言葉」や「態度」でなくその人の「思い」だということを教えられていた。口で「あなたはいい人だ」と言っても、心で「この野郎!」と思っていれば、「この野郎!」という思いがエネルギーとして働く。その場はだませても、このエネルギーが働くため、結局はうまくいかないし、相手も表面上はだませても、実は本人が気づかないだけで本音が伝わっているのだと……。要は、自分が変わらないかぎり、いくら宗教に頼っても自分も人も決して救われることがないということを分かり始めた頃であった。
    思いあまったUさん、このことを思いだし、「意識は伝わるんだ」と自分に言い聞かせ、必死の思いでお父さんの心の中に話しかけた。
    「親父、どうしたらいい。手術を続けるほうがいいのか? 中止したほうがいいのか?」
    そのとき、Uさんの心の中に「手術を続けてくれ」というお父さんの思いがハッキリと響いてきたという。Uさん、半信半疑ながらも、その思いを信じ、医師に「手術を続けてほしい」旨を意思表示した。
    やがて手術も無事終わって、お父さんの意識が回復したとき、
    「不思議な体験をしたよ。おまえが俺に手術をするべきかどうか話しかけてくるんだ。」
    Uさんは声に出して話しかけたわけでもないし、しかもお父さんは麻酔をかけられて手術室に入っていた。このことを話すと、「おまえが常々言っていたのはこういうことだったのか、おまえのやってる学びはほんものだ」と、あっさり脱帽したというのだ。
    これからが、このお父さんの偉いところだ。
    病状がある程度快復すると、Uさんと二人して旦那寺へと挨拶に出かけた。
    「息子が常々、人は意識だと言っている。俺も病院で不思議な体験をし納得した。人は己の心を見つめ己自身が変わっていかないかぎり、寺に頼っても、経文に頼っても人は成仏することはできないことを知った。分かった以上、寺の檀家であることはやめたいと思う。理解してほしい。こんな訳だから、葬儀のときも、あんたが僧侶として出席することは控えてもらいたい。俺との長年の付き合いで顔を出してくれるというのであれば、背広にネクタイで出席してほしい。袈裟や数珠などは不要である。」
    二人は、この後「長年、お世話になった」と礼を述べると、寺を後にした。
    この後一年して、お父さんは亡くなった。肺気腫やその他の病気を併発しボロボロの状態であったという。死を悟られたのか、死ぬ一週間前、咳き込みながらも十分近く、自分の最後の思いをテープレコーダーに録音された。
    「自分はこれまで自分の信じたことをやってきたが、その結果が果たして良かったのか、今、疑問に思っている。本当のことに早く気づけたのに、それをないがしろにし、今まできてしまい、人生を無駄にしてしまったことを後悔している……」
    Uさんの奥さんが、たまたま録音されているその姿を目撃されたが、録音し終えると、しばらくはその場で泣いておられたという。
    やがてUさんのお父さんは亡くなり、今回の葬儀となった。
    集まった人たちは、僧侶もおらず、焼香もなく、線香の一本もあがっていない葬儀会場に面食らったが、静かに童謡の流れる会場に、やがて録音された最後のメッセージが流れはじめた。
    咳き込み、時に涙ぐみながら語る故人の声に感動しない人はなかった。
    集まった人たちは、葬儀が終わると、
    「葬儀もこれからは変わっていきますなぁ」「重苦しい読経よりさわやかでよかったですよ」「本当に気持ちのいい葬式でしたなぁ」と口々に語られていた。
    その弔問客の中に、檀那寺の住職も背広姿で参列していたという。
    この話にはまだ続きがある。この地域ではありえない、この一風変わった葬儀の後、非難の声が起こると思いきや、追随する人が出てきたのだ。この地縁関係の結びつきの深い地域でも、確実に因習に縛られたくないという思いが広がっており、Uさんの行動に触発される人が今も続いているという。
    ところで、この葬儀にかかった費用、お父さんの立場上、密葬にできなかったこともあってかなりな出費になってしまった。それでも八十万円程度であったという。
    以下に掲載するのは、Uさんのお父さんがテープレコーダーに残されたという最後のメッセージである。息子さんの許可を得てここに掲載させていただくことにした。

    本日は私のお別れの会に当たり、皆様方にはご多忙中わざわざお出でいただき本当にありがたく、はなはだ高席からではありますが、あつくあつく御礼を申し上げます。
    私の生前中は、皆様方には一方ならぬお世話になり、これに対するご恩返しもできずに人生を終わっていくことを、ひたすら残念に存じております。何とぞお許しをいただきたいと存じます。
    私の人生八十年を振り返りますと、いったい私は八十年間なにをしてきたんだろうと自問自答するとき、やってきたことすべてが幻であったとしか言いようがございません。八十年と申しますと、日数にして二万九千二百日、時間にして七十万八百時間、億という数字から見ますれば、本当に瞬きしている間、ほんの瞬間に過ぎ去ったと思います。時計の針の一秒一秒の積み重ねが八十年間で二十五億二千二百八十八万秒となりますが、その一秒一秒の大切さを、今更(声が詰まる)、「死」を直前にして知らされました。
    一年は八万七千六百時間です。どうか、皆様、おのおのの年齢から割り出し、残りの時間を大切に悔いの残らぬよう、ご活躍あらんことを願うものでございます。
    私は六十歳を過ぎてから、人生が本当に幸せな一日一日が送れたのではないかと思います。
    家庭においては、子供らに親らしいことは何もしてやれなかったのに、本当にみんなが「爺ちゃん、体の調子はどうや」と言って体をさすったり、また「栄養をとらなあかん」と言って嫁が料理をつくってくれたり、兄弟みんな日曜日に寄って、部屋の掃除をしたり、本当に至れり尽くせりに面倒を見てくれ、私ほど幸せ者はなかったと、一人、部屋から子供らのほうを向いて手を合わせておりました。
    なお老人会の皆様には、ゲートボールをはじめ、旅行、ぼちぼち広場、忘年会、新年会と、老人同士で語らい、忘れることのできない老後生活をさせていただいたことに対し、お礼と感謝を申し上げます。今後はお体をお厭いになり、楽しい老後の人生をお過ごしになることをお祈り申し上げます。
    いろいろと申し上げたいことは多々ございますが、言い尽くすことはできません。
    最後に、本当にお集まりいただきました皆様方の、本日お集まりいただきました皆様方のご健康とご多幸をお祈り申し上げつつ、お礼の言葉と最後のお別れの言葉に換えさせていただきます。どうも、ありがとうございました。それでは皆さん、さようなら、さようなら、皆さんの健康を祈ってます。さようなら、(泣きながら)どうかお幸せに、さようなら。さようなら……。 

    儀式にとらわれない低価格の葬送 vol.2

    2013.09.26 Thursday

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      (神式の葬儀/http://www.serekea.jp/kazoku.htm から転載)


      昔、新しい葬儀に関する本の出版に関わったことがある。その本は今は絶版状態になっているので、そのなかで、僕が直接取材した何人かの方の話をここで紹介している。いずれも、現在の仏教主導型の「お金のかかる葬儀」を良しとしない方々の一例である。

      大阪府・羽曳野のTさんの場合

      Tさんは、二度の喪主体験をされた。最初はお母さんの時、二度目はお父さんの時だという。
      もともと実家が神道であり、祝い事はおろか葬儀に至るまですべて神道で行ってきたという。大阪へ引っ越しされてからも、お母さんの葬儀の時は神道で行ったという。
      私自身モノ知らずで、今まで神道の葬儀があるということを知らなかったものだから、好奇心も手伝って、神道での葬式がどういうものか訊いてみた。
      仏式では霊前での焼香が必ずあるが、神道のお葬式では焼香は行わないという。神式のお通夜・葬儀・法事では玉串奉奠(たまぐしほうてん)といって、玉串と呼ばれる葉のついた枝を神前に供えるという。
      まず両手で玉串を受け取り、根元が向こうを向くよう時計回りに持ち替えてまわし、お供えをする。次に二度、頭を下げ、音を立てないようにやはり二度柏手を打ち、最後にもう一度、頭を下げるという。
      ただ大阪では、神主さんに頼むとき、結婚式や誕生などの祝い事は歓迎されるが、葬儀の依頼は結構いやがられたという。
      二度目のお父さんのときは、最初と事情が違っていた。この間、Tさんはある人との出会
      いから真剣に人生を考える機会を持ったという。「苦しいときの神頼み」という言葉があるが、真剣に自分自身を見ようとしたとき、苦しみの原因がどこにあるかも見ようとせず、ただ何かに頼ろう、すがろう、うまくいかないときは世間が悪い、周りが悪いと犯人探しをしてきた、そんな自分に嫌気がさしたという。そうなると儀式という形だけが残った宗教にも嫌気がさしてきた。と同時に、そんな宗教に向けてきた自分の心にも嫌気がさしたという。自分を変えようとすることなく、何とか自分に都合の悪いことだけを、祈って、すがって、なくしてもらおうとする。そんな自分の心を変えたいと思ったという。
      そう思ったTさん、早速、町内会にも断りを入れ、一切の宗教的行事に関わり合いたくないと宣言された。大阪でも都市部はいいが、田舎へ行くとまだまだ閉鎖的で、こんなことを言い出した日には、周りがどんな目で見るか分かったものではない。どんなにか勇気がいっただろうと思うが、意外と周りはすんなりと受け入れてくれたようだ。
      Tさんを取材するとき、お住まいが分からず、付近の方に「Tさんのおうちを教えてください」と道を訊いたのだが、「ああTさんの家なら……」と、親切に親しみを込めて教えていただいた。とても周りから白い目で見られている、そんな雰囲気ではなかった。
      そんなわけで、お父さんの時は、神主さんも、お坊さんも呼ばず、互助会に頼んで家族だけで送ることになった。
      お父さんの場合、急であった。長い闘病生活の末に病院で亡くなったというのでなく、自宅で、ある朝、起きてみたら亡くなっていたという。全くの急死であった。
      早朝のため、主治医とも連絡が取れず、とりあえず一一九番に連絡し救急車が駆けつけることとなった。
      救急車からは、人工呼吸するよう指示が出る。Tさん、「死んでいるのになぁ」と思いながらも電話からの指示通り、お父さんの口に息を吹き込み人工呼吸を行った。
      やがて救急車が到着し、しばらくして警察も到着した。一一九番に連絡したとき、消防から警察へも連絡が行くのだという。Tさんの場合は、この後、かかりつけの医師とも連絡が取れ、医師が警察に事情を説明したうえで死亡診断書を発行してもらい一件落着となったが、普段から健康でかかりつけの医師もなく、急死ということになると、たとえ老衰死であっても、警察医による検屍・解剖と言うことにもなってしまいかねない。
      Tさんは、お父さんが普段から「葬儀に要らぬ金は使わず、身内だけで送ってほしい」と言っていたこともあり、ご本人の宗教的な葬儀はしたくないという思いもあって、互助会に連絡を取り、僧侶も葬儀も必要がないことを意思表示された。
      お母さんの葬儀の時、納棺に際してちょっとしたハプニングが起こった。納棺に当たって、普段、お母さんの訪問看護をしてくれていた方が「死に化粧」を施してくれ、やさしいいい顔になったとみんなで喜んでいたが、業者の方が、料金の内だと思ったのかどうか、その上からまた「死に化粧」を施してしまったというのだ。
      結果、やさしい顔が怒ったような顔になってしまったという。
      これに懲り、お父さんのときは、特に「死に化粧」もすることはなく、納棺した後は、互助会のホールに移送し身内だけで通夜をすることになった。
      翌朝、斎場に移して火葬に付したが、このときは朝一番だったせいか静かで落ち着いて送ることができたという。というのも、最初のお母さんのときは、午後からの火葬となり、数が多く火葬も競争状態となった。各宗派の僧侶や宗教者が、それぞれのお経や祈りを、他に負けまいと大声を上げて競い合うものだから、静かで落ち着いた雰囲気などほど遠く、ただうるさくて慌ただしいだけのものとなってしまったという。
      こうなると、お経はありがたいというより、うるさいだけの騒音でしかないだろう。
      それはさておき、家族だけの葬送、全部で十八万円だったという。

      儀式にとらわれない低価格の葬送 vol.1

      2013.09.25 Wednesday

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        (10万円プランの葬送の一例 モリ葬祭さんの場合)


         低価格の葬送

        「シンプルな葬儀・埋葬」と題して、二〇〇五年十月十三日の朝日新聞朝刊に次のような記事が掲載された。いわく「質素に最後を迎えたい、と故人が思っていたとしても、遺族にその意思が伝わっていなければ、葬儀やお墓にお金をかけてしまうものです。そんな中、残される家族の出費を抑えようと、自分が死んだ時の葬儀や埋葬方法を、あらかじめ選ぶ人が出てきました」と。
        またホームページを検索してみても、「お墓は心の中に」と唱い、新しい葬儀の形を提唱する葬儀社も増えてきている。以前はこういった傾向は関東に多く見られたように思うのだが、最近は関西でも家族だけの低価格の葬儀を提唱する葬儀社が目立ち始めた。こんな中、「ぬくもり葬儀」のタイトルで、「家族葬ぬくもり10」 というホームページが目にとまった。とりあえず開いてみると、「火葬のみ ぬくもり10プラン 十万円 」とある。この十万円には、「寝台車(一五kmまで無料)」「枕元セット(経机・お線香・ローソク・おりん・仏花)」「ドライアイス二日分(二〇キロ)」「納棺一式」「お棺(桐)」「仏着(スエード)」「本骨袋(骨箱小)」「寝台形霊柩車」「役所代行手続き」「火葬場手続き」が含まれているという。このほかに、「霊安室使用料 五千二百五十円」「火葬料金(火葬場により異なる) 六千円」がかかり、総額費用でも十一万一千二百五十円でおさまるという。
        無料のお問い合せ電話が掲載されていたので、早速、電話してみた。
        大阪府松原市の「聖心社・もり葬祭」という葬儀社だった。代表の森さんは約二十年間葬儀社に勤めた後、『葬儀は変わりました! 安く・内容充実』をキャッチコピーに、これからの時代のこれからの葬儀社として平成八年に開業したという。
        聞けば、このような家族だけの低価格の葬儀が増えており、同社の全取り扱いの約三割が低価格の家族葬プランだという。
        森社長のお話を聞いていても、新しい兆しが確かに感じられる。
        そこで自分の周りに、こういった葬儀にお金をかけなかった人がどれだけいるか調査し、その方々にお話しをうかがってみることにした。


        大阪府・千里のSさんの場合

        喪主のSさんは、重度重複障害児を持つ六十代前半の女性。亡くなったのは、障害児である娘のあかねちゃん、二十歳を迎えたばかりだという。
        実はあかねちゃん一家とは、僕自身、ごく親しく近所付き合いをした仲だ。今も手許にあかねちゃんのお母さんの手記が残っている。
        「娘の名前はあかねです。昭和五十二年十一月十八日、千五百グラムで生まれました。七ヶ月の初めに早産しました。生後二、三日で呼吸困難を起こしました。同時に黄疸を伴い、保育器の中で光線療法も受けました。その後、順調に発育していると思っていましたが、未熟児網膜症になっておりました。それは比較的軽く終わりました。現在は左が弱視です。生後九ヶ月目に脳性マヒと診断されました。昭和五十四年一月末日に重度の脳性マヒによる四肢体幹マヒ、わかりやすく言うと、寝たきり、一生涯寝たきりの子です。たとえ訓練をしても、寝たきりから脱することはできませんと診断されたのです。」
        それから二十年が過ぎた平成九年十二月、あかねちゃんのお兄ちゃんが結婚することになった。
        このとき、あかねちゃんは吐血が始まり病院に入院したまま。主治医のお医者さんも「もう長くはもたないだろう」と言っていた。それでも結婚式には病院の外出許可をもらって参加、式が終わるなり、また病院へとんぼ帰りしたという。
        式場から病院へ帰り着き、看護婦さんに迎えてもらってうれしそうなあかねちゃんの写真が残っている。
        それから一月あまりが過ぎた平成十年一月十四日、あかねちゃんは病院で亡くなった。明け方の午前三時だったという。病院のストレッチャーで車まで運び、大好きだったお兄ちゃんのライトバンで団地の一階にある家へと連れ帰ってもらった。
        あかねちゃんはよく「キャッキャッ」と声を立てて笑った。外にいても、その笑い声が窓を通して聞こえてくるほどだ。亡くなったその日も、お母さんとお兄ちゃん夫婦がライトバンで連れて帰ってきたのだが、部屋へ入るなり「キャッキャッ」という笑い声が聞こえるというのだ。
        「いやぁ、あかねチャン、生きてるわ!」と、一瞬思った。
        だが、それは飼い犬エルの鳴き声であった。
        夜が明けるなり、市役所に電話し、葬儀社を紹介してもらった。
        「何も要りません、葬儀も不要です。棺桶と焼き場の手配だけをお願いします。」

        この日は、あかねちゃんを知る人たちだけの送別会となった。急遽、あかねちゃんの寝ていた部屋が立食パーティの会場となる。焼香も線香もなし、来る人も香典はなし、数珠も持たない。
        というのも、あかねちゃんのお母さんが、仏教の葬儀に疑問を持っていたからだ。いや仏教でばかりでなく宗教で人は救われることはないと強く思っておられる方だった。
        だから来る人も、「あかねちゃんが花が好きだったので……」と、花だけを持って参加した。
        来る人、来る人が花を持ってきた。
        常々、お母さんは、あかねちゃんに「死んだら、あかねチャンの好きな花でいっぱいにしたげるワ」と言っていたが、期せずして、部屋はその言葉通り花でいっぱいになった。棺も花でいっぱいにした。ただ花だけを折って入れるのは「何となく残酷そうでイヤだ」というので、花だけをちぎるのでなく茎のままを入れたという。
        誰も泣く人はなく、あかねちゃんの想い出話をし、ジメジメした雰囲気はなかったという。あかねちゃんの担任だった先生も、集まった人たちも「こんな雰囲気っていいですネ、私もこんな風にしたい」と感想を漏らしていた。
        明けて一月十五日、普通なら成人式となるのだが、この日、あかねちゃんは黒いバンで斎場へと移された。
        「焼いている間、みんなで食事をしました。お骨は迷った末に持って帰り、撒こうかとも思ったのですが、トラブルの元になってはと、実家のお墓へ入れました」とお母さんは淡々と語る。更に訊くと、それはお墓が大事だという意味ではなく、処分に困ったあげく、ここへ入   れておけば誰にも迷惑がかからず土に帰るだろうと思ったからだそうだ。
        「葬儀の費用は」と問うと、「棺桶代が四万円だった。そう、全部含めて十三万円だったのを覚えているけど、明細は覚えてないわ」と明るく答えてくれた。
        ちなみに大阪の市役所に電話で確認してみたが、大阪市では、お骨は持って帰らなくてもいいそうだ。最初に渡される書類に「お骨を持って帰る」「お骨を持って帰らない」の希望欄があるそうで、電話に出ていただいた係りの方に「お骨を持って帰らない場合、そのお骨はどうなるんですか」と訊いてみると、「一年間保管し、その後、共同霊園にお入れします」という答えが返ってきた。
        このことは、全国どこの市町村でも同じらしいが、確認したわけではない。 

        花粉症 新人デビュー/カモガヤ

        2011.05.13 Friday

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          5月の連休も終わったというのに、今年はまだ花粉症が治まらない。医師に処方してもらった「アレロック(第2世代抗ヒスタミン剤)」も、点鼻薬・点眼薬も底をついてしまった。例年ならとっくにおさまっているのに、今年はどうしたことか、目鼻がムズムズ、喉はカラカラ。今年はもう行かなくてもいいだろうと思っていた医師のもとへ、今日は、たまらず出向くこととなった。

          「まだ治まりませんか? もう杉も檜もおさまってますが……」
          「はい、例年なら5月の連休が終わる頃には、花粉症など忘れているのですが……」
          「一度、何に反応しているか調べてみましょう。すぐ終わりますから……」

          ということで、初めて花粉症の検査を受けることとなった。神奈川で杉花粉だろうと診断され、関西へ引っ越してからも、それで通してきたが、どうも杉だけではない気がする。

          検査は、右上の写真のような検査薬を、スポイトで腕の内側に点けていく。
          僕の場合は、「ハウスダスト」からはじまって「猫の毛」まで7種類の検査薬が点けられた。検査薬を腕に落としていく前に、それぞれ後で分かるように、検査薬の頭文字が腕に書き込まれる。「ダニ」なら「ダ」、「杉」なら「ス」という具合だ。
          検査薬が、腕の内側に水滴のように載せられると、次に先が丸くなった針状のものでその部分を軽くつついていく。
          この繰り返しで、7種類の検査薬が試され、看護婦さんから「蚊に刺されたように、痒くなって腫れてきますが触らないように」と申し渡される。
          待合室で腕を伸ばしたまま待っていると、間もなく何とも言えない痒みに襲われ、思わず掻きむしりたくなる。
          何とか我慢するが、僕の場合、痛いのを我慢しようとすると、なぜか笑い出してしまう癖がある。この時も痒みを我慢しようとすると、思わず笑ってしまい、待合室の他の患者さんに変な目で見られることとなってしまった。
          なんとか10分が過ぎ、再び診察室へ呼ばれ、めでたく結果発表となる。

          「ああ、やっぱり出てる、出てる。稲科や、稲科のデビューや」
          説明によると、「ス」が赤くよく反応しているのは「杉花粉」。その下の「ア」も反応しているが、これは観葉植物に付くカビだという。今、症状として出ているのは「カ」、すなわち「カモガヤ」という稲科の雑草だという。今まではアレルゲンでなかった稲科の雑草カモガヤが、僕にとって新たにアレルゲンとして追加されたというわけだ。
          「カモガヤのデビューや。梅雨の頃まで続くなあ。」
          医師は楽しそうに説明してくれる。本当に楽しそうだ。でも、そのほうがありがたい。これを深刻そうに説明されたらたまらないしなあ。
          医師は更に楽しそうに、付け加えた。
          「こいつら、デビューはするけど、引退はないからなあ。」
          ガーンッ!

          杉ばかりか、カモガヤ君とも付き合わなければ行けないのか。
          人脈が増えるのは嬉しいが、花粉症の人脈というか、花粉脈はこれ以上増やしたくないのだが……
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